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「魔力なしの石ころが王妃など笑わせるな」と婚約破棄されましたが、もう少しで聖女さまの魔法が切れますので、どうぞそのままお続けくださいませ  作者: 桜野結
第1部

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第3話

「次だ」


 殿下は、後ろに控えていた侍女を手招いた。


「コレットの侍女、ハンナだ。3日前、大階段で一部始終を見ていた」


 灰色の服の侍女が進み出て、膝を折った。胸の上の砂時計には、まだ半分近く砂が残っている。


 足りない、とわたくしは思った。


 あの侍女が本当に侍女なのかどうかは、わからない。わかるのは、あの人に何かの魔法がかかっていて、それがいずれ切れるということだけだ。今の調子で話が進めば、どう読んでも、裁きのほうが先に済む。


 侍女が口を開くより先に、コレット様がふらりとよろめいた。


「殿下……少し、気分が」


 殿下が、慌てて肩を抱く。


「控えの間で、休ませていただけませんか。証ならハンナがおりますし、わたくしがいなくても」


 控えの間。


 わたくしは、光の輪の砂時計を見た。それから、侍女の砂時計を。


 控えの間に入って、しばらくして出てきたら、あの砂時計はふたつとも、満杯に戻っているのではないか。


 そういう段取りだったのだ。


 断罪を手早く済ませ、控えの間で魔法をかけ直し、夜半には陛下の御前へ聖女として立つ。痣も、光も、侍女も、今夜の断罪のあいだだけ持てばよかった。だから、どの砂も少ない。断罪がこんなに長引くとは、思っていなかったのだろう。


「お気の毒に」


 わたくしは言った。


「けれど、先ほど申し上げたとおりでございます。訴えた方が座をお離れになれば、訴えは取り下げたものとされます。わたくしとしては、それでもかまいませんけれど」


 コレット様の顔から、表情が抜け落ちた。


 すぐに、弱々しい笑みが戻る。


「……いえ。がんばりますわ。殿下のために」


 殿下が、わたくしを睨んだ。


「引き延ばしだな」


「いいえ。定めでございます」


「父上を待っているのだろう。父上のお越しは夜半の鐘だ。そのころには、とうに片がついている」


 殿下は、ご自分の考えにすっかり満足した顔をなさった。わたくしが、陛下のお越しを待っていると思っておられるらしい。


 それでいい。何を待っているのかを知られるより、ずっといい。


「エリシア。今すぐ承れ。これ以上、コレットを苦しめるな」


 殿下が、一歩、わたくしのほうへ踏み出した。


 そのとき、わたくしは殿下の頭の上を見ていた。


 砂時計の残りが、あとわずか。


 人の頭の上にかかる魔法で、わたくしがまず思いつくのは、ひとつしかない。


 魅了である。


 殿下は、この半年でお変わりになった。わたくしを見る目が冷たくなり、コレット様のことしかお話しにならなくなった。そのお心が、魔法で曲げられているのだとしたら。それが、今、切れるのだとしたら。


 殿下は目を覚まし、ご自分が何をしておいでなのかに気づかれる。この断罪は、殿下ご自身のお口で終わる。


 ――殿下が8歳のとき、わたくしに押し花をくださったことがある。


 婚約の誓いの翌日のこと。庭で摘んだ青い花で、ぺしゃんこで、形もいびつだった。「石ころにも、花くらいはやる」と、そっぽを向いておっしゃった。


 わたくしは、その押し花を今でも持っている。今夜、弟への手紙に同封するかどうか、少し迷って、やめた。


 殿下の口が、また開きかける。


 ちょうどそのとき、楽団が弦を鳴らした。


 成人の曲である。


 夜半の鐘の半刻前に、成人を迎える王族のために奏される古い曲だ。式部官が、今夜の段取りどおりに合図を出したのだろう。この曲が鳴っているあいだ、広間の者はみな口を閉じ、立って聴かなければならない。祝われる本人も例外ではない。


 殿下は口を開けたまま、固まった。ご自分の成人を祝う曲を、ご自分でさえぎるわけにはいかない。


 広間が、静まり返る。


 わたくしは、殿下の頭の上だけを見ていた。


 砂が、細くなる。細くなる。


 最後の一粒が、落ちた。


 殿下の前髪が、ぺたりと額に寝る。


 丹念に巻いて、ふんわりと持ち上げてあった金色の前髪が、魔法が切れたとたんにただの直毛に戻り、額にべったりと張りついていく。


 それだけ。


 殿下は前髪の下から、さっきと同じ目でわたくしを睨んでいる。少しも変わらない、冷たい目。コレット様の肩も、さっきと同じ強さで抱いたままだ。


 魅了ではない。


 整髪の魔法だった。


 曲は、ゆっくりと続いている。わたくしは口を閉じて、立ち続けた。ちょうどいい――この曲のあいだは、誰も黙って立っていなければならないのだから。


 殿下は、魔法で曲げられてなどいなかった。ご自分のお心で、ご自分の足で、ここまで歩いてこられたのだ。石ころに押し花をくれた男の子は、とうの昔にいなくなっていて、今夜はじめて、わたくしはそれを確かめた。


 確かめなければよかった、とは思わない。死ぬ前に、ひとつ片づいた。そう思うだけだ。


 ただ、困ったことになった。


 殿下の砂時計は、ひとつめの賭け。それが外れた。残りは、侍女の胸と光の輪の上。どちらも、まだ落ちきっていない。


 そしてこの曲が終われば、殿下はもう一度、承れとおっしゃる。


 曲の最後の和音が、長く尾を引いて、消えた。


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