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「魔力なしの石ころが王妃など笑わせるな」と婚約破棄されましたが、もう少しで聖女さまの魔法が切れますので、どうぞそのままお続けくださいませ  作者: 桜野結
第1部

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第2話

 広間がどよめいた。


 10年の婚約である。王命の婚約である。それを殿下は、陛下のお見えにならない舞踏会で、大声で投げ捨てた。


 陛下は今夜、王宮の奥の神殿で、成人前夜の祈りを捧げておられる。夜半の鐘とともに大広間へお越しになり、殿下の成人を祝福なさる。それが今夜の段取りだ。


 陛下のお越しまでに、片をつける。殿下とコレット様のお考えは、それだろう。陛下の御前では、こんなことはできない。


 わたくしは膝を折り、礼をした。


「殿下のお言葉、たしかに伺いました」


「ならば承れ。それで終わりだ」


「承るかどうかは、罪状を伺ってからにいたします」


 殿下の眉が跳ねた。


 わたくしたちの婚約は、ただの約束ではない。7歳と8歳の子どもが神官の前で誓いを立てて結んだ、誓約の婚約である。誓約の婚約は、ほどくのにも手順がいる。片方が破棄を申し出て、もう片方が「承ります」と答えて、はじめてほどける。申し出たほうは、相手の同意なしに言葉を引っこめることもできない。軽々しく口にするなという、昔の王の戒めだと、わたくしは王妃教育で習った。


 10年の王妃教育は、たいていは退屈なものだった。けれど今夜は、少し役に立ちそうである。


「……よかろう」


 殿下は顎を上げた。


「聞かせてやる。貴様の罪は、ふたつだ」


 殿下は、指を立てた。


「ひとつ。3日前の夕刻、王宮の大階段で、コレットを突き落とした」


 指を、もう一本。


「ふたつ。コレットについて、根も葉もない噂を流した。聖女を騙る偽物だとな」


 ふたつめのほうは、たった今、わたくしが胸の中で思ったこと。噂を流した覚えはないけれど。


「以上だ。認めて、承れ」


「では、証を一つずつお示しくださいませ」


 わたくしは、できるだけゆっくりと言った。


「王族の御前での訴えは、罪状ごとに証を示すのが定めでございます。訴えた方と証をなさる方は、裁きが済むまで座をお離れになれません。お離れになれば、訴えは取り下げたものとされます。……殿下も、ご存じのとおりに」


 殿下は、ご存じなかった顔をなさった。


 広間の年配の方々が、何人か小さくうなずいている。古い定めだが、生きている定めである。


 コレット様が、また大時計を見た。


 わたくしも、見る。それからコレット様の左腕を。包帯の上の砂時計は、底に砂がひと筋残っているだけだった。


「証なら、ここにございます」


 コレット様が三角巾から左腕を抜き、袖をまくって、包帯をほどいた。


 細い腕の真ん中に、握りこぶしほどの紫の痣。貴婦人がたが、息をのんだ。


「階段で、突き飛ばされたときのものですわ」


「痛ましいこと」


 わたくしは言った。


「皆さまにも、よくお見せくださいませ。燭台の下のほうが、見えやすうございます」


 コレット様は一瞬ためらったが、殿下に背を押されて、燭台の真下へ進み出た。痣のある腕を、灯りの中に掲げる。


「何段目から、落ちられましたの」


「……上から、3段目です」


「突かれたのは、背中を? それとも肩を?」


「背中です。両手で」


「痣は腕にございますのね。背中にはございませんの?」


「背中にも、ありますわ。この場ではお見せできませんけれど」


「落ちたとき、どなたが助け起こしてくださったの」


「ハンナが。わたくしの侍女が」


 受け答えは早い。考えてきた答えなのだろう。


 けれど、答えの中身など、わたくしにはどうでもよかった。腕を燭台の下に掲げていてもらえれば、それで足りる。


 最後のひと筋が、落ちた。


 紫の痣が、灯りの下で、湯気のように薄れて消えていく。


 広間の皆が、それを見た。


「まあ」


 わたくしは、扇を口元に当てた。


「お腕、もうよろしいの?」


 コレット様はご自分の腕を見下ろして、顔を強張らせた。


 ほんとうに、一瞬だけ。


「……ああ」


 コレット様は腕を胸に抱いて、うっとりと目を閉じた。


「治りましたわ。殿下のおそばにいると、いつもこうなのです。聖女の力が満ちて、傷がひとりでに」


 広間が、どよめいた。拍手をした方までいる。


「見たか」


 殿下が、わたくしに向かって言った。


「これが聖女だ。貴様は、この方を偽物と呼んだのだぞ」


 しくじった。


 わたくしは扇の陰で、奥歯を噛んだ。痣が消えれば嘘が剥がれると思っていたのに。剥がれるどころか、奇跡がひとつ増えてしまった。


 コレット様は、早い。痣の消える刻を知っていたのかどうかは、わからない。けれど、消えたものを奇跡に塗り替えるまで、まばたき一回もかからなかった。


 あの方は、ただの嘘つきではない。場慣れした嘘つきだ。


 残る砂時計は三つ。殿下の頭の上と、侍女の胸と、聖女さまの光の輪。


 それから、わたくしの頭の上。


 見上げなくても、わかっている。こちらは今も、変わらない速さで落ちている。


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