第44話
その日の評定は、夕刻まで続いた。
陛下は、試しを認めなかった。
「王妃の目は、長いあいだ、この国を守ってきた。今さら試す理由がない」
公爵は、静かに頭を下げる。
「理由がないのでしたら、試してもお困りにはなりますまい」
評定の間の半分が、うなずいた。宰相が卓を叩いても、うなずきは止まらない。
軍務卿までが、腕を組んだまま、黙って目を伏せている。新年の夜、冠を捧げ持ったまま口を開けていた、あの方が。
王が退けても、評定の半分が求める試しを王妃が拒めば、それは見えないと認めたのと同じことになる。明日には、宮中じゅうがそう噂するだろう。
わたくしは、立ち上がった。
「お受けいたします」
◇
回廊に出るなり、陛下はわたくしの腕をつかんだ。
「なぜ受けた」
「断れば、見えないと認めたことになります」
「見えないのは、本当だろう」
「はい。ですから、困っております」
陛下は、何か言いかけて、やめた。つかんだ腕を、ゆっくりと離す。
「……試しに外れたら、どうなる」
「公爵閣下の申し立てが、通ります。わたくしは、長いあいだ見えるふりをして王家を欺き、扇に香を仕込ませて公爵家を陥れた王妃になります」
声に出してみると、ずいぶん立派な悪女である。
「廃されるか、どこかの修道院か。いずれにしても、この子は――」
わたくしは、腹の帯に手を当てた。
陛下が、わたくしの手の上に、ご自分の手を重ねる。
「そうはさせない」
「はい」
「させないために、どうすればいい」
「それを、7日で考えます」
◇
その夜、陛下はわたくしを露台に連れ出した。
眼下に、王都の灯が広がっている。窓という窓に、灯りの術。いつもなら、王都じゅうに砂時計が星のように瞬いて見える景色である。
今夜は、灯りしか見えない。
「きれいだな」
陛下が言った。
「陛下には、いつも、こう見えておりましたの」
「生まれたときから、ずっと」
わたくしは、灯りの海を眺めた。どの灯りが今夜で切れ、どの灯りが明日もともるのか、わからない。わからないまま、灯りはただ、きれいだった。
砂時計がないと、目の行き場がない。それで、つい陛下の横顔ばかり見てしまう。
「……何だ」
「陛下のお顔を、こんなにまじまじと拝見するのは、はじめてかもしれません」
陛下の耳が、灯りの下でもわかるほど赤くなる。
「ずっと、頭の上ばかり見られていた」
「存じております」
「顔のほうが、いいか」
「……どちらも、悪くはございません」
◇
翌朝も、クラリッサ様は帯を締めに来た。
父君の申し立てのことは、ひとことも口にしない。いつものように膝をつき、結び目を締め直して、両手を当てる。
「今朝の砂は、いかがでございますか」
顔を上げて、クラリッサ様が尋ねた。
「変わりなく」
「それは、ようございました」
クラリッサ様は、目を伏せて微笑む。
ひと月、毎朝この方に帯を締めてもらってきた。そんなことを尋ねられたのは、はじめてである。
◇
その日の夕方、宰相が、人目を忍んで執務室に来た。
「評定の間が、おかしゅうございます」
扉を閉めるなり、宰相は言った。
「公爵の申し立てなど、ひと月前なら、誰も耳を貸さなかったはずです。それが、あの方が口を開くたびに、ひとり、またひとりと向こうへ傾く。軍務卿まで。……長年、あの間で人の顔を見てまいりました。あれは、理で傾いた顔ではございません」
「では、何で」
「わかりませぬ。わからぬから、困っております」
宰相は、わたくしの目をじっと見る。宰相は、わたくしが見えなくなったことを知らない。
「王妃陛下のお目なら、何かお見えになるのでは」
わたくしは、扇を開いて、口元を隠した。
「……7日後に、お見せいたします」
◇
公爵は、試しの段取りを詰めるという名目で、毎日、評定の間に顔を出した。
公爵が口を開くたびに、評定の間に、かすかに甘い匂いが漂う。
花ではない。菓子でもない。熟れすぎた果物を、蜜で煮つめたような匂い。
身ごもってから、わたくしの鼻はずいぶん利くようになっていた。料理番が厨房でパンを焦がせば、2つ先の回廊まで匂ってくる。鼻の利き方が変わるというのは、侍医の言ったとおりである。
けれど、評定の間で、その匂いに顔をしかめる者はいない。宰相も、軍務卿も、陛下も。
公爵が何か言うたびに、うなずく顔が、ひとつずつ増えていく。
わたくしは、扇で口元を覆った。
匂いのするほうの、胸もとのあたりを見る。
何も、見えない。
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