第7話
儀のあと、わたくしは陛下の私室に呼ばれた。
ルートヴィヒ殿下も一緒である。長椅子の端にちょこんと座って、膝の上で拳を握っておられる。
「望みを聞く前に、ひとつ話しておかねばならぬ」
陛下は、窓辺に立ったまま切り出された。
「ゆうべ申したとおり、王家の者はみな幼いうちに誓いを負う。だが、神殿が灯をともして見守るのは、王冠に関わる誓いだけだ。王太子の誓いだけ、と言い換えてもよい」
「では、ルートヴィヒ殿下の誓いは」
「今朝、灯がともった。印も置かれた。印は、誓いが関わる者に置かれる決まりでな」
陛下は、わたくしを見た。
「神官の水盤に映ったそうだ。そなたの上に、と」
わたくしは、頭の上のことは知らない顔をした。知っている顔をするわけにはいかない。
「……わたくしに、関わる誓いでございますか」
「そうなる」
「どのような」
「知らぬ」
陛下は、あっさりとおっしゃった。
「誓いの中身は、誓った本人と神殿しか知らぬ。王でも聞かぬのが決まりだ。明かすかどうかは、本人が決める」
わたくしは、長椅子の端を見た。
ルートヴィヒ殿下は、耳まで赤くなっておられた。
「殿下」
「言わない」
「まだ何も伺っておりません」
「言わない。絶対に、言わない」
12歳の王太子殿下は、そう言ったきり、膝の拳を見つめて動かなくなった。
「期限は、ルートヴィヒが18になる夜半の鐘」
陛下が続けた。
「6年だ」
6年。
10年を終えて、一晩休んで、次は6年。胸の内で足してみて、わたくしは少し気が遠くなる。
「さて、望みを申せ」
陛下は、何事もなかったようにおっしゃる。
北へ帰りたい。今朝までは、そう申し上げるつもりでいた。
けれど、誓いの中身がわからない。わたくしが北へ帰ったら、殿下の誓いは破れるのか、破れないのか。破れれば、王冠はまた行き場をなくす。ゆうべ兄君から転がり落ちてきた王冠を、今度はわたくしが蹴飛ばすことになるかもしれないのだ。
わからないうちは、動けない。
「恐れながら、陛下」
わたくしは膝を折った。
「ルートヴィヒ殿下の、教育係を務めさせてくださいませ」
殿下が、ばっと顔を上げた。
「10年、王妃教育を受けてまいりました。国の歴史も、宮中の作法も、諸国の言葉も。使い道がなくなってしまいましたので、どなたかに差し上げたく存じます」
陛下は、口元を手で覆われた。笑いをこらえておられるのだと、ゆうべで覚えた。
「よかろう」
そのとき、扉が叩かれた。
入ってきたのは、神殿で見かけた銀の口ひげの方である。
「失礼を。リーベルトにございます」
リーベルト公爵。ユリウス殿下の後見人で、第一王子派の筆頭。お名前だけは、王妃教育で何度も聞いた。
「陛下。お耳に入れたいことが。……おや、ヴァルデン嬢もおいででしたか。ちょうどよい」
公爵は、わたくしに丁寧すぎる礼をした。
「申し上げにくいことながら、婚約を解かれたご令嬢が、そのまま宮中にとどまるのは外聞がよろしくない。ましてや、ユリウス殿下が王冠を失われた夜の当事者でいらっしゃる。早々に、ご領地へお帰りになるのがよろしいかと」
親切そうな声だった。
ユリウス殿下の後見人が、わたくしを王宮から出したがっている。昨日まで王冠を戴くはずだった方の後見人が。
頭の上で、砂が細く落ちている。
「この娘は、今日からルートヴィヒの教育係だ」
陛下が、短くおっしゃった。
公爵は、ほんの一瞬だけ黙った。それから、また丁寧に礼をする。
「それは、それは。存じませなんだ」
◇
教育係の務めは、翌日から始まった。
ルートヴィヒ殿下は、聡い方である。地図を一度見れば国境を覚え、税の仕組みを一度聞けば、なぜその税が嫌われるのかまで言い当てる。兄君の前髪の魔法よりも、ずっと役に立つ頭をお持ちだ。
「姉上。この条約の三条目は、おかしくないか」
殿下は、わたくしを「姉上」と呼ぶ。兄の婚約者だったころからの呼び方で、今さら変える気はないらしい。
「どこが、おかしいと思われます」
「隣国にばかり得がある」
「ご名答。先々代の陛下が、戦を終わらせるために呑まれた条です」
殿下は満足げにうなずいて、次の頁をめくる。
誓いのことは、一度も口になさらない。わたくしも聞かない。ただ、頭の上の砂時計は、毎朝見上げている。6年分の砂の落ち方を、また一から覚えなければならないのだから。
6日目の昼下がりのこと。
回廊の向こうから、聞き覚えのある大声が響いてきた。
「エリシア! エリシアはどこだ! 生きておるのか!」
殿下が、羽根ペンを取り落とした。
わたくしは、目を閉じた。
父である。
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