第十話 分け合う光、広がる循環
リシェルから託された未知の種を植え終えた朝、屋敷の庭には昨夜の語らいの余韻を包み込むような、穏やかな光が満ちていた。
作業を終えたセリナ、フォルティナ、フレイアの三人はテラスの椅子に深く腰を下ろしていた。
「……ふぅ。土の温もりが、まだ手に残っているような気がします」
フォルティナが洗い立ての自分の掌を慈しむように見つめる。
領主としてペンを握り、重い責任を背負って書類と格闘する日々。
けれど今この瞬間、彼女の心を満たしているのは、一つの命を土に預けたという、ささやかで確かな充実感だった。
「良い運動になったわね。お腹が空いてきちゃった」
フレイアが伸びをしながら笑う。
その足元ではマルが「ぷぷぅー!」と誇らしげに鳴き、あかねとルゥが朝の追いかけっこに興じており、ツキがそれを見守るように縁側に座っていた。
「皆さん、お疲れ様でした。冷たいお茶をどうぞ」
静が結露したガラス瓶とグラスを盆に乗せて運んできた。
注がれた果実水がカランと氷の音を立てる。
「……静さん。この場所は本当に不思議ですね。ただ土に触れているだけなのに……心の淀みが洗い流されていくようです」
「それは良かったです。……せっかくですし、今日のお昼ごはんの材料、自分たちで採取してみませんか?」
「採取、ですか?」
フォルティナが目を丸くする。通常、彼女のような立場の人間が自ら食材を採りに行くことなどあり得ない。
「庭の畑の野菜も、果樹園の果実も、今が一番美味しい時期なんです。自分で選んで採ったものって、なんか美味しく感じますよね。ちょっとしたイベント気分でどうかな、と思って」
静の気負わない提案に、二人は顔を見合わせた。
「……面白いわね。ティナ、領主様が泥にまみれて野菜を収穫するなんて、王都の貴族が聞いたら卒倒するわよ」
フレイアが悪戯っぽく笑うと、フォルティナも瞳を輝かせた。
「ふふ、それも一興かもしれませんね。静さん、ぜひお願いします」
◆◆◆
一時間後、一行は屋敷の裏手に広がる果樹園と畑にいた。
フォルティナとフレイアは、セリナから借りた作業用の手袋をはめ、小さな籠を手にしている。
アリアとフィアはすでに先行して果樹園の奥へ入っており、ミレイアが静の隣で採れた野菜の状態を確認していた。
リーナはというと、少し離れた場所でメモを手に畑全体を観察している。
「リーナ、何を書いているの?」
フィアが戻ってきながら覗き込むと、リーナは静かに答えた。
「マルが歩いた後の土壌の変化よ。先週と比べて、根の張り方が明らかに違う」
「ぷぷぅー!」
名前を出されたのが分かったのか、マルが「ぷぅ!」と誇らしげに鳴いて胸を張った。
「……相変わらず、自覚はないのよね」
リーナが呟きながら、マルの頭をそっと撫でた。
マルは目を細めて「ぷぷぅー」と鳴き、またリーナの足元でごろりと転がった。
「フォルティナさん、そのトマトはもう収穫時ですよ。ヘタの近くまで赤くなっているのが甘い証拠です」
セリナが隣で優しく教える。
フォルティナは教わった通り、指先で真っ赤な実をそっと捻った。
「……採れました。なんだか、宝石を扱っているような気分ですね」
「ふふ。フォルティナさん、そっちの大きいのも良さそうですよ。ほら」
セリナが隣の株を指差すと、フォルティナはその実に手を伸ばした。
二人の手が、ほんの少しだけ重なりそうになる。
「あ、すみません」
「いいえ、こちらこそ」
二人は顔を見合わせて、小さく笑った。
その時、縁側から見守っていたツキが「にゃ」と短く鳴いて、ゆっくりと二人の方へと歩いてきた。
「あら、ツキちゃんも来たのですか?」
フォルティナが屈み込むと、ツキはセリナとフォルティナの間にちょこんと座り、二人を交互に見上げた。
「……なんか、認められた気がする」
セリナがそっと呟くと、フォルティナも静かに笑った。
「私もそう感じます」
ツキは「にゃ」と短く鳴いて、また前を向いた。
「ハル、あっちの枝の実をお願いできるかな?」
静が空を仰ぐと、ハルが「ひゅん!」と短く鳴いて翼を広げた。
柔らかな風が木々を揺らし、熟した果実がフォルティナの差し出した籠の中へ、吸い込まれるように落ちていく。
「あら、ハルちゃん。ありがとう」
「ひゅるぅ」
ハルが甘えるようにフォルティナの肩をかすめ、一同の間に柔らかな笑い声が広がった。
◆◆◆
収穫したての食材を抱え、台所での共同調理が始まった。
「フォルティナさん、キュウリの皮はこのように薄く剥くと食感が良くなりますよ」
「こうですか?」
「はい、上手です。フレイアさんは、そちらの果実を小さく切り分けていただけますか?」
セリナが手際よく指示を出しながら、自分も野菜を切り進める。
フォルティナはセリナの隣に並び、慣れない手つきながらも丁寧にキュウリを刻んでいった。
「……領主邸の料理長に見られたら、一生の不覚と言われそうですね」
「いいじゃない。私たちは今、ただの『友人』としてここにいるんだから」
フレイアが楽しそうに果実を刻む。
その時、台所の入り口からツキがひょいと顔を出した。
静かな目で台所全体を見渡してから、セリナとフォルティナの間にするりと入り込んでくる。
「ツキ、台所は危ないですよ」
セリナが言いかけたが、ツキはすまし顔で二人の間に座り込んだ。
「……追い出せないわね、これは」
フォルティナが苦笑する。
セリナはしばらくツキを見てから、こっそりと切り分けたキュウリの端切れを差し出した。
ツキはそれを器用に口に運び、満足そうに目を細める。
「内緒ですよ、ツキ」
セリナが小声で言うと、フォルティナも小さく笑いながら、自分の手元にあったトマトの端切れをそっと差し出した。
「私からも、どうぞ」
「にゃ」
ツキは静かに受け取り、二人を交互に見てからまた前を向いた。
「……ふふ。なんだか、仲間に入れてもらえた気がします」
フォルティナが小さく呟いた。
「私も、そう思います」
セリナが微笑んで、また包丁を動かし始めた。
少し離れた場所では、静が石窯でパンを焼きながら二人の様子を横目で見ていた。
何も言わない。
ただ、良かったな、と思った。
「静、そっちのパン、いい匂いしてる! もうすぐ焼けそう?」
フィアが顔を出すと、静は「あと少し」と穏やかに答えた。
「ミレイア、フォルティナさんたちに採れたての果実でデザートを作るって言ってたやつ、手伝う!」
「ありがとう、フィア。じゃあそっちの果実を潰してくれる?」
ミレイアとフィアが並んでデザートの準備を始め、アリアが「何か手伝うことある?」と静かに声をかける。台所は静かに賑やかになっていった。
◆◆◆
テラスに並べられたのは、静が石窯で焼き上げた香ばしいパンと、フレッシュな野菜サラダ、そしてミレイアとフィアが作った果実の冷たいデザート。
自分たちの手で整えた昼食を口にした瞬間、フォルティナとフレイアは同時に感嘆の息を漏らした。
「……美味しい。本当に、美味しいですね」
それは味覚の満足だけでなく、自らの手で土に触れ、風を感じ、仲間と共に作り上げたという充実感が、心に深く染み渡る味だった。
「ここは……本当に、空気ごと休めますね、静さん」
フレイアが果実水を一口飲み、遠くを見つめて呟く。
王都での重圧やギルドの責任が、このテラスを吹き抜ける夏の予感を含んだ風に溶けて消えていくようだった。
「フィアとミレイアのデザートも美味しかったわ」
アリアが静かに言うと、フィアが「でしょ!」と声を弾ませた。
「ミレイアが果実の選び方を教えてくれたの。甘いのを選ぶコツがあるんだって」
「フィアが上手に潰してくれたおかげよ」
ミレイアが穏やかに笑う。
リーナはデザートを食べながら、静かに言った。
「……採れたてのものは、魔力の残り方が違うのかもしれないわ。味に直結している気がする」
「リーナが料理の話をするの、珍しいわね」
アリアが少し目を丸くすると、リーナはわずかに視線を逸らした。
「……観察よ」
足元で、マルが「ぷぅ」と短く鳴いた。
◆◆◆
陽が傾き、空の色が深い紫へと移り変わる頃。
庭の東側の花壇に植えられた星霞草が、淡い銀色の光を放ち始めた。
最初は一輪、また一輪。それが瞬く間に広がり、庭全体を霞のような幻想的な輝きが包み込んでいく。
「……何度見ても、息を呑む美しさですね」
フォルティナが光の海を見つめ、名残惜しそうに呟く。
その横顔を見て静は穏やかに切り出した。
「フォルティナさん。もしよければ……この星霞草、少し持っていきませんか? フォルツの庭にも合うと思うんです」
「えっ……よろしいのですか? 希少なものだと聞いておりますが……」
「いいんですよ。この屋敷の空気に馴染んで、少し元気が良すぎるくらいですから。鉢植えにして領主館の窓辺に置けば、フォルツの夜も少しだけ明るくなると思うんです。……お裾分けですよ」
静が微笑みながら、あらかじめ用意していた鉢植えを差し出す。
そこにマルがとてとてと近寄ってきて、土を「ぷぷぅー!」と誇らしげに叩いた。
元気を分けているようだった。
「……ありがとうございます。静さんの優しさを大切に持ち帰りますね」
フォルティナは幻想的に光る鉢を嬉しそうに受け取った。
その隣で、セリナが静かに微笑んでいた。
(フォルツにも、この光が届く。それはなんだか、少し嬉しい)
独占したいという気持ちよりも、この光がもっと広がっていくことへの、純粋な喜び。
セリナはその想いを、そっと胸の奥に大切にしまった。
◆◆◆
夕闇が降りる直前、静の転移によって二人はフォルツの宿の隠れ部屋へと送り届けられた。
領主館に戻ったフォルティナは、一番に執務室の窓辺へ向かう。
そこへ、株分けされた星霞草をそっと置くと
殺伐としがちな書類の山に囲まれた部屋に、屋敷の庭と同じ、霞のような銀色の光が灯る。
その柔らかな輝きに照らされた瞬間、フォルティナの肩からふっと力が抜けた。
(……いい夏になりそうですね、静さん)
窓の外、穏やかに眠りにつこうとしているフォルツの街並みを眺めながら、彼女は静の言葉を反芻した。
今日、土に触れた。
風を感じた。
仲間たちと笑い合った。
そして、セリナと並んでツキに端切れを差し出した、あの小さなひとときを。
屋敷から持ち帰った銀色の光が、静かに部屋へ広がっていた。
静かに、けれど強く輝き続けている。
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物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
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