第42話
夜半の鐘は、12打つ。
神殿の神官が、1打ごとに年の祈りをひとつ唱えるので、鳴りきるまでには長い時がかかる。王都の子どもは、その間に、1年の願いごとを12数えるのだと教わって育つ。
わたくしは、願いごとを数えなかった。数えたのは、門と、辻と、橋である。
東門を抜け、大通りを駆ける。2打目。
新年の灯をともした家々の窓から、人が顔を出す。雪まみれの馬に、毛皮の外套の女と、髭の伸びた男が乗っている。誰も、それが王と王妃だとは思わない。3打目。
王宮の正門で、門番が槍を交差させかけ、わたくしの顔を見て、取り落とした。4打目。
中庭で馬を下りる。陛下の脚は、地面についた途端に折れそうになった。わたくしが肩の下に体を入れ、陛下の腕をわたくしの肩に回させる。5打目。
回廊を進む。添え木の脚を引きずる陛下の重みが、半分以上、わたくしにかかっている。走れない。歩くしかない。6打目。
大広間の大扉が、見えた。
◇
大扉の前に立ったとき、鐘は7打目を鳴らし終えたところだった。
扉の向こうから、軍務卿の声が聞こえる。
「ユリウス殿下。前へ」
返事はない。
「殿下。鐘が鳴りきれば、冠は殿下のものです。お受けになる支度を」
「鳴りきってからだ」
ユリウス殿下の声は、静かだった。
「まだ、7つ目だ」
8打目が、鳴りはじめる。
わたくしは、扉に手をかけた。
◇
大扉が開いた。
大広間の天井には、硝子の燭台が数えきれないほど吊られている。そのひとつひとつに乗った小さな砂時計が、いっせいにこちらを向いたように見えた。
広間じゅうの目が、こちらを向く。
わたくしは、ひとりではなかった。
腕に、陛下をつかまらせている。
新年の夜会の大広間に、喪の黒を半分まとった人々が、凍りついたように立っていた。上座の前には、軍務卿が、赤い天鵞絨の台に冠を載せて捧げ持っている。その脇に、ユリウス殿下。冠からいちばん遠い位置に、両手を後ろで組んで立っておられた。
ユリウス殿下が、わたくしたちを見て、ほんの少しだけ口の端を上げる。
誰も、動かない。
8打目の余韻が、消えていく。
わたくしは、陛下と並んで、歩きだした。
人の輪が、割れる。わたくしたちと上座のあいだに、磨かれた床が、まっすぐに伸びていく。
9打目。
陛下の脚が、床の上でよろめいた。わたくしの肩に、陛下の指が食いこむ。広間のどこかで、誰かが息をのんだ。
「大丈夫だ」
「存じております」
10打目。
上座の前で、宰相が泣いている。ミーナが料理番の夫にすがりついて泣いている。軍務卿は、冠を捧げ持ったまま、口を開けている。
11打目。
祝いの席は、上座の玉座の脇に、ふたつ並べて置かれていた。誰も座らないまま、喪の黒い布をかけられている。
陛下が、片手で、その布を払い落とした。
わたくしたちは、並んで、祝いの席の前に立つ。
12打目が、鳴った。
◇
頭の上が、温かくなる。
見上げると、硝子の胴が、内側から淡く光っていた。最後の一粒が、上の玉から下の玉へ落ちていく。光は金の枠を伝い、砂を伝い、ほどけて、大広間の高い天井へ昇っていった。数えきれない燭台の砂時計のあいだを抜けて、もっと上へ。
1年前の婚礼の朝にも、同じ光を見た。
けれど、あのときより、少しだけ明るい気がする。
大扉から、神官がひとり、転がるように駆けこんできた。
「灯が……灯が、燃え尽きました! 消えたのでは、ございません! 燃え尽きて――」
最後まで、言わせてもらえなかった。
広間が、割れんばかりの声で揺れたからである。
最初に膝をついたのは、ユリウス殿下だった。軍務卿の手から冠を取り、台ごと、弟君の前に差し出す。
「遅いぞ」
「間に合った」
陛下は、冠を取らなかった。わたくしの肩に、まだつかまっていたからである。
◇
オルデン伯は、年が明けてすぐ、爵位と領地を取り上げられた。
伯の鞍袋から出た約定は、写しを添えて、ゼーレンの評議会と、幼い王の母君のもとへ送られる。王を攫わせた摂政を、国の舵の前に置いておくわけにはいかない。評議会がそう決めるまで、半月とかからなかった。
レオポルト殿下は、摂政を解かれ、湖の中の島の修道院へ送られた。ヘルム川の通行税の免除は、あらためて10年延びる。
それで終わりかと思っていたら、もうひとつ、届いたものがある。
ゼーレンから、わたくし宛ての書状。封蝋には、レオポルト殿下の私印。
封の砂を読むと、封をされたのは、新年の10日前だった。摂政を解かれる前に、届く日を見こして出したものらしい。
中身は、短い。
――新年の鐘の音は、いかがでしたか。王妃でなくなったあなたを、ゼーレンは、いつでもお迎えする用意がございます。
陛下は、書状を暖炉にくべた。
「返事は」
「いたしません」
わたくしは言った。
「あの方の予定は、もう、修道院の方が立ててくださいます」
◇
アルノーは、3日眠りつづけて目を覚まし、ベルンハルト師に叱られて、また寝こんだ。師は、そのあいだずっと枕元に座っておられた。
陛下の脚は、春までには治るという。
年が明けて最初の朝、陛下は、杖をついて、わたくしの部屋の戸口に現れた。
戸口で足を止め、わたくしの頭の上を見上げる。
「何もないな」
「はい。頭の上には」
陛下が、怪訝な顔をなさる。
わたくしは、まだ何も言わずにおいた。
春になれば、陛下の脚が治る。それまでに、お世継ぎのことで評定の間がわたくしを見ることも、きっとなくなっている。
今年の予定は、3人分、立ててある。
お読みいただき、ありがとうございました!
皆様にお願いです
ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に
応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪




