第33話
レオポルト殿下は、7年前の親書から思い描いていた方とは、まるで違っていた。
30を少し過ぎたくらい。日に焼けた顔で、よく笑う。ゼーレンの使節といえば、魔法ひとつまとわない地味な装い。そう覚えていたのに、今日の殿下は、砂時計をいくつも連れている。
外套の留め金に、皺よけの術。長靴に、泥よけの術。どれも、ありふれた大きさのもの。
ただ、左の耳の銀の耳飾りにだけ、不釣り合いに大きな砂時計が乗っていた。両手で抱えるほどの。耳飾りひとつに、ずいぶん長もちの術をかけたものである。ゼーレンの流行りなのかもしれない。
「7年前は、失礼をいたしました」
殿下は、開口一番そう言って、頭を下げた。
「あの縁談は、兄王と宰相の目くらましでした。私は、名を貸しただけです。……もっとも、名を貸したあとで、あなたが川の文言を読み破ったと聞いて、本気で会ってみたくなりました」
わたくしは、扇を半分開く。
「それで、7年かかったのでございますか」
「あなたの頭の上に、ずっと誓いが乗っていたと聞きましたので。乗っているうちは、遠慮するのが礼儀かと」
殿下は、わたくしの頭の上を見上げた。見えないはずの場所を、正確に。
「また、乗ったそうですね」
「……お耳が早うございます」
「ゼーレンは、耳だけは早い国です」
殿下は、一通の書状を卓に置いた。ゼーレン王家の紋章の封蝋。その上にも、小さな砂時計。封の守りの術である。ゼーレンのものは、ひと月もつと聞く。
「正式な申し入れは、お父上にも送ります。ですが、先に、あなたに読んでいただきたかった」
中身は、驚くほど率直だった。
ゼーレンの北の国境に近い、小さな領地。湖と、温室。わたくしの父の領地まで、馬で2日。
――あなたの頭の上の新しい誓いが、あなたを縛るのなら、ゼーレンへおいでなさい。ゼーレンでは、誰もあなたの頭の上に、誓いを乗せはしない。
温室、という字を、わたくしはしばらく見ていた。
悪くない、と思ってしまった。それが、少しだけ悔しい。
◇
宮中は、また割れた。
ゼーレンの王弟が、王の誓いの乗った娘に求婚した。陛下は、どうなさるのか。
陛下は、何もなさらなかった。
宰相が執務室に駆けこみ、重臣たちが廊下で声を荒らげても、陛下は「ヴァルデン嬢の縁談は、ヴァルデン嬢とヴァルデン侯が決めることだ」とだけ仰ったという。そのまま、国境の砦の視察に発たれた。
「誓いの中身が妃であるなら、黙っておられる理由がない。……あれは、妃ではないのか」
宰相の機嫌は、一日で地に落ちる。宮中の読みが、ぐらつきはじめた。
貴婦人がたの膝の折り方が、浅くなる。名簿の公爵家の方々が、また目を合わせるようになる。
そして、陛下の留守の3日目。グラッセ公爵が、魔術院に申し立てをした。
◇
魔術院の大広間には、重臣たちが居並んでいた。
ベルンハルト師と宰相が、上座に。グラッセ公爵が、その前に。公爵の後ろには、扇を手にしたクラリッサ嬢。
わたくしは、呼び出された側として、広間の真ん中に立っていた。
「陛下は、お変わりになった」
公爵は、重々しく言った。
「毎朝、あの娘の頭の上を見上げに通い、喪が明けるやいなや、中身も明かさずに王冠を賭けた。ゼーレンの王弟が求婚しても、止めもなさらない。……正気の王のなさることではない」
重臣たちが、ざわめく。
「ヴァルデン嬢が、陛下に魅了の術をかけておるのではないか。魔術院に、お改めを願いたい」
クラリッサ嬢が、扇の陰で目を細めた。
「石ころは、王を転がすのがお上手ですこと」
広間の何人かが、笑った。7年前と、同じ笑い方で。
わたくしは、膝を折った。
「恐れながら、公爵閣下。わたくしには、魅了の術はかけられません」
「口では、何とでも言える」
「口ではなく、魔術院の記録でございます」
わたくしは、ベルンハルト師を見上げた。
「7年前の再判定で、ベルンハルト師の水晶は、わたくしの手の下で少しも光りませんでした。魔術院長の御名で、記録に残っております。魔力のない者に、術はかけられません」
師が、重々しくうなずく。
「そのとおりだ。ヴァルデン嬢の魔力は、ゼロ。わしが、この目で見た」
「10年、石ころと呼ばれてまいりました。その呼び名が、今日ほど役に立った日はございません」
笑い声が、止んだ。
公爵の顔が、赤くなる。何か言い返そうと口を開きかけた、そのとき。
わたくしは、クラリッサ嬢の扇を見ていた。
◇
扇の要に、小さな砂時計。
2週間前、回廊ですれ違ったときにも、乗っていた。香りの保ちか何かだと思って、気に留めなかったもの。
けれど、今は砂の量が読める。2週間前より、ちょうど2週間分減っている。香りの保ちなら、毎朝かけ直すのが習い。かけ直せば満杯に戻る。それが、一度も戻っていない。
かけ直さない術。切れることに、意味のある術。
残りを読む。落ちきるのは、8日後の夜。
新年の夜会の夜である。夜会の最初の曲で、王は妃の候補と踊る習いになっている。
「クラリッサ様」
わたくしは、静かに言った。
「その扇、お改めをお願いしてもよろしいですか」
クラリッサ嬢の手が、止まる。
「……何ですって」
「扇の要に、封じの術がかかっております。中に何かを閉じこめて、8日後の夜に開く術。開くのは、新年の夜会の、ちょうど最初の曲のころでございます」
広間が、静まり返った。
クラリッサ嬢が、扇を背に隠そうとする。けれど、その前に、ベルンハルト師が手を差し出していた。
「拝見しよう」
師は扇を受け取り、要に手をかざして、長いこと黙っておられた。
やがて、顔を上げる。
「中に、香が封じてある。……魅了の香だ。禁制の品だな」
グラッセ公爵が、娘を振り返った。その顔から、血の気が引いていく。
「お父さまが、王妃になれと仰ったから」
クラリッサ嬢の声は、震えていた。
「どうせ、あの石ころに取られるくらいなら、と……」
重臣たちの目が、一斉に公爵へ向いた。
魅了の術をかけているのは誰か、と申し立てた本人の家から、魅了の香が出てきたのである。
宰相が、ゆっくりと立ち上がった。
「グラッセ公。名簿からは、外させていただく。……陛下がお戻りになったら、改めて沙汰がある」
公爵は、何も言わなかった。娘の手を引いて、広間を出ていく。クラリッサ嬢は、一度も振り返らない。
わたくしは、その背中を見送った。
石ころは、王を転がせない。転がそうとしたのは、魔力の豊かな方々のほうだった。
◇
その夜、レオポルト殿下から、もう一通の書状が届いた。
新年の夜会で、宮中の皆の前で、正式にお申し入れをしたい。答えは、その場でいただきたい。
わたくしは、頭の上を見上げた。
砂の速さは、もうすっかり読める。1年。正確には、誓いの日からちょうど1年後の、夜明け。
新年の夜会まで、あと8日。
お読みいただき、ありがとうございました!
皆様にお願いです
ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に
応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪




