第十話 星の欠片と重なる足跡
夜が明けきらぬ蒼い刻、礼拝堂の静寂の中でセリナは指先を髪飾りに触れた。
ひんやりとした黒水晶の感触が、昨日の出来事が夢ではないと教えてくれる。
(……ルーナフィリス様)
セリナは瞳を閉じ、内心で観測の女神へと語りかける。
いつもは一方的な報告だ。
けれど今日は、胸の奥に灯ったこの温かさを
どうしても伝えずにはいられなかった。
(静様から、この『黒晶の髪飾り』を頂いたのです。
私に似合うからと、一生懸命作ってくださって……
私、この灯りを一生大切にいたします)
報告を終え、いつものように目を開こうとした
その時だった。
『……大切になさい、セリナ』
風が撫でるような、透き通った声が耳朶を打つ。
セリナは驚きに目を見開いた。
慈愛に満ちた、まるで母が娘の成長を喜ぶような、柔らかな響き。
「……はい」
セリナは誰にともなく、けれど満面の笑みで小さく答えた。
黒晶の加護が、彼女の心に「自分の気持ちに正直でいていい」という
静かな勇気を与えてくれていた。
◆◆◆
キッチンでは静が朝食の準備を整えていた。
「あ、セリナ。おはよう。ちょうど今、サラダができたところだよ」
「おはようございます、静様。お手伝いしますね」
今朝のメニューは庭の畑で採れた完熟トマトとルッコラのサラダ、ハーブを練り込んだ自家製ソーセージ、そしてふんわりと焼き上げたパンだ。
静が手際よく調理を進める横で、セリナは温かなスープを器に盛り付けていく。
「ねえ、セリナ。調味料も少なくなってきたし
久しぶりにフォルツへ買い出しに行かない?
ちょうど旬の果物も出回る時期だし」
静の提案にセリナの心臓がトクン、と跳ねた。
「ええ……! はい、ぜひ。
今なら林檎や葡萄が美味しい季節ですから、良いですね」
◆◆◆
朝食の席で静が《ルミナ・ヴェール》の面々にも声をかける。
「みんなもどう? 一緒にフォルツへ行かない?」
すると、ミレイアが穏やかな笑みを浮かべて一番に口を開いた。
「あら、残念だわ。今日はあかね達を連れて
ルゥがいた鍾乳洞の先を調査しに行こうって話していたのよ。
ねえ、アリア?」
アリアは一瞬だけ目を瞬かせたが、ミレイアの意図を即座に読み取ると
口角をわずかに上げた。
「ええ、そうね。魔力の澱みが溜まりやすい場所だから、早めに見ておきたいわ。ごめんね、静。今日は二人で行ってきてもらえる?」
「あ、そうなの? 邪魔しちゃ悪いかな」
「全然! 私たちも調査に集中したいし、気にしないで!」
フィアが明るく笑って加勢し、リーナも
「……そういうことだから、セリナ」
リーナはちらりと静の方へ視線を向けてから、セリナに向き直った。
「買い出しリスト、抜けがないようにね」
静は首を傾げていた。
◆◆◆
「じゃあ、みんな気をつけてね」
静がアリアたち四人と、あかね、ルゥ、ハル、マルの四匹を
鍾乳洞の近くへと転移で送る。
四匹は自分と同じ属性の結晶がはめ込まれたアクセサリーを
アリアたちが身につけているのが嬉しいのか、甘えるようにじゃれついていた。
「にゃにゃ」
ツキが、出発前のあかねの前に歩み寄り、前足でトントンと彼女の脚を叩く。
『しっかり頑張るのよ』とでも言いたげな、お姉さんらしい仕草だ。
「きゅ!」
あかねも短い尻尾を振って、元気よく返事をした。
「にゃ」とツキが満足そうに鳴いて静の側に戻ってくる。
仲間たちを見送り屋敷に戻った静は、準備を終えたセリナへと向き直る。
「さて、僕たちも行こうか。セリナもツキも準備はいい?」
「はい、大丈夫です」
「にゃーん!」
◆◆◆
一瞬の浮遊感を経て、一行はフォルツ近郊へと降り立ち、活気ある街中の市場へと向かった。
広場には色とりどりの野菜や果物が並び、香辛料の刺激的な香りが鼻をくすぐる。
「あ、セリナさん! 久しぶりね!」
馴染みの露店の女性店主が、目ざとくセリナに気づいて声をかけた。
「あら……。その髪飾り、めちゃくちゃ素敵じゃない! 透き通った黒なんて、どこで手に入れたの? セリナさんの金髪に映えて、すっごく似合ってるわよ」
「……あ、ありがとうございます。これ、静様に頂いたんです」
セリナが少し頬を赤くして答えると、女店主は静をチラリと見て、ニヤリと笑った。
「やるわね、静さんも。こりゃ一本取られたわ」
「にゃ」
なぜかツキが胸を張り、静はどこまでも無自覚な様子で首を傾げていた。
買い物を進めるうち、お昼時が近づいてくる。
「何を食べようか。ツキ、どこかお勧めはある?」
ツキは鼻をヒクヒクさせ、しっぽをピンと立てて歩き出した。
「にゃにゃ!」
「ふふ、ツキは美味しいものには目がありませんから。
着いていきましょう、静様」
ツキの案内で、香ばしい匂いのする串焼き屋や、揚げたてのパイを売る露店を巡る。二人と一匹で賑やかに食べ歩きを楽しむ時間は
驚くほど穏やかで、満ち足りていた。
ふと、静が人混みの中でセリナの歩調に合わせ、呟いた。
「なんだかこうして歩いていると……ちょっと、デートみたいだね」
言ってから、静は少しだけ首を傾げた。
(あれ、変なこと言ったかな)
でも特に深い意味はなかったので、そのままにしたが
セリナにとっては心臓を直接揺さぶられたような衝撃だった。
「……っ。そ、そうですね。……他の方から見たら
そう思うこともあるかもしれませんね」
言葉はそこで終わったが、内心では冷静ではいられなかった。
(デート……今、静様がデートと……。ど、どういう意味でしょうか?
でも静様はそんな素振りもないですし……。でも、なんだか……)
慌て、悩み、けれど胸の奥で小さな喜びが弾けるのを感じて
セリナは視線を泳がせた。
セリナが少し上ずった声で答えたのを聞いて、静はまた首を傾げた。
(やっぱり変なこと言ったかな)
でも結局よく分からなかったので
「あ、林檎も見ていこうか」
と自然に歩き出す。
ツキはそんな二人を見上げて、誇らしげに「にゃー」と鳴いた。
◆◆◆
夕暮れ時、たっぷりの買い出し袋を抱えて屋敷に戻ると、連絡板が淡く光った。
【アリア:調査終了。そろそろ迎えをお願い】
静が迎えに行くと、あかねたちは遊び疲れたのか
アリアたちの腕の中で満足そうに眠っていた。
夕食の席では市場で見つけた果物を囲みながら
それぞれの「今日の一日」を報告し合う。
屋敷に流れる夜の時間は、一段と絆が深まったように温かかった。
その夜、ベッドに入ったセリナは、暗闇の中でそっと髪飾りに触れた。
脳裏に蘇るのは市場での静の言葉と
自分自身の戸惑い。
(デート……。たとえ静様に他意がなくても
私にとっては、とても大切な一日になりました)
セリナは幸せな溜息をつき、ゆっくりと瞳を閉じる。
窓の外では瑠璃星草が静かに、昨日よりも少しだけ明るく輝いていた。
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物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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