第1話
わたくしの頭の上には、砂時計がひとつ浮いている。
両手で抱えるほどの大きさで、金の枠に硝子の胴がはまっている。上の玉から下の玉へ、白い砂が糸のように細く落ちつづけている。鏡には映らない。侍女に髪を結わせても、櫛はそこを素通りする。見えるのは、わたくしひとりである。
今夜、その砂が落ちきる。
◇
砂時計が見えるようになったのは、7歳の秋のこと。
最初は、屋敷の廊下の燭台である。灯りの魔法をかけた燭台の上に、指の先ほどの砂時計が乗って、さらさらと砂を落としている。台所へ行けば、料理長が鮮度保ちの魔法をかけた肉の塊の上にひとつ。門へ行けば、夜ごと錠の魔法をかけ直す門扉の上にもうひとつ。大きさはまちまちで、長くもつ魔法ほど、砂時計も大きい。
魔法のかかったものには、砂時計が乗る。砂は魔法の残りで、落ちきれば魔法が切れる。わたくしには、止めることも、足すこともできない。かけた者がかけ直せば、砂時計は満杯の新しいものに替わる。門扉のそれが、毎晩そうしているように。何の魔法なのかは、乗っている場所から見当をつけるしかなく、わたくしにできるのは、見ることだけ。
乳母に話したら、熱を測られた。二度目に話すと、神殿へ連れて行かれそうになる。三度目は、話さずにおいた。
そもそも、わたくしには魔力がない。7歳の魔力判定で、測りの水晶は少しも光らなかった。この国で貴族の娘の魔力がゼロというのは、読み書きができないのと同じくらい外聞が悪い。社交界でついた呼び名は「ヴァルデンの石ころ」である。石ころが砂時計が見えると言っても、誰も信じない。信じてもらえるとも思わなかった。
その石ころが、王太子殿下の婚約者に定められたのは、魔力判定と同じ年のうちである。
王命である。侯爵家とはいえ、魔力のない娘をなぜ未来の王妃に、と誰もが首をかしげた。父も、わたくしも、例外ではない。かしげなかったのは陛下おひとりで、その理由を知らされるのは、10年もあとのことになる。
誓いを立てたのは、その年の夏の終わり。砂時計が見えはじめる、ひと月ほど前のことだ。
頭の上の砂時計は、わたくしが砂時計を見られるようになったとき、もうそこにあった。
燭台の砂時計は、3晩でなくなる。門の砂時計は1晩で。けれど頭の上のそれは、10年かけて、少しずつ少しずつ減ってきた。
人の頭の上にあって、ゆっくりと尽きていき、尽きたら何かが終わるもの。10年考えて、わたくしはひとつしか思いつけなかった。
寿命である。
砂の落ちる速さは、ずっと変わらない。だから、残りの量を見れば、いつ尽きるかは読める。何度読み直しても、答えは同じ。
ユリウス王太子殿下が18歳になられる晩。成人前夜の舞踏会の、夜半の鐘。
つまり、今夜だ。
死ぬ支度は、思ったより早く済んだ。北の領地にいる父と、学院の寮にいる弟に手紙を書き、明日の朝いちばんの便で出すよう頼んである。長く仕えてくれた侍女には、次の奉公先への紹介状を持たせた。あとは泣くかどうかだけだったが、10年も見上げていると、泣く時期はとうに過ぎている。
最後の晩くらいは、いちばんきれいなドレスで踊って終わろう。
そう決めて、わたくしは王宮の大広間に来た。
◇
大広間の天井には、硝子の燭台が数えきれないほど吊られている。そのひとつひとつに小さな砂時計が乗っていて、わたくしの目には、天井いっぱいに砂時計が咲いているように見える。楽団の弦にかけられた響きの魔法にも、貴婦人がたの髪飾りにかけられた煌めきの魔法にも、それぞれの砂時計がある。
上座の脇の椅子では、第二王子のルートヴィヒ殿下が、退屈そうに足をぶらつかせておられた。御年12歳。兄君の晴れの夜に、早く寝床へ帰りたいというお顔をなさっている。
最初の曲が終わっても、王太子殿下はお見えにならない。
主役がいないのだ。広間の人々がそわそわしはじめたころ、ようやく大扉が開いた。
殿下は、ひとりではなかった。
腕に、小柄な娘をつかまらせている。桃色の髪をふわりと結い上げ、白いドレス。頭の上には、淡い金の光の輪がかかっていた。
コレット・ミルフォード男爵令嬢。この半年、下町で病人を癒やしたとかで、「聖女さま」と呼ばれている方である。神殿の認定はまだ下りていない。けれど殿下は、もう誰はばかることなく、あの方をそばに置いておられる。
わたくしは、ふたりの頭の上を見た。
殿下の頭の上に、小さな砂時計がひとつ。
コレット様の光の輪の上にも、ひとつ。三角巾で吊った左腕の包帯の上にも、ひとつ。
そして、ふたりの後ろに控えている侍女――地味な灰色の服を着た、若い女の胸のあたりにも、ひとつ。
どれも、砂の残りが少ない。
包帯の上のものは、ほとんど底が見えている。殿下の頭の上のものは、半分を割っている。侍女の胸のものと光の輪の上のものは、それよりは多い。けれど、夜半まではとうてい持たない量だった。
わたくしは、少しだけ首をかしげた。
聖女さまの光の輪に、砂時計がある。
それは、あの光が魔法だということだ。神の授けた奇跡なら、誰かがかけた魔法ではないのだから、砂時計が乗るはずがない。
コレット様が、ちらりと広間の大時計を見た。殿下の袖を、くいくいと引く。
殿下が、わたくしのほうをまっすぐに向いた。
「エリシア・ヴァルデン。前へ」
音楽が止まった。人の輪が割れて、わたくしと殿下のあいだに、磨かれた床がまっすぐに伸びていく。
ああ、そういうこと。
わたくしは扇を閉じ、前へ出た。
「この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」
最後の晩のドレスは、少しもったいないことになりそうだった。
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