第四話 研ぎ澄まされる感覚、守護者の矜持
フォルツでの治療支援から戻り、屋敷にまた穏やかな日常がいつものように流れていた。
空白地帯の春は街よりもどこか瑞々しく、静寂の中に確かな生命の息吹を感じさせる。
庭では瑠璃星草が朝の光を受けて揺れ、マルが満足そうに畑の周りをとことこと歩いていた。
「――よし、準備はいいわね」
アリアが背中の剣を確かめながら、仲間たちに声をかけた。
今日は春先に活発になった周辺の魔物の動向を確認するための、定期的な調査の日だ。
玄関先には、《ルミナ・ヴェール》の四人が冒険者としての装備を整えて立っていた。
「きゅ?」
「……くぅ」
その足元で、あかねとハルが期待に満ちた目で四人を見上げている。
自分たちも連れて行ってほしいと言わんばかりに、あかねはアリアのブーツの先に鼻先を押し付け、ハルはフィアの周りを軽やかに跳ねた。
アリアはふっと表情を和らげ、膝をついてあかねの目線に合わせる。
「ごめんね、あかね。今日は調査だから、私たちだけで行くわ。あなたたちは静と一緒に、お留守番をお願いできる?」
「きゅ……」
あかねが耳を垂らし、残念そうに喉を鳴らす。
その様子を見ていたツキが、そっとあかねの隣に歩み寄った。
「にゃ」
短く鳴いて、あかねの小さな頭を前足でそっと撫でる。
あかねはツキの温もりに甘えるように目を細め、少しだけ納得したように小さく鳴き返した。
四人の姿が森の入り口へと消えていく。
静はその背中を見送ってから、足元のあかねたちを見渡した。
耳を垂らしたあかね。
尻尾をゆっくり揺らすルゥ。
まだ四人の消えた方向を見ているハル。
静の足元でぽてっと座ったマル。
その時ツキが静の肩にひょいと飛び乗った。
「にゃ」
静の耳元で短く鳴いて、セリナの方をちらりと見る。
(……そうだな)
静はセリナへ目配せした。
「帰ってきた時に、何か美味しいもので迎えてあげようか。みんなで果実園に行って、何か採ってこない?」
セリナの目が、ぱっと明るくなった。
「……行きましょう、静様」
ツキが静の肩の上で満足そうに鳴いた。
「にゃ」
◆◆◆
森の奥、魔物の気配が濃くなる場所で《ルミナ・ヴェール》は静かに動いていた。
「――来るわよ」
アリアの鋭い一言と同時に、藪を割って魔物が飛び出す。
その瞬間のアリアの動きは、これまでの彼女を知る者がいれば目を見張っただろう。
無駄のない足運び。
鋭く振り抜かれた剣筋は、以前よりも一回り速く、正確に魔物の急所を捉えた。
「フィア、右!」
「了解!」
指示が飛ぶより早く、フィアは跳んでいた。
いつもより半歩速い。
まるで背中に羽が生えたかのように体が軽く、魔物の攻撃を紙一重で見切って、カウンターの一撃を叩き込む。
(……なんか、今日めちゃくちゃ動きやすい。気のせいかな?)
フィアは内心で首を傾げながらも、止まらない体のキレに驚いていた。
◆◆◆
一方その頃、静の支配エリアの奥にある果実園では
「わあ……!」
セリナが思わず声を上げた。
木々の間に広がる果実園は、春の日差しを受けて柔らかく輝いていた。
赤く熟した木苺、艶やかな青林檎、黄金色に輝く小ぶりな洋梨。
どれもがまるで宝石が実っているかのように瑞々しい。
「好きなの採っていいよ」
静が籠を差し出すと
「きゅ!」
あかねが鳴いて真っ先に駆け出した。
「あかね、待って待って」
セリナが笑いながら後を追う。
あかねは赤い木苺の茂みの前で立ち止まり、鼻をひくひくさせながら一粒を前足でちょんと叩いた。
「きゅ」
「これが良いの? じゃあここから採りましょうか」
ルゥは静の隣でちょこんと座り、静が籠に果実を入れるたび
「くぅ」
と相槌を打っていた。
まるで作業を見守る小さな監督のようだった。
ハルは果実園の上空を軽やかに旋回しながら、どこが一番実りが良いかを風で探るように飛んでいた。
「ひゅん」
一声鳴いて、奥の木を指し示すように風を送る。
「あっちに良さそうなのがある?」
静が向かうと、確かに一際大きく実った青林檎の木があった。
「ハル、ありがとう」
「ひゅん」
ハルが嬉しそうに尾を振った。
マルはというと、果実園の土の上をとことこと歩きながら、時折前足で地面をちょんちょんと叩いていた。
マルが歩いた後は土がふかふかと柔らかくなり、木の根元に自然と水分が行き渡っていく。
「ぷぅ」
「マルはお手伝いしてくれてるんだね」
静が微笑むと
「ぷぷぅー」
とマルは得意げに鳴いた。
ツキは静の肩の上から、果実園全体をゆっくりと見渡していた。
あかねが茂みに突進し、ルゥが静の隣でちょこんと座り、ハルが風を読んで飛び、マルが土を整える。
それぞれが自分のやり方で動いている。
「にゃ」
短く満足そうに鳴いた。
◆◆◆
森の奥では調査が続いている。
後方で魔力制御を行うリーナも、今日の変化を感じていた。
「――《ウィンドシールド》」
呟くような詠唱
形成された魔力の壁には一切の無駄がなく、最小限の魔力で最大限の強度を保っている。
意識を集中すれば、以前は掴みきれなかった魔力の流れが、指先に吸い付くように形を成していく。
ミレイアはその光景を見守りながら、仲間の体調に合わせて補助魔法を編み上げていた。
潤晶から溢れる清らかな波動が、自分の魔力と共鳴するのを感じる。
(浄化の精度が、以前とは比較にならない。それに……これだけ動いても、みんなの疲れが目に見えて少ないわ)
ミレイアはそっと、自分の髪に飾られた青い潤晶に触れた。
以前の自分たちであれば、数体の魔物を相手にしただけで多少の息切れがあったはずだ。
だが今はまるで澄み切った水の中で動いているような、心地よい軽やかさだけがそこにあった。
◆◆◆
屋敷の台所では甘い香りが広がり始めていた。
「静様、生クリームの固さはこのくらいでしょうか」
「うん、いい感じ。もう少しだけ泡立てて」
静とセリナが並んでロールケーキを作っている。
スポンジが焼き上がる間、収穫してきた果実を丁寧に切り揃える。
「わあ、良い香り……」
セリナが目を細めた。
その足元では、あかね、ルゥ、ハル、マルが一列に並んで、オーブンの方をじっと見つめていた。
「まだですよ、みんな」
セリナが微笑みながら言うと……
「きゅ」「くぅ」「ひゅん」「ぷぅ」
四匹がほぼ同時に鳴いた。
静が思わず吹き出した。
「せっかくだから、お供えもしようか」
セリナの顔がふっと柔らかくなった。
「……はい。女神様にもお裾分けですね」
焼き上がったロールケーキを一切れ丁寧に皿に盛り、セリナが礼拝堂へ向かう。
ツキが音もなくその後ろをついてきた。
静かな空間に灯りが揺れる中、セリナは祭壇に皿を置いて静かに手を合わせた。
「今日も、みんなで楽しく過ごせました。ありがとうございます」
ツキはセリナの隣で静かに祈りが終わるまで座っていた。
セリナが目を開けると、ツキが一声鳴いて、静かに立ち上がった。
「にゃ」
「……一緒に祈ってくれたの?ありがとう、ツキ」
セリナが小さく微笑む。
◆◆◆
「みんな、おかえり。お疲れ様」
屋敷に帰り着いた四人を迎えたのは、甘い香りと、静の穏やかな声だった。
玄関ではツキを先頭に、あかね、ルゥ、ハル、マルが一列に並んで四人を待ち構えていた。
「きゅ!」
あかねが真っ先にアリアへ駆け寄り、ブーツの先に鼻先をすり寄せた。
「……ただいま。ちゃんと待っててくれたのね」
アリアが自然にしゃがみ込んで、あかねの頭をそっと撫でた。
「ぷぅ」
マルがと鳴いてリーナの足元に近づき、そのままごろりと横になった。
「……なんであなたがここに」
リーナが呟くと、マルは満足そうに目を細めた。
リーナはしばらくマルを見てから、ペンダントをそっと握った。
「くぅ」
と鳴いてルゥがミレイアの足元に寄り添い
「ひゅん」
ハルがフィアの周りを嬉しそうに旋回する。
「ハル! ただいまー!」
フィアが両手を広げると、ハルが風のように飛び込んできた。
「にゃ」
ツキは静の肩にひょいと飛び乗り短く鳴いた。
「みんなのお姉ちゃん、おつかれさま」
静が笑いながら、ツキの顎をそっと撫でた。
「……みんな、良い子にしてたの?」
ミレイアが優しく聞くと、五匹がほぼ同時に誇らしげに鳴いた。
「きゅ!」「くぅ!」「ひゅん!」「ぷぷぅー!」「にゃん!」
「実はね」
静が少し笑いながら言った。
「みんなで果実園に行って、果物を採ってきたんだよ。帰ってきた時に食べてもらおうと思って」
「え、本当に?」
フィアが目を輝かせた。
「ロールケーキ、作ってあります」
セリナが台所から顔を出した。
「……っ、セリナ最高!!」
フィアが叫んだ。
アリアが少し目を細めて、あかねを見た。
「あかね、お前たちが果物を採ってきてくれたの?」
「きゅ!」
あかねが胸を張った。
「ぷぷぅー」
とマルが追いかけるように鳴き
「ひゅん!」
とハルが得意げに旋回した。
「にゃん」
とツキが静かに一声加え
「くぅ」
とルゥだけは穏やかに鳴いて、ミレイアの足元で丸くなった。
「……みんな、ありがとうね」
アリアが静かに言うと、五匹がまた一斉に鳴いた。
縁側に腰を下ろし、冷たいお茶とロールケーキを囲みながら、四人はそれぞれが抱いた『小さな違和感』を言葉にしていた。
アリアがリーナにだけ聞こえるような小声で切り出した。
「……リーナ、なんだか今日は体が思い通りに動くの
……炎晶、使えてる気がする」
リーナはカップを持ったまま、少し驚いたようにアリアを見た。
「……アリアも? じつは、私もなの。土晶が、魔力の制御を助けてくれてる……
なんとなく、だけど」
「ねえねえ!」
フィアが弾んだ声を上げて、二人の間に割って入った。
「今日、私めちゃくちゃ動けた気がする! 身体がすっごい軽くて
魔物の動きがスローに見えたっていうかさ!」
ミレイアが穏やかに微笑みながら、静かに言葉を添えた。
「……私も。不思議なくらい、疲れなかったわ。
魔力の循環がいつもよりずっと綺麗だった」
四人は顔を見合わせ、それ以上は言わない。
ただ互いに小さく頷き合った。
「美味しい!!」
ロールケーキを頬張ったフィアが声を上げると
「きゅ!」
とあかねが便乗するように鳴いた。
「……また、明日から頑張れそうね」
アリアが短く呟く。
他の三人も静かに、けれど確かに頷き合った。
窓の外では春の風が庭を穏やかに吹き抜けていた。
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物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
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