第45話
アルノーの目の下には、隈ができていた。
献上品は、日に日に増えていく。生まれてくる子のための産着、揺り籠、銀の匙、木彫りの馬。アルノーはそのひとつひとつに手を当て、目を閉じて、術がかかっていないか確かめる。わたくしなら部屋に入ってひと目で済ませていたことに、アルノーは夜半までかかっている。
「少し、休みなさい」
「王妃陛下こそ」
アルノーは、木彫りの馬から手を離す。
「オルデン伯の氷室で、術を切らさずにかけつづけておりましたときより、ずっと楽でございます」
「ひとつ、聞いてもいいかしら」
「何なりと」
「身につけるものに術をかけたら、それを身につけている人にも効くの」
「効くように組めば、効きます。陛下の外套の防寒が、そうでございました」
アルノーは、指を1本立てた。
「ただし、身につけているあいだだけでございます。外套を脱げば、陛下は寒い。外せば、そこで終わりです」
◇
部屋に戻り、寝台の端に腰を下ろす。
考えなければならない。見えないのなら、考えるしかない。
2年、何も言ってこなかった公爵が、わたくしの目が消えて3日目の朝に、申し立てを持ってきた。
公爵は、知っていたのだ。わたくしが、見えなくなったことを。
評定の間の、甘い匂い。公爵が口を開くたびに増えていく、うなずく顔。2年前、娘の扇に魅了の香を封じた家である。同じ家は、同じ手を使う。
わたくしの目があれば、公爵の胸もとに何が乗っているか、評定の間に入った瞬間にわかる。
だから、先に、目を塞いだ。
見えなくなったのではない。見えなくされたのだ。
では、どこに。
師は、目には何の術もないと言った。ならば、目ではない。身につけているもの。それも、外せば終わる術なら、わたくしが決して外さないもの。
髪飾りは、毎晩外す。耳飾りも、指輪も。寝間着は、毎朝替える。
わたくしは、ゆっくりと腹に手を当てた。
子が生まれるまで、決して解かない帯。神殿の者のほかは、誰も触れられない帯。魔術院の師でさえ、手を出せない帯。
見える者の目を塞ぐなら、わたくしなら、どこに術を隠すか。
見える者が、毎朝自分の目で確かめて、安心している場所に。
思い出したことがある。
見えなくなる前の晩、燭台の砂が、いつもより薄く見えた。疲れのせいだと、気にも留めずに。
その日の朝も、クラリッサ様は、いつものように帯を締め直していた。
◇
「お嬢さま」
ミーナが、寝支度の湯を運んできた。
「ひとつ、申し上げてもよろしいですか」
「遠慮したことなんて、一度もないでしょう」
「では」
ミーナは、湯桶を床に置く。
「クラリッサ様のことでございます。近ごろ、帯に手を当てておられるのが、前より長うございます。前は、ひと撫ででございましたのに」
「近ごろって、いつから」
「お嬢さまが天井をお見上げにならなくなった、その前の朝からでございます。いつもより長いと思ったのを、覚えております」
わたくしは、息を止めた。
「……見ていたの」
「お嬢さまがご覧になれないので、わたくしが」
ミーナは、ぺこりと頭を下げて出ていった。
◇
陛下は、話を聞き終えるなり、立ち上がる。
「今すぐ、帯を解こう」
「なりません」
「なぜだ」
「今夜解けば、わたくしには結び直せません。神殿の結び方でございますから。明日の朝、解かれた帯を見れば、クラリッサ様は、気づかれたと知ります」
わたくしは、陛下の袖を引いて、座り直していただく。
「それに、確かめなければならないのは、わたくしひとりではございません。宮中の皆さまの前で、見えることを証さなければならないのです。公爵閣下の胸もとに、何が乗っているかも」
「では、どうする」
「明日の朝、いつものとおり、クラリッサ様に帯を締めていただきます」
陛下が、眉をひそめた。
「術を、かけ直させるのか」
「はい。今朝かけたばかりの術を、今朝帯を締めた方の前で、解いてお見せします」
陛下は、しばらく黙っておられた。
「外れていたら」
「そのときは、宮中の皆の前で神殿の帯を解いた、不吉な王妃でございます。おまけに、見えない石ころの」
「それでもいい」
陛下は、わたくしの手を取る。
「石ころでいい。6歳のときから、私は、石ころの姉上が好きだった」
わたくしは、笑った。
笑ったら、少しだけ、泣きそうになる。
明日の朝、クラリッサ様に、帯を締めていただかなければならない。
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