第57話
陛下に、もう一度はじめてお会いすることになった。
妃の居室を出る理由はない。けれど、陛下の寝所に押しかける理由もない。わたくしは、毎朝、陛下が執務室へ向かう回廊の途中で、お待ちすることにした。
最初の朝、陛下は、わたくしの前で足を止めて、困った顔をなさった。
「何か、用か」
「いいえ。ご挨拶を」
「……毎朝、か」
「毎朝でございます」
陛下は、何か言いかけて、やめる。軽く会釈をして、通り過ぎていった。
2日目は、陛下のほうから声をかけてこられた。
「そなたは、私の何を知っている」
「たくさん」
「たとえば」
わたくしは、少し考えて、いちばん差しさわりのないものを選んだ。
「陛下は、照れると、耳が赤くなります」
陛下は、何も言わずに通り過ぎた。
すれちがいざまに見た耳は、しっかり赤い。
3日目には、栞の話をした。婚礼の朝に、わたくしが差し上げたものだと。陛下は黙って聞いて、その日の夕方、侍従に栞を返させてよこした。
添えられた短い手紙には、こうあった。
覚えていない者が、持っていてよいものではない。
わたくしは、栞を、陛下の机の上に戻させた。手紙は添えずに。
4日目の朝、陛下は、わたくしの前で足を止めて、それから、ふと目を上げる。
わたくしの顔ではなく、頭の上を。
しばらく見上げて、陛下は、自分で自分に驚いたような顔をした。
「……なぜ、私は、そなたの頭の上を見ている」
「わかりません」
わたくしは、なるべく平らな声で答えた。
「何か、ございますか」
「何もない」
陛下は、眉を寄せる。
「何もないのに、確かめたくなる。……おかしな話だ」
耳の先が、ほんの少し赤い。
わたくしは、笑ってしまわないように、扇で口元を隠した。
◇
ロッテは、父親に会うたびに、まっすぐ尋ねる。
「おとうさま、おかあさまのこと、思い出しましたか」
陛下は、そのたびに困った顔をして、娘の頭を撫でる。
「すまない」
「おかあさまは、毎朝、回廊で待っておられます」
「知っている」
「おとうさまは、毎朝、おかあさまの頭の上を見ておられます」
「……知っている」
娘は、それ以上は責めない。ただ、毎晩、わたくしの寝台にもぐりこんでくるようになった。
「おかあさま。王冠の中に、おとうさまの思い出があるの?」
「わからないの。見せていただけないから」
ロッテは、毛布の中で、しばらく黙っている。
◇
翌日の昼、ロッテは、ひとりで侍従長のところへ行った。
王女が、7つの祝いを済ませたばかりの子どもの顔で、宝物庫を見たいとねだったのだという。おとうさまの王冠を、近くで見てみたい、と。
ブラント伯は、それを断らなかった。
宝物庫の扉を開け、王冠の納められた箱の蓋を開けて、王女に見せてやったのだという。
「お父君は、大祭の日に、これを戴かれるのですよ」
「おとうさまは、そのとき、おかあさまのことを思い出しますか」
ブラント伯は、優しく笑って、王女の頭を撫でたそうだ。
「さあ。……思い出されなくとも、姫さまには、新しいお母君がおできになるかもしれませんね」
王女に、何も見えるはずがない。見えるのは、王妃ひとりだと、宮中の誰もが思っている。娘の目のことは、陛下とわたくしと、ミーナしか知らない。
夕刻、ロッテは、わたくしの居室に駆けこんできた。
「ありました」
息を切らしている。
「王冠のまんなかの、青い石の上に。おとうさまの頭の上のと、同じ大きさの砂時計が」
わたくしは、娘の肩をつかんだ。
「砂は」
「おとうさまのと、同じだけ」
◇
陛下に申し上げると、陛下は、長いこと黙っておられた。
「娘が、見たと言うのだな」
「はい」
「娘が見えることを、宮中で知る者は」
「陛下と、わたくしと、ミーナだけでございます」
それも、陛下は覚えておられなかった。ロッテが見えることを打ち明けた朝、わたくしもその場にいたのだから。
「……王冠を割れ、と言うのか」
「石を、割っていただきたいのです」
陛下は、窓の外を見た。
「あの王冠は、代々の王が戴いてきたものだ。……2度も、私はあれを賭けたと聞く。誰のためにかは、覚えていないが」
長い沈黙のあとで、陛下は言った。
「大祭まで、考えさせてくれ」
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