第26話
わたくしの頭の上には、砂時計がひとつ浮いている。
金の枠に、硝子の胴。6年前の朝、神殿の灯がともった瞬間に乗ったもの。上の玉の砂は、もうほとんど残っていない。下の玉に、6年分の白い砂が積もっている。
明日の夜半、その砂が落ちきる。
6年前と同じ書き出しで、6年前とはまるで違う気持ちで、わたくしはそれを見上げていた。
◇
6年のあいだに、いろいろなことが変わった。
わたくしは23歳になり、肩書きがひとつ増えた。王太子付きの「魔法改め」。宮中に持ちこまれる品や、献上される宝物や、外つ国の使節の持ち物に、妙な術がかかっていないかを見る役目である。見たまま申し上げるだけの務めだが、この6年で、毒の指輪がふたつ、盗み聞きの燭台がひとつ、わたくしの目に引っかかった。
ユリウス殿下は、北の砦で帳簿係を続けておられる。父の手紙によれば、砦の庭は青い花でいっぱいだそうだ。干し鱈は、今でも苦手らしい。
ミーナは、宮中の料理番と所帯を持った。神殿の地下牢の食事がましになったのは、その料理番の腕のおかげでもある。牢から出たコレット様は、今はその神殿の厨房で芋を剥いている。たまに会うと、「石ころさま」と呼んで舌を出す。
そして、ルートヴィヒ殿下は、明日の夜半に18歳になられる。
「姉上」
教育の間の扉を開けて、殿下が入ってこられた。
背丈は、もうとうにわたくしを追い越している。肩幅も広くなり、声も低くなった。教育の間の机は、殿下には小さすぎる。それでも、殿下はこの部屋で書類を読むのをやめない。
「明日の段取りを、もう一度確かめたい」
「昨日も、一昨日も確かめました」
「明日が来るまで、何度でも確かめる」
殿下は、そう言いながら、わたくしの頭の上を見上げた。花祭りの翌朝から、毎朝欠かさずなさる仕草である。何も見えないのに。
「……あと、どれくらいだ」
「ひとつまみ、でございます。明日の夜半の鐘で、ちょうど」
殿下は、ほっとしたような、名残惜しいような顔をなさる。
6年のあいだ、殿下の誓いを破らせようとした者は、花祭りのあとにも何人かいた。そのたびに、わたくしは見て、殿下は読み、ふたりで一条目から崩した。誓いは、まだ一度も揺らいでいない。
あと、一日。
◇
気がかりは、別にあった。
ひと月前から、陛下の頭の上に、砂時計がひとつ乗っている。
両手で抱えるほどの大きさ。砂は、残りわずか。陛下の頭に、そんなものが乗っていたことは、これまで一度もなかった。
わたくしは、魔術院を訪ねた。
ベルンハルト師は、もうすっかり腰が曲がっておられる。わたくしの顔を見るなり、何を聞きに来たのか察したらしい。人払いをしてから、低い声でおっしゃった。
「見えておるのだな、陛下の頭の上が」
「何の魔法でございますか」
師は、長いこと黙っておられた。
「延命の術だ」
部屋の空気が、冷えた気がした。
「陛下は、半年前から病んでおられる。医師の見立てでは、春までは持たぬと。陛下ご自身が、わしに術を頼まれた。ルートヴィヒ殿下の誓いを見届けるまで、命をつないでくれと」
「いつまで、持ちますか」
「それは、そなたのほうが詳しかろう」
わたくしは、目を閉じた。
陛下の頭の上の砂時計。残りの量。落ちる速さ。読みたくなくても、もう読めてしまう。6年前は、10年かけてようやく読めた。今は、ひと月で読める。
明日の夜半の、少しあと。
夜明け。
6年前、わたくしは、頭の上の砂時計を寿命だと思っていた。とんだ間違い。あれは寿命ではなかった。
今度のは、寿命だ。
わたくしの頭の上のものが尽きて、ほんの数刻あとに、陛下の頭の上のものが尽きる。




