第48話
グラッセ公爵は、爵位と領地を召し上げられた。
禁制の魅了の香を、評定の間で使った罪。王妃の帯に、術を仕込ませた罪。扇の職人は、公爵家の金で偽りを申し立てたと白状した。
クラリッサ様は、北の果ての修道院へ移される。神殿の務めには、二度とつかない。誰の帯にも、もう触れることはない。
北へ発つ朝、クラリッサ様は、馬車の窓から一度だけ、わたくしを見た。顔ではなく、頭の上を。
何もないことを、確かめるように。
それきり、窓の帳が下ろされた。
軍務卿は、評定の間で、誰よりも先に膝をついた。この7日、公爵にうなずいた方々が、そのあとに続く。
「魅了の香とは知らず……面目もございませぬ」
「迷っておられたのでございましょう」
わたくしは言った。
「この10日、わたくしも、ずいぶん迷いました」
◇
神官長は、新しい帯を、ご自分の手で締めに来てくださった。
「生まれる前に解けば子が出ていく、と申しますが」
結び目を締めながら、神官長はしみじみと言う。
「出ていくどころか、あの日から、ずいぶんお元気に蹴られるそうで」
「ええ。帯を解いたのが、嬉しかったのかもしれません」
帯の上に、小さな砂時計がひとつ乗る。1日で落ちきる、ありふれた安産の術。
わたくしは、それを長いこと眺めていた。
◇
夏の初めに、陛下が尋ねた。
「見えなかったあいだ、怖かったか」
「はい」
わたくしは、正直に申し上げる。
「7歳の秋から、見えない日などございませんでしたので。……でも、陛下のお顔が、よく見えました」
陛下は、しばらく黙ったあとで、こう仰った。
「では、ときどき見えなくなってもいい」
「困ります」
「冗談だ」
陛下は笑って、わたくしの腹に手を当てる。中から、とん、と返事があった。
◇
子は、夏の終わりに生まれた。
娘である。
産婆の腕から受け取ったとき、わたくしは、癖で、まず娘の頭の上を見た。
何もない。
それから、顔を見る。皺だらけの、赤い、小さな顔。陛下と同じ形の眉をしている。
父が、北から干し鱈を担いで駆けつけた。産んだばかりの娘に干し鱈を持ってくる祖父がどこにおりますか、とミーナに叱られている。父は叱られながら赤子の顔をのぞきこみ、何も言わずに、目元を拭った。
ユリウス殿下からは、北の砦の帳面の切れ端に書いた手紙が届く。冬には、姪の顔を見に戻る、と。
◇
誕生の儀の日、陛下は、神殿の祭壇の前に立たれた。
王が子のために誓いを立てる習いは、この国にはない。神官長がそう申し上げると、陛下は「では、私が初めだ」とだけ仰った。
陛下は、誓いを立てるのがお好きでいらっしゃる。
祭壇の前で、陛下が、神官長にだけ聞こえる声で、何かを告げる。世継ぎに関わる誓いなので、神殿の奥に、また灯がともされた。
わたくしの腕の中で、娘の頭の上に、重さのない重さが乗る。
見下ろす。
両手で抱えるほどの砂時計。金の枠。白い砂。
「中身は、お聞きしません」
帰りの馬車で、わたくしは言った。
「聞かないのか」
「この子が、自分で聞けばよろしいのです」
陛下は、少し考えてから、うなずかれた。
もし、この子がわたくしの目を継いでいたら。7歳の秋に、頭の上のこれを見上げて、何だと思うだろう。
寿命だと思いこんで、10年、死ぬ支度をするかもしれない。
……さすがに、それは気の毒である。7歳になったら、教えてやろう。それは父上の誓いだから、中身は父上に聞きなさい、と。
◇
その夜、陛下が揺り籠をのぞきこんだ。
娘が、陛下を見上げて、声を立てて笑う。生まれてはじめての、笑い声だった。
「笑った。エリシア、私の顔を見て笑ったぞ」
陛下は、たいそうお喜びである。
わたくしは、何も申し上げずにおいた。
娘が見ていたのは、陛下のお顔より、少し上だった気がする。撫でつけた髪の上の、整髪の術の砂時計のあたり。
気のせいかもしれない。赤子は、よくそういう目をするものだと、ミーナも言う。
◇
翌朝、陛下は戸口で足を止めて、わたくしの頭の上を見上げた。
「何もないな」
「はい、何も」
天井の燭台にも、扉の錠にも、ちゃんと砂時計が乗っている。わたくしの頭の上にだけ、何もない。
陛下は、それから揺り籠をのぞきこんだ。
「こちらは」
「ございます。陛下の分が」
娘の頭の上には、砂時計がひとつ浮いている。
お読みいただき、ありがとうございました!
皆様にお願いです
ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に
応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪




