第31話
わたくしの頭の上に、また砂時計が乗った。
金の枠に、硝子の胴。上の玉に白い砂がたっぷり詰まって、糸のように細く落ちはじめている。
見覚えのある形である。17歳の夜に消えたものとも、23歳の夜に光になって昇ったものとも、よく似ている。
違うのは、乗せた方。
祭壇の前で、19歳の王が、こちらを振り返っていた。
◇
先王陛下が崩御されて、1年になる。
その1年、ルートヴィヒ陛下は、毎朝わたくしの執務室へ来られた。
魔法改めの執務室は、もとの教育の間である。机も書棚も、昔のまま。陛下は扉を開けると、まずわたくしの頭の上を見上げる。
「何もないな」
「はい、何も」
それだけ言って、政務へ戻っていかれる。何も見えないくせに、一日も欠かさない。花祭りの翌朝から、ずっとそう。
王になって、陛下は変わった。声はますます低くなり、背はまた少し伸びている。玉座に座れば、もう誰も子どもとは呼ばない。重臣を相手に条約を一条目から読み、わたくしが見つけた毒の杯を、眉ひとつ動かさずに下げさせる。
変わらないのは、朝のあの一言と、わたくしと話すときにだけ耳が赤くなることくらいのもの。
陛下が去ると、わたくしの仕事がはじまる。その日の献上品を、ひとつずつ見ていくのである。
南の伯爵家から届いた葡萄酒の樽に、鮮度保ちの砂時計。これは、よし。東の商人が納めた絹の反物に、色留めの砂時計。これも、よし。
銀の手鏡の柄に、添え状に書かれていない砂時計がひとつ。砂は、あと3日分。
3日後は、手鏡を贈られた侍女頭が、陛下の御髪を整える日である。
手鏡は、侍女頭の手に渡る前に、魔術院へ回した。中身は、ベルンハルト師が調べてくださる。わたくしに見えるのは、いつ切れるか、だけ。それで足りることのほうが、この国では多い。
◇
喪が明ければ、次は妃である。
宰相は、この1年で三度、候補の名簿を持ってきた。国内の公爵家の令嬢がふたり。隣国の王女がひとり。どなたも魔力が豊かで、家柄に申し分がない。
「陛下。お世継ぎのない王冠は、細い糸一本で吊った燭台のようなものでございます」
宰相が名簿を差し出すたび、陛下は受け取って、読まずに机の端へ置く。
「喪が明けてからだ」
その喪が、今日、明けた。
◇
喪明けの儀は、神殿で行われた。
参列は、ひと握り。宰相と重臣が数人。腰の曲がったベルンハルト師。そして、魔法改めのわたくし。神殿へ持ちこまれる品を見るのも、役目のうちである。
神官長が先王陛下の御名を読み上げ、喪の灯を消す。それで儀は終わり、のはずだった。
「もうひとつ、ある」
陛下が、祭壇の前に進み出られた。
神官長が、奥の間からひとつの灯皿を運んでくる。油はすでに注がれ、芯も整えてあった。前もって支度されていたのだ。
重臣たちが、顔を見合わせる。
王冠に関わる誓いにだけ、神殿は灯をともす。王太子が王冠を得るための誓い。では、すでに王である方が、何のために。
「王冠を賭ける」
陛下は、短くおっしゃった。
「この誓いが破れたら、私は王冠を返す」
神殿の中が、凍りついた。
陛下は祭壇に片手をつき、神官長にだけ聞こえる声で、何かを告げられる。誓詞である。長くはない。ふたこと、みこと。
神官長がうなずき、灯皿に手をかざす。
小さな炎が、ひとつ、ともった。
その瞬間、頭の上が重くなった。
◇
覚えのある重さである。
見上げなくてもわかる。それでも、わたくしは見上げる。
金の枠。硝子の胴。落ちはじめたばかりの白い砂。
印は、誓いが関わる者に置かれる。
祭壇の前で、陛下がこちらを振り返った。
目が合う。
陛下は、真っ赤になって、ぷいと前を向いてしまわれた。7年前の立太子の儀と、寸分違わぬ仕草である。違うのは、赤さが首筋まで届いていることくらい。
神殿の中が、ざわめきはじめる。重臣たちの目が、陛下の背中から、わたくしの頭の上へ流れた。見えないはずの場所へ。わたくしの目のことは、今では宮中の誰もが知っている。
「ヴァルデン嬢」
宰相が、かすれた声で言った。
「……乗りましたか」
「乗りました」
宰相は、天を仰いだ。白い髪が、灯の明かりに揺れる。
◇
儀のあと、魔術院でベルンハルト師に尋ねた。
「王が王冠を賭けて誓った例は、ございますか」
「建国から数えて、これで2度目だ」
師は、皺だらけの指を2本立てる。
「1度目は、300年前。戦に負けかけた王が、国境の砦を明け渡さぬと誓った。守り通して、灯は燃え尽きた」
「今朝の中身は、ご存じですか」
「知らぬ。知っておるのは、陛下と神官長だけだ。王冠を賭ける誓詞は、3日前に神殿の奥の間へ納める。神官長が3晩かけて、誓詞を灯皿に読み聞かせる。灯の支度には、それだけかかる」
師は、わたくしの頭の上をちらりと見た。見えないものを、見るように。
「砂は、どれほどある」
「まだ、わかりません。落ちはじめたばかりですので」
速さを覚えるまでは、残りは読めない。前のものも、そうだった。
ただ、ひとつだけわかっていることがある。
この砂が落ちきる前に、陛下が何かを破れば、王冠は北へ戻る。砦で帳簿係をしておられる、ユリウス殿下のもとへ。
そして、その何かには、わたくしが関わっている。
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