第五話 街の噂、小さな変化の足音
黄金色の紅葉が舞う渓谷の調査が一段落し、秋の陽気が一段と深まったある日のこと。今日は《ルミナ・ヴェール》の四人も揃って、屋敷のメンバー全員でフォルツの街へと買い出しにやってきていた。
「冬に備えて、保存のきく食材を少し多めに買っておきたいんだ。みんな、欲しいものがあったら言ってね」
静がバスケットを手にのんびりと歩く後ろを、セリナやアリアたちが思い思いの距離感で続いていく。
「欲しいもの、ねえ。……フィア、市場で騒ぎを起こさないでよ」
「分かってるって! でも美味しそうなものがあったら我慢できないかも」
「それが問題なのよ」
アリアとフィアのやり取りに、あかねが「きゅ!」と同意するように鳴いた。
「あかねまで」
アリアが溜息をつくと、あかねは得意げに胸を張った。
「にゃ」
ツキが静の肩の上から、そんな様子を静かに見守っていた。
◆◆◆
市場に足を踏み入れた瞬間、ミレイアがふと足を止め、軒先に飾られた瑞々しい星霞草の鉢植えに目を細めた。
「……ねえ、リーナ。なんだかこの辺り、ほんの少しだけ屋敷の空気に似ている気がしない?」
リーナは土晶のペンダントに触れるまでもなく、肌で感じるその心地よさに静かに頷いた。
「ええ。魔力の流れがどうというより、街全体の呼吸が深くなっているような……そんな感覚ね。淀みが消えて、空気が整っているわ」
「そう感じるのは私たちだけじゃないのかも。ほら、見て」
ミレイアが視線を向けた先、市場を行き交う人々の表情が、以前と比べて柔らかかった。肩の力が抜けている。足取りが軽い。
二人のやり取りに気づいた静が不思議そうに振り返る。
「そう? 街の人たちが大切に育ててくれてるから、花も喜んでるのかもね」
静が屈託なく笑うと、リーナは小さく溜息をついて「そうね、きっとそうでしょうね」とだけ返した。
◆◆◆
市場の中を進むにつれ、あちこちから活気ある、それでいてどこか穏やかな会話が聞こえてくる。
「なあ、最近うちの井戸の水、やけに澄んでると思わないか? あれでパンを仕込むと、いつもよりふっくらして甘みが出るんだよ」
「ああ、わかるよ。うちの野菜も、店に並べてからの瑞々しさが全然違うんだ。なんだか最近、体が軽いっていうか、夜もぐっすり眠れるんだよな」
「それだけじゃないぞ。最近、向かいの革細工師が長年うまくいかなかった技法を突然マスターしたって言ってたし、薬師の婆さんも、生薬の調合がうまくいくようになったって言ってたぞ」
「なんか、街全体の調子が良くなってる気がするよな。理由は分からんけど」
静たちはその会話の横を通り過ぎながら、自然に相槌を打つような形で歩いていく。
「なんだか、みんな元気そうで良いね」
「ぷぷぅー」
マルがリーナの足元で満足そうに鳴いた。
◆◆◆
市場の奥の方ではフィアとハルが一足先に食材を見て回っていた。
「ハル、あっちに秋の果実があるよ! いっぱいあるね!」
「ひゅん!」
ハルがフィアの肩の上で嬉しそうに翼をたたんだ。フィアが露店の前で足を止め、色とりどりの果実を眺めていると、店主の老婦人が笑顔で話しかけてきた。
「あら、今年は果実の当たり年でねえ。例年の倍近く採れたんだよ。こんなに甘いのは久しぶりだわ」
「本当ですか? どうしてですか?」
「さあ、なんでかねえ。ただ、今年は土が良かったような気がするんだよねえ」
フィアは「へえ、不思議ですね」と笑いながら、果実をいくつか選んだ。
その隣で、ルゥがミレイアの足元から離れ、露店に並んだ果実の前にちょこんと座って「くぅ」と鳴いた。
「ルゥ、どれが美味しそうか教えてくれるの?」
ミレイアが微笑みながら問いかけると、ルゥは「くぅ」と鳴いて、一番奥の籠の果実を前足でちょんと指した。
「……あら、その籠は一番新鮮なものを入れてるんだよ。よく分かったねえ」
老婦人が目を丸くして笑うと、ルゥは「くぅ」と鳴いて満足そうに座り直した。
「ルゥ、ありがとう」
ミレイアが籠から選んだ果実を手に取ると、ルゥはまた「くぅ」と返した。
◆◆◆
静とリーナ、そしてツキとマルは市場の少し奥まった一角を歩いていた。
静は食材棚を眺めながら、冬の保存食に使えそうな干し野菜を選んでいる。その隣では、鉢植えや野菜の苗を扱う小さな店が並んでいた。
リーナはその並びを歩きながら、街のあちこちに置かれた星霞草の鉢植えを、手帳にメモを取りながら観察している。
(星霞草が根付いている場所……ここと、あの角と、先ほどの広場と。分布が広がっている。それぞれの周囲の空気が、確かに変わっている)
指先でペンを走らせながら、リーナは静かに考え続ける。
その時、リーナの足元でマルが「ぷぅ?」と鳴いて立ち止まった。
花壇の縁に近づき、前足でそっと土をちょんちょんと叩く。
(……この土。星霞草の根が張った周辺の土壌が変質している。魔力の浸透率が上がっているのかしら)
リーナが内心で思った次の瞬間、マルが「ぷぷぅー!」と誇らしげに鳴いた。
「……あなた、分かっているの?」
マルは答えない。ただ、満足そうに土から前足を離して、またリーナの隣を歩き始めた。
リーナはしばらくマルを見つめてから、手帳に一行書き足した。
その時、静が「あ、これ美味しそう」と干し椎茸の束を手に取りながら振り返った。
「リーナ、何か面白いものあった?」
「……いいえ。ただの観察よ」
「そっか。じゃあこっちも見てみようか」
静が食材の方へ向き直った、ちょうどその時だった。
「にゃあ」
ツキが静の肩から飛び降り、隣の店の軒先に座り込んだ。
そこで食材の整理をしていた店主の老人が、ツキの姿を見た瞬間に顔をほころばせた。
「おお、黒猫か。これは縁起が良いな。……可愛いもんだ。何か食べるかい?」
老人は棚の下から小さな干し魚の欠片を取り出し、ツキの前にそっと置いた。
「にゃ」
ツキは一口食べ、満足そうに目を細めた。
「ふふ、食べてくれた。……実はね、うちの猫が先月から具合が悪くてね。獣医師にも診てもらったけど、なかなか元気が出なくて。でも今朝、久しぶりに飯を食ったんだよ。なんだかこの頃、いいことが続く気がしてね」
老人は嬉しそうに話しながら、また棚の整理に戻った。
静は「それは良かったですね」と穏やかに答えながら、欲しかった干し野菜をバスケットに入れた。
「にゃ」
ツキが静の肩に戻りながら短く鳴いた。
「ツキ、ちゃっかりしてるね」
静が苦笑していると、リーナが小さく口元を緩めながら手帳を閉じた。
◆◆◆
一方、アリアはセリナと共に市場の外れへと足を向けていた。
街の少し外れにある共用広場。
そこからトントンと小気味よい金槌の音が響いていた。
音のする方へ目を向けると、一人の老職人が木製の台を修理しているところだった。節くれ立った手が迷いなく鑿を走らせている。その手つきは熟練そのもので、木材がどう応えるかを知り尽くしているような確かさがあった。
「……腕が良さそうな職人さんね」
アリアが静かに言うと、セリナが「はい」と小さく頷いた。
修理された遊具では、子供たちが歓声を上げて遊んでいる。職人はその様子をちらりと見てから、また作業に戻った。その横顔には、険しさはなく、ただ仕事への充実感が滲んでいた。
あかねが「きゅ」と鳴いて、子供たちの方へと駆けていこうとした。
「あかね、こら」
アリアが素早く手を伸ばし、あかねを抱き上げた。
「きゅ?」
「ここで騒いだら、職人さんの仕事の邪魔になるでしょう」
あかねはアリアの腕の中でしばらく子供たちを眺めていたが、「きゅ」と納得したように鳴いておとなしくなった。
セリナはその光景を見ながら、心の中で静かに思う。
(特別なことは何も起きていない。ただ、みんなの毎日が少しだけ健やかになっている……。それは、とても素敵なことですね、静様)
自分が手をかざしたことも、静が水を注いだことも、それが「奇跡」として語られる必要はない。この穏やかな空気が街に馴染んでいることが、セリナには何より嬉しかった。
「セリナ、行くわよ」
「はい」
セリナは立ち止まることなく、静かに微笑みを胸にしまって前を向いた。
◆◆◆
一通り買い出しを終えた一行は、帰り際に馴染みの宿屋の食堂に立ち寄り、軽く昼食を取ることにした。
「今日は収穫だったね。冬用の保存食もたくさん買えたし」
静がお茶を一口飲みながら言うと、フィアが嬉しそうに頷いた。
「あの果実、本当に甘かったよ! ハルが選んでくれたのも美味しかったし」
「ひゅん」
ハルがフィアの肩の上で得意げに鳴いた。
「今日は全体的に活気があったわね」
アリアが静かに言う。
「うん。なんか、みんな楽しそうだったね」
静が穏やかに答える。
自分たちが街の変化の一端を担っているとは、これっぽっちも思っていない様子だった。
リーナだけが、手帳に小さなメモを書き留めていた。
(星霞草の分布と、街の活気の変化に相関がある。次回来た時は、もう少し詳しく確認しておきたい)
マルがリーナの足元で「ぷぅ」と短く鳴いた。
「……見ていないわよ、別に」
リーナが手帳を閉じると、マルは満足そうに目を細めた。
◆◆◆
買い出しを終え、屋敷で賑やかな夕食を済ませた後のこと。
静は縁側に腰を下ろし、肩の上のツキを撫でながら、手元の連絡板を確認した。フォルティナからの連絡が届いていたようだ。
【フォルティナ:静さん、こんばんは。今日はフォルツが以前より明るい雰囲気だったと聞きました。買い物も楽しまれたようで何よりです】
静は指先で文字をなぞった。
【静:こんばんは。街のみんなが元気そうで、良い一日でした。干し野菜もたくさん買えたので、冬の準備が進みそうです】
しばらくして、フォルティナから少しだけ改まった、けれど柔らかな文面が届く。
【フォルティナ:実は先日、懇意にしている商人のリシェルから興味深い報告がありました。静さんに託したあの種ですが、彼女が手に入れた国でも、ここ数百年は発芽した記録すら残っていない未知の植物だそうです。何が育つのか、芽が出るのかさえ誰にも分からない、伝説のような種だとか……。それと、最近のフォルツの穏やかさが、ほかの街でも「良い噂」として広まり始めているようです。これも静さんたちがいてくれるおかげですね】
静はそれを読んで、少しだけ首を傾げた。
「……数百年も芽が出ない種?」
足元のクッションでは、マルが「ぷぷぅー」と満足そうに寝息を立てている。庭の隅では、あの白銀色の芽が月の光を浴びて静かに成長を続けていた。
(リシェルさんの言っているのは、きっと何か別の、もっと難しい種の話かな。うちのはもうあんなに元気に芽吹いているし)
静は指先で文字をなぞった。
【静:大変な種もあるんですね。うちの庭の子は順調そうなので、美味しい実がなるといいなと思っています。良い報告をありがとうございます】
しばらくして返信が届く。
【フォルティナ:……そうですね。楽しみにしております】
その文面に、どこか苦笑いが滲んでいるような気がしたが、静は深く考えなかった。
「にゃ」
ツキが静の膝に飛び乗り、短く鳴いた。
「そうだね。美味しい実がなるといいよね、ツキ」
「にゃ」
ツキは静の言葉に短く答えて、膝の上でくるりと丸くなった。
窓の外では秋の風が木々を揺らし、新しく繋がった渓谷の奥でも、黄金色の葉が静かに舞っている。
自分の日常が少しずつ周囲へ広がっていることにも気づかず、静は明日作る料理のことを考えながら、穏やかに一日を過ぎていく。
イメージソングを作成してみました。
もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
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