第九話 星霞草の夜と二つの灯り
夏の朝の光がまだ涼しい頃
縁側に座っていた静は、冷たいお茶を飲みながら手元の連絡板へゆっくりと指を滑らせていた。
魔力を込めながらなぞった線が、淡く定着して文字になる。
【静:フォルティナさん、フレイアさん。おはようございます。例の星霞草が、今日あたり一番綺麗に光りそうです。もしよければ、夕涼みがてら見に来ませんか?】
最後に軽く板を押さえて確定させると、数拍置いて板が淡く明滅した。
【フォルティナ:おはようございます。本当ですか。……ぜひ、伺わせてください】
【フレイア:私も仕事に区切りをつけて同行するわ。楽しみにしてる】
静は口元を和らげ、返信を打ち込む。
【静:分かりました。それでは夕刻、いつもの宿まで迎えに行きますね。転移で屋敷までお連れします】
「……よし、これで大丈夫かな」
静の独り言に、足元で丸くなっていたツキが「にゃぁ」と相槌を打つ。
「夕方にはお客さんが来るよ、ツキ。みんなにも伝えておかないとね」
「にゃ」
ツキは短く鳴いて、静の肩にひょいと飛び乗った。
◆◆◆
その言葉はすぐに屋敷中に広まった。
「フォルティナさんとフレイアさんが来るの? やったー!」
フィアが声を弾ませると、あかねが「きゅ!」と鳴いて飛び跳ねた。
ルゥは「くぅ」と短く鳴いて、ミレイアの隣でちょこんと座り直す。
ハルはひゅんと上空を一旋回して、嬉しそうに翼をたたんだ。
マルは「ぷぷぅー!」と得意げに鳴いて、庭の方へとぽてぽてと歩き出した。
「マル、どこ行くの?」
フィアが追いかけると、マルは花壇の前で立ち止まり、土をちょんちょんと叩いた。
「……庭を整えておいてくれるの?」
「ぷぅ」
マルは満足そうに鳴いて、また土を叩き始めた。
セリナは台所で夕食の準備を始めながら、静かに微笑んでいた。
フォルティナさんが来る。
その事実が、胸の奥でほんのりと温かかった。
◆◆◆
陽が大きく傾き、空の色が橙色から深い紫へと溶け込み始めた頃。
屋敷のテラスでは、セリナやアリアたちが夕食の準備を整えていた。
冷却具の上で冷やされたガラス瓶が、涼やかな音を立てている。
「それじゃあ、二人を迎えに行ってくるね。すぐ戻るから」
「はい、静様。いってらっしゃいませ。お料理を仕上げて待っていますね」
セリナの柔らかな見送りに頷き、静は意識をフォルツの街へと向けた。
一瞬の浮遊感の後、静はいつもの宿の隠れ部屋へと降り立つ。
そこには、すでに旅装を整えたフォルティナとフレイアが待っていた。
フォルティナは、小さな木箱を大切そうに抱えている。
「お待たせしました。それじゃあ、行きましょうか」
静が二人の肩にそっと手を触れ転移する。
三人の視界はフォルツの宿から、清涼な空気が満ちる空白地帯へと書き換わった。
◆◆◆
屋敷の庭に足を踏み入れた瞬間、フォルティナとフレイアは息を呑んだ。
「……えっ……?」
フォルティナの声が、震えている。
目の前に広がるのは、彼女がかつて王都の植物園で見た、希少なだけの星霞草ではなかった。
花壇から溢れ出した光は、足元の芝生を銀色の海に変え、淡い光の粒が夏の夜気に溶け込むように舞い上がっている。
屋敷の神気と共鳴し、本来の性質を遥かに超えて変質した光の繭が、そこにはあった。
「……信じられない。王都のものとは、根本的に『存在の格』が違うわ……」
フレイアが呆然と呟く。
二人が言葉を失っていると、テラスから賑やかな声が届いた。
「静、おかえり! フォルティナさんたちも、いらっしゃい!」
フィアが元気に手を振り、あかねやルゥたちが「きゅ!」「くぅ!」と歓迎の声を上げる。
「にゃ」
ツキが静の肩の上の飛び乗り、二人を静かに見下ろして短く鳴いた。
「ツキも、ようこそって言っているよ」
フィアが笑うと、フォルティナはようやく表情をほどいて微笑んだ。
「……ありがとうございます、ツキちゃん」
◆◆◆
テラスのテーブルには、セリナたちが用意した夏の味覚が並んでいた。
冷たい果実のゼリー、香草を添えた白身魚の蒸し焼き、彩り豊かな夏野菜のマリネ。
そしてテーブルの中央には、屋敷の井戸で冷やしたガラス瓶に入った、ほんのり甘い果実水。
「さあ、まずは座ってください。光を眺めながら食事にしましょう」
静に促され、二人は席に着いた。
庭では星霞草が柔らかく揺れ、その光が夕闇の中で銀色の波のように広がっている。
テラスまで届く光は、食卓をほんのりと照らして、蝋燭よりも柔らかく、月よりも近い輝きだった。
「……綺麗ですね」
フォルティナが静かに言った。
料理に手を伸ばしながら、それでも視線は庭の光へと向いている。
「フォルツではこんな夜は、なかなか見られないわね」
フレイアが果実水を一口飲んで、目を細めた。
「普段と違う空気があるの。ここは本当に……」
言葉を探すように少し黙ってから、続けた。
「空気ごと、休めるような場所だわ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
静が穏やかに答えた。
しばらく、誰も何も言わなかった。
光が揺れる。
風が通り抜ける。
遠くで、あかねが「きゅ」と短く鳴いた。
それだけで、十分な時間だった。
「静様の白身魚、本当に美味しいです」
セリナが柔らかく言うと、フォルティナも頷いた。
「本当に。……こんな風に、皆さんと食卓を囲めることが、こんなにも贅沢なことだとは思っていませんでした」
その言葉に、テーブルの空気がほんのりと温かくなった。
「フォルティナさん、また来てくれたら、次は川魚を出しますよ。先日みんなで釣ったんだけど、すごく美味しかったから」
「川魚……! ぜひ、お願いします」
フォルティナの目が少しだけ輝いた。
「ティナ、珍しく即答したわね」
フレイアが面白そうに言うと、フォルティナはわずかに目を逸らした。
「……美味しそうだと思っただけです」
「ふふ、そうね」
テーブルに、小さな笑いが広がった。
◆◆◆
食後の穏やかな余韻の中、静がアイテムボックスから木箱を取り出し、テーブルに置いた。
「そうだ、さっき預かった種、みんなで見てみようか」
箱が開かれた瞬間、傍らで見守っていたリーナとミレイアの目が、鋭く細められた。
「……静、ちょっと待って」
リーナが土晶のペンダントにそっと手を添える。
解析を専門とする彼女の目には、その種子が放つ微かな『拍動』が見えていた。
「この種、屋敷の空気に当てられて、内側で魔力が回路を結び始めているわ。本来は夏を越せないほど繊細な品種のはずなのに、この場所の神気を受けて、より強く変質しようとしている……そんな気がするの」
「ぷぷぅー!」
その時、テーブルの縁にいつの間にか登っていたマルが、興味津々といった様子で種に鼻先を寄せた。マルが前足でトントンと箱の縁を叩くと、種の色が心なしかさらに鮮やかさを増したように見える。
「マルも気に入ったみたいだね。……せっかくだし、みんなで植えてみないかな? 以前、星霞草を植えた時みたいにさ」
静の提案に、セリナが一番に顔を輝かせた。
「はい! フォルティナさんやフレイアさんとまた一緒に土に触れられたら、種もきっと喜びます」
「……あの時の土の温かさ、今でも覚えています」
フォルティナは自分の手を見た。
領主として常に街を守る責任を背負っているこの手が、この場所ではただ一つの命を育むための手になれる。
「いいわね。また明日の朝、あの穏やかな作業をしましょうか」
フレイアも悪戯っぽく笑って腕をまくった。
◆◆◆
翌朝
夏の清々しい朝の光の中、庭の一角で、セリナ、フォルティナ、フレイアの三人が並んでいた。
マルはすでに到着していて、植え付け予定の場所の土を、前足でちょんちょんと叩いて整えていた。
「ぷぅ」
「マル、準備してくれていたの?」
フォルティナが微笑むと、マルは「ぷぷぅー!」と得意げに鳴いた。
「ふふ。では、始めましょうか」
セリナがスコップを手に取り、ふかふかになった土に穴を掘り始める。
フォルティナが隣で土を均し、フレイアが苗の根を丁寧にほぐしていく。
三人の作業は、不思議なほど自然に噛み合っていた。
「セリナさん、こちらの深さはどのくらいが良いでしょうか」
「このくらいで大丈夫だと思います。根が広がりやすいように、少し広めに掘っていただけますか」
「分かりました」
フォルティナがスコップを受け取り、土を整える。
言葉を交わすたびに、二人の距離がほんのわずかに縮まっていく。
あかねが「きゅ」と鳴いて、セリナの足元に寄り添った。
ルゥはフォルティナの隣でちょこんと座り、「くぅ」と短く鳴いた。
「ルゥも手伝ってくれているの?」
フォルティナが問いかけると、ルゥは「くぅ」と返して、植えたばかりの土にそっと前足を置いた。
(……なんだか、温かい)
フォルティナの胸の奥に、説明できない安らぎが広がった。
苗を植え終え、三人が立ち上がる。
「……セリナさん」
フォルティナが、土で汚れた手を見ながら静かに言った。
「はい」
「私は……この屋敷の外から静さんたちを守ることしかできません。でも……あなたは、毎日この場所で静さんの傍にいられる」
セリナは少しだけ、胸の奥がちりりとするのを感じた。
「……でも、フォルティナさんがいなければ、この平穏は守れません。私にはとても、できないことです」
二人はしばらく、並んで植えたばかりの苗を見つめた。
対立ではない。
優劣でもない。
同じ人を大切に思う者同士の、澄んだ連帯感。
それは言葉にしなくても、二人の間にはっきりと在った。
「……仲良くやれそうね、二人は」
少し離れた場所で作業を見守っていたフレイアが、静かに呟いた。
その声は二人には届かないくらいの、小さな独り言だった。
◆◆◆
作業を終え、土で汚れた手を笑い合いながら洗う三人。
静が淹れた冷たいお茶を飲みながら、まだ見ぬ芽に想いを馳せる。
縁側では、マルがふかふかになった土を満足そうに眺めながら「ぷぅ」と鳴いていた。
「マル、ありがとうね。おかげで良い土になったよ」
静が声をかけると、マルは「ぷぷぅー!」と胸を張った。
「いい夏になりそうだね」
静の言葉に、フォルティナとセリナは同時に頷いた。
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
それが自然にできたことが、二人にとって少しだけ、嬉しかった。
屋敷の空気は、より一層柔らかく溶け合っていった。
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もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
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