第47話
燭台のひとつひとつに、小さな砂時計。扉の錠に、ひとつ。宰相の眼鏡に、曇りどめの術がひとつ。下の撫でつけた髪の上に、整髪の術がひとつ。
10日ぶりの、わたくしの世界だった。
足もとに落ちた白い帯の上には、ふたつ。
それは、あとに回す。
卓の上の、7つの杯を見る。
3つの杯の上に、砂時計が乗っていた。
「左の端。真ん中。右から2つ目」
アルノーが、はじかれたように顔を上げた。ベルンハルト師が、杖を握りしめたまま、ゆっくりとうなずく。
「……そのとおりだ」
広間に、どよめきが戻る。
「当てずっぽうだ!」
公爵が、声を張り上げた。
「帯を解くなどという芝居で皆の気を引いて、当てずっぽうに――」
「公爵閣下」
わたくしは、公爵の胸もとを見ていた。
上着の内側の、小さな香袋。その上に、砂時計がひとつ乗っている。砂は、硝子の首まで詰まっていた。今朝かけ直したばかりの、満杯の砂。
「その胸の香袋に、術がかかっております」
公爵の手が、胸もとを押さえる。
「閣下が評定の間で口を開かれるたびに、甘い匂いがいたしました。身ごもってから、鼻だけはよく利きますの」
ベルンハルト師が、杖をついて卓を回りこむ。公爵の前に立ち、手を差し出した。
「拝見しよう」
2年前、魔術院の広間で、クラリッサ様の扇を受け取ったときと、同じ声である。
公爵は、動かない。近衛の騎士が、その上着の内側から香袋を外して、師の手に載せた。
師は、長くは黙っておられなかった。
「魅了の香だ。2年前の扇と、同じものだな」
広間の空気が、一度に冷える。
この7日、公爵の申し立てにうなずいてきた方々が、互いの顔を見合わせた。軍務卿は、腕を組んだまま、色を失っている。
「わしは……あの匂いに……」
「魅了の香は、迷う心を傾ける」
師が、低く言った。
「決まっておる心は、動かせん」
宰相が、ふと上座を見る。
「……それで、陛下だけが」
陛下は、何もおっしゃらなかった。耳が、燭台の灯りより赤い。
◇
わたくしは、足もとの帯を拾い上げた。
白い帯の上に、砂時計がふたつ。
ひとつは、毎朝見ていた、安産の術の小さな砂時計。
もうひとつも、同じ大きさをしている。同じ金の縁で、同じだけの砂を抱えて。一粒の違いもない。同じ朝に、同じ手でかけられた術は、砂の量がそろう。花祭りの夜、千の砂時計の中で覚えたことである。
「師。こちらも、お願いいたします」
師は、帯に手をかざして、今度は長く黙っておられた。
やがて、顔を上げる。
「……帳の術だ」
「とばり」
「ゼーレンの古い書で、一度だけ見たことがある。見える者に、帳を下ろすための術だ。かけられた者には、まず、この術の砂時計が見えなくなる。ひと晩かけて、ほかの砂時計も、ひとつ残らず見えなくなる」
師は、帯をわたくしの手に返す。
「身につけているあいだしか効かず、1日しかもたん。毎朝、かけ直す者が要る」
わたくしは、振り返った。
クラリッサ様は、修道女の灰色の衣のまま、壁ぎわまで下がっていた。
「今朝、この帯を締めてくださったのは、クラリッサ様でございます」
「わ、わたくしだけでは、ございません。神殿の者なら、どなたでも――」
「帯は、ゆうべからずっと、わたくしの腹に巻かれておりました。夜のうちに触れた者があれば、陛下がお気づきになります」
広間の何人かが、上座を見る。
陛下が、咳払いをひとつなさった。
「……誰も、触れていない」
「安産の砂と、帳の砂は、一粒違わずそろっております。今朝、同じ手で、同じときにかけられたものでございます」
クラリッサ様の顔から、修道女の穏やかさが、剥がれ落ちていく。
「どうして」
唇が、震えている。
「見えない石ころは、ただの石ころでしょう。どうして、石ころのくせに、帯を解こうなんて――」
「はい」
わたくしは、うなずいた。
「この10日、わたくしは、ただの石ころでございました」
広間が、しんとなる。
「砂時計の見えない石ころは、皆さまのお顔ばかり見ておりました。今朝の砂はいかがかと、はじめてお尋ねになったときの、クラリッサ様のお顔も」
近衛の騎士が、両脇からクラリッサ様の腕を取る。
公爵は、娘のほうを見なかった。2年前、魔術院の広間で娘の手を引いて出ていった方が、今度は、娘を見もせずに引き立てられていく。
わたくしは、白い帯を両手で胸に抱えた。
腹の中で、子がまた、とん、と蹴る。
天井では、数えきれない砂時計が、それぞれの速さで、それぞれの砂を落としていた。
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