第五話 賢王の贈り物と領主の防波堤
王都からの定期便がフォルツの領主館に到着したのは、春の陽光が石畳を淡く照らし始める昼下がりのことだった。
馬車から降り立ったのは、見慣れた金髪の人物。
「ティナ、久しぶり。荷物、一緒に持ってきたわ」
フレイアが軽やかに言いながら、御者から木箱を受け取る。
側面には王家の紋章が刻印された封蝋が施されていた。
「フレイ……! 定期便に同乗していたんですか?」
「ちょうど王都の用件が片付いたところだったの。どうせなら直接持ってきた方が早いでしょう」
フレイアはそう言ってさらりと笑った。
内心では、この品物の重要性を考えれば信頼できる人間が直接届けるべきだと判断していたのだが、それは口にしない。
二人は連れ立って、領主館の広間へと向かった。
◆◆◆
「開けてみましょうか」
封蝋を解きフォルティナが蓋を持ち上げる。
箱の中には厳重に梱包された品々と、一通の親書が入っていた。
最初に目に入ったのは、薄く削り出された板状の資材だった。
光を受けてうっすらと青みがかった銀色に輝いている。
「これは……」
「魔力伝導率を極限まで高めた建築資材よ。グランヴェル帝国の職人が作る一級品ね」
フレイアが手袋をはめた指先でそっと触れながら言った。
「通常の石材よりはるかに魔力伝導性が高い素材よ。屋敷の壁や床に組み込むと、空間全体の魔力循環が格段に安定するわ。……あの屋敷に使えば、どうなることかしらね」
「それは……」
とフォルティナは思わず言葉を止めた。
あの庭が、あの空気が、さらに豊かになる。
想像するだけで、胸の奥が静かに温かくなった。
次に出てきたのは、薄く折り畳まれた布だった。
広げてみると、繊細な銀の糸が縦横に編み込まれている。
「魔法銀の遮光布ね。直射日光や魔力干渉を遮断しながら、適度な光と空気は通す。温室や保存庫に使われることが多いけれど……植物の育成にも非常に向いているわ」
「植物に?」
「ええ。繊細な品種ほど、余分な魔力の影響を受けやすいの。これで覆えば、王都でも育てるのが難しいと言われる植物が安定して育つそうよ」
フレイアが静かに続ける。
「陛下は、あの庭のことを考えてお選びになったのでしょうね」
フォルティナは小さく頷いた。
最後の小箱を開けると、湿った苔に包まれた小さな苗が三本、丁寧に並んでいた。
「これは……見たことがない品種ですね」
「セレニア自治連邦の山岳地帯に自生する『星霞草』よ」
フレイアが苗を覗き込みながら言った。
「夏の夕暮れ時に、霞のような淡い光を放つと言われているわ。栽培が非常に難しくて、王都の植物園でも数株しかないはずなのだけれど……」
「それを、陛下が」
「『彼の地の庭を彩る一助となれば』、ですって」
フォルティナは親書を手に取り、流麗な文字を目で追った。
賢王ルシエルの言葉は短く、しかし確かな敬意が込められていた。
静の存在を公にせず、それでいて平穏を乱さない範囲での最大限の配慮。
(陛下は……本当に、分かっていらっしゃる)
フォルティナは深く息を吐き、連絡板を取り出した。
指先でゆっくりと文字をなぞる。
【フォルティナ:陛下から品物が届きました。屋敷に役立てていただければとのことです。珍しい植物の苗も含まれています】
間もなく、板が淡く光った。
【静:……それは、ありがたいですね。苗、すごく嬉しいです。陛下によろしくお伝えください】
【フォルティナ:はい。必ず。近いうちにお届けに上がりますね】
静のいつもと変わらない無欲で穏やかな返信
フォルティナはそれを確認して一度だけ柔らかく微笑んだ。
その時、広間の扉が静かにノックされた。
「失礼いたします、フォルティナ様。バルトス子爵閣下がお見えになっております。視察のご予定とのことで……応接室にてお待ちいただいております」
執事長のロベルトが、控えめに告げた。
フォルティナの表情が、わずかに引き締まった。
「……分かりました。すぐに参ります」
連絡板を懐にしまい、立ち上がる。
フレイアが静かに言った。
「私は執事長と検品の続きをしておくわ。……行っておいで、ティナ」
「ええ」
短く頷いて、フォルティナは応接室へと向かった。
◆◆◆
「――それで、フォルティナ卿。この街の急速な復興の源について、改めてお聞きしたい」
応接室で対峙しているのは、バルトス子爵だった。
王都では噂話が好きで、他領の事情に首を突っ込むことで知られている人物だ。
彼は興味津々な目をぎらつかせ、手元の書類を叩く。
「魔素浸食熱の被害が、他領に比べてあまりに軽微だ。それどころか、下町の活気は以前を上回っている。……何か、特別なお力添えでもあるのではないかな?」
「そのようなことはございません、子爵」
フォルティナは揺るぎない所作で紅茶を差し出した。
「すべては、神官たちの献身的な努力と、領民たちの団結の結果です。加えて、王都から迅速に届けられた支援物資のおかげですわ。陛下のご慈悲に、皆が救われたのです」
「……しかし、噂では銀髪の治療師や光り輝く手を持つ者の目撃談が絶えないが?」
「ああ、それは巡回治療に当たっていた聖女見習いたちのことでしょう。不穏な時期には、人々の目に希望が過剰に映るものですわ。私自身、彼女たちの働きには感謝しております」
フォルティナは、静の名前どころか、彼に繋がる一切の端緒を出さない。
言葉の端々に『陛下の功績』を織り交ぜることで、子爵がそれ以上踏み込めない空気を自然に作り上げていく。
子爵は話題を変えながら、何度か別の角度から探りを入れてきた。
そのたびにフォルティナは穏やかに、しかし確実に話を収めた。
嘘はない。
ただ、伝える必要のないことは、伝えない。
一刻ほどの問答の末、決定的なものを掴めなかった子爵は、少し拍子抜けしたように席を立った。
「……なるほど。フォルツの領主殿は噂通り、優秀な方のようだ。では、また機会があれば」
「ええ、ぜひ。道中お気をつけて」
フォルティナは最後まで笑顔を崩さなかった。
◆◆◆
馬車が走り去る音を聞き届け、フォルティナは応接室の扉を閉めた。
廊下を歩いて執務室へ戻る。
その足取りは外から見れば普段通りだったが、肩に積み重なった重さは確かにあった。
執務室の椅子に深く身体を沈め、小さく長い息を吐く。
そこへ扉が軽くノックされる。
「……お疲れ様、ティナ。上手くやったわね」
フレイアだった。
検品を終えた後、どこかで一部始終を見ていたのだろう。
それ以上は言わず、静かに扉を閉めて出ていく。
フォルティナは少しだけ肩の力を抜いた。
(……見ていてくれたのね、フレイ)
ふと、自分の髪飾りに触れた。
指先に触れる黒晶の冷たさが、ささくれた心を静かに鎮めてくれる。
(静さんの平穏は……私が守ります)
声には出さない。
その決意を胸の奥に深く刻み込む。
静は今頃、届いた苗をどこに植えようか、セリナや幼体たちと相談しているだろう。
そんな世界の喧騒とは無縁な、ありふれた温かな時間が続いていくこと。
それが自分に与えられた使命なのだと、フォルティナは静かに確信していた。
窓の外では、春の風がフォルツの街を穏やかに吹き抜けていた。
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