第39話
翌朝の評定の間は、半分が黒い服で埋まっていた。
外套は、評定の卓の真ん中に置かれている。オルデン伯は、ひと晩で髭を剃り、鎧を磨き直して、何事もなかった顔で席に着いていた。
「王妃陛下のお目を、疑うつもりはございませぬ」
伯は、落ち着いた声で切り出した。
「ならば、こう考えるほかありますまい。アルノー殿は、生き延びた。谷の底で、陛下の外套を見つけ、術をかけ直した。手前どもが崖の枝で見つけたのは、そのあとのことだったのでしょう」
評定の間に、いくつか、うなずく気配がある。
「伯は昨夜、22日目のうちに見つけたと仰いました」
「動転しておりました。日を取り違えたのでございます」
「では、見つけたのはいつでございますか」
「……25日目。探索を打ち切る日の朝でございます」
わたくしは、うなずいた。
「25日目に峠の崖で拾い、6日かけて王都へ戻られた。それなら、この外套は、28日目には、伯の鞍の上にあったはずでございます」
伯の口が、わずかに開く。
「3日前、この外套は、アルノーの手もとにございました。伯の鞍の上ではなく」
評定の間の誰も、声を出さない。
「もうひとつ。崖の枝に引っかかったまま、持ち主のいない外套に、凍えかけた魔術師が、わざわざ防寒の術をかけ直すでしょうか。かけ直すとすれば、それを着る方がいるときだけでございます」
伯は、卓の上で指を組んだ。
「……王妃陛下は、手前が嘘を申していると」
「砂が、そう申しております」
◇
宰相が、伯の従者から鞍袋を運ばせた。
伯は、何も入っていないと言った。中身は、干し肉と、替えの手袋と、地図。たしかに、それだけに見える。
けれど、鞍袋の革の上に、小さな砂時計がひとつ乗っていた。
「宰相。縫い目の内側を」
宰相が小刀で裏地を裂くと、折りたたんだ書状が1通、すべり出た。封は、まだ切られていない。紫の蝋に、ゼーレン王家の紋。
レオポルト殿下の、私印である。
「封の術は、30日もちます」
わたくしは、書状の上の砂を読んだ。
「残りは、ちょうど半分ほど。封をされたのは、今日から14日前。18日目でございます」
宰相が、指を折って数える。
「伏兵が出たのは……22日目」
「伏兵の4日前に、ゼーレンの摂政が、伯に宛てて封をした書状でございます。たまたま襲われたのでは、ございません」
書状は、その場で開かれた。
中身は、約定である。伯がなすべきことと、ゼーレンが払うもの。払うのは、新年の鐘のあと。伯がなすべきことは、たった1行だった。
――王を、鐘が鳴るまで、お預かりいただきたい。
殺せとは、書いていない。
評定の間に、ようやく、人の声が戻ってくる。怒鳴る者、立ち上がる者、伯の席から椅子を引いて離れる者。近衛の騎士が両脇から伯の腕を取ったとき、伯は抗わなかった。
「陛下は、どこにおられる」
宰相が、卓を叩いた。
伯は、口を結んだまま、ひとことも答えない。答えずに8日待てば、すべてが片づく。それを、誰よりもよく知っている顔だった。
◇
伯が引き立てられていったあと、評定の間で立ち上がったのは、軍務卿である。
「王妃陛下のお目は、ありがたい。だが、陛下がどこにおられるかは、わからぬままだ」
軍務卿は、伯の仲間ではない。白髪の、まっすぐな武人で、だからこそ、言うことに重みがある。
「ゼーレンの兵は、峠に集まっている。摂政が約定を破られたと知れば、すぐにも攻めてくる。鐘まで8日、国に王なしで待てとおっしゃるか。いま、ユリウス殿下に冠をお受けいただくべきだ」
何人もが、うなずいた。
わたくしが口を開きかけたとき、評定の間の扉が、外から押し開けられた。
雪をかぶった外套のまま、男がひとり、立っている。
束ねた金の髪。日に焼けた頬。
ユリウス殿下だった。
「谷を、見てきた」
殿下は、息を整えもせずに言う。
「北の砦から、5日、谷底を探した。馬の骸がひとつ。血の跡は、上の道に少しだけ。人が落ちた跡は、どこにもない」
軍務卿が、殿下の前に進み出て、膝をついた。
「殿下。ちょうどよいところへ。国のために、冠を」
殿下は、軍務卿を見下ろす。それから、評定の間を見回し、最後に、わたくしを見た。
「あの婚約破棄の夜、俺はこの人の言うことを、ひとつも聞かなかった」
評定の間が、しんとなる。
「砂時計が見えると言う人を、石ころだと笑った。笑っているあいだに、俺の頭の上の砂は、ほとんど落ちきっていた」
殿下は、軍務卿に手を差し出して、立たせた。
「鐘が鳴るまで、王は弟だ。俺は、冠には触らない」
◇
評定の間に残ったのは、宰相と、ユリウス殿下と、わたくしだけだった。
卓の上に、北の地図を広げる。
「伯が王都に着いたのは、31日目の夜」
わたくしは、地図の上に指を置いた。
「外套に術がかけ直されたのは、28日目の朝。伯は、そのあとで外套を受け取り、まっすぐ王都へ駆けたはずでございます。早馬で、3日」
宰相が、王都から北へ、指を3日分すべらせる。北の領地へ向かう街道の、半ばを過ぎたあたり。そこから西へ折れた先に、小さな領地の名が書いてある。
オルデン領。
「伯の、館だ」
ユリウス殿下が、低く言った。
宰相は、すぐに騎士を出すと言った。わたくしは、首を横に振る。
「伯の館は広うございます。家の者はしらを切り、騎士が蔵をひとつずつ開けているあいだに、陛下をよそへ移すでしょう。どこにアルノーの術があるか、見えるのは、わたくしだけでございます」
「王妃陛下が、ご自身で北へ」
「出立の朝に、申し上げました」
わたくしは、地図をたたんだ。
「お帰りが遅れましたら、迎えにまいります、と」
行きに3日。帰りに3日。鐘まで、8日と少し。
頭の上で、砂が細く落ちている。
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