第25話 第5部完
翌朝、大広間で、ルートヴィヒ殿下は裁きを述べた。
「兄上を、罰しません」
広間が、ざわめく。殿下は、それが静まるのを待ってから続けた。
「兄上は、私の誓いが破れればいいと書きました。でも、送りませんでした。引き出しにしまって、それきり忘れていた。……私の誓いを破らせようとしたのは、兄上ではなく、その紙を拾った者たちです」
殿下は、一度、唇を噛んだ。
「私も、兄上が王冠を失った夜、少しだけ嬉しかった。兄上がいなくなれば、もう比べられずに済むと思った。……思っただけで罪なら、私も同じです」
広間は、しんとした。
重臣たちは、互いに顔を見合わせている。12歳の王太子が、満座の前で自分の醜い気持ちを口にした。それを咎める言葉を、誰も持っていなかった。
陛下が、ゆっくりとうなずかれる。
「王太子の裁きとして、聞き届ける」
ユリウス殿下は、深く礼をした。
そして、顔を上げると、陛下に向かって言った。
「父上。ひとつ、お願いがございます」
「申せ」
「北の辺境の、文官の職を賜りたく存じます。ヴァルデン侯の領地に近い、国境の砦の帳簿係で構いません」
広間が、また、ざわめいた。
元王太子が、辺境の帳簿係。誰もが耳を疑う顔をしている。
「なぜ北だ」
「王都にいれば、また誰かが私の名を担ぎます。私が担がれやすい男だということは、もう十分にわかりました」
殿下は、少しだけ笑った。
「それに、離宮の庭は、北の砦にも作れます」
◇
ユリウス殿下が北へ発つ朝、わたくしは王宮の門まで見送りに出た。
ルートヴィヒ殿下も一緒である。兄君の荷は、驚くほど少なかった。旅の外套と、書物を詰めた箱がひとつ。それから、小さな種の袋。
「ヴァルデン侯には、よろしく伝えてくれ」
ユリウス殿下が言った。
「父は、殿下が来ると聞いて、北の領地の干し鱈を山ほど用意しているそうです。覚悟なさってください」
「干し鱈か」
殿下は顔をしかめて、それから、弟君のほうを向いた。
「ルートヴィヒ」
「はい、兄上」
「誓いを、守り通せ。……私の分まで、とは言わん。おまえの分だけで、十分だ」
ルートヴィヒ殿下は、こくりとうなずいた。
馬車に乗りこむ前に、ユリウス殿下は、もう一度わたくしの前に立った。
「エリシア」
名を呼ばれたのは、はじめてだった。家の名でも、石ころでもなく。
「すまなかった。10年分」
「わたくしも、10年分」
「では、帳消しだな」
「帳簿係らしいお言葉でございます」
殿下は、声を立てて笑った。
わたくしは、その顔を見ていた。
頭の上ではなく、顔を。
10年婚約していて、わたくしはこの方の顔を、こんなにまっすぐ見たことがあっただろうか。額に下りた前髪の下で、目尻に小さな皺が寄っている。笑うと、少しだけ子どもっぽくなる顔だった。
知らなかった。
馬車が、門を出ていく。
見えなくなるまで見送ってから、隣のルートヴィヒ殿下が、ぽつりと言った。
「姉上。今、上を見なかったな」
「……ええ」
「兄上の顔を、見ていた」
「はい」
殿下は、なぜか少しだけ不満そうな顔をして、それから、わたくしの頭の上を見上げた。
何も見えないくせに。毎朝、そうしてくださる。
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