第24話
宮中の庭の、外れの東屋だった。
夕暮れの風が、まだ若い葉を揺らしている。ユリウス殿下は東屋の柱にもたれ、わたくしは少し離れて立った。10年婚約していて、ふたりきりで話したことは、数えるほどしかない。
殿下は、懐から小さな包みを取り出した。
ぺしゃんこの、いびつな青い花。
「捨てるかどうかは、私が決めろと言ったな」
「申しました」
「まだ、決めていない」
殿下は、押し花を指先でつまんで、夕陽にかざした。
「離宮の庭に、同じ花を植えた。種を取り寄せて。……庭師もいないから、半分枯らした」
わたくしは、黙って聞いていた。
「ヴァルデン」
「はい」
「おまえは、いつも私の頭の上を見ていた」
思いがけない言葉だった。
「婚約してから、ずっとだ。私が話しかけても、おまえの目は私の顔ではなく、少し上を見ていた。茶会でも、舞踏会でも。……子どものころは、背が低いからだと思っていた。背が伸びても、変わらなかった」
殿下は、押し花を見たまま続ける。
「見下されているのだと思った。石ころと笑われている娘が、私のことだけは、見る価値もない男だと思っている。そう思うと、腹が立って仕方がなかった。腹が立つから、冷たくした。冷たくするほど、おまえは上ばかり見るようになった」
わたくしは、言葉を失っていた。
見上げていたのは、殿下の頭の上ではない。わたくし自身の頭の上だ。
けれど、それは殿下からは見分けがつかない。わたくしの目が、自分の死ぬ日を数えて宙をさまよっているのと、殿下の頭の少し上を見ているのとは、向かい合った者には同じに見えるのだ。
10年。
わたくしは、自分の砂時計しか見ていなかった。殿下は、わたくしの目しか見ていなかった。
「殿下」
わたくしは、ゆっくりと言った。
「わたくしが見上げていたのは、殿下ではございません。わたくし自身の頭の上でございます」
殿下が、こちらを向いた。
「あの夜まで、わたくしの頭の上には砂時計がひとつ乗っておりました。殿下の誓いの砂時計です。わたくしは、それをずっと、自分の寿命だと思っておりました。あの舞踏会の夜半に尽きて、わたくしは死ぬのだと」
「……死ぬと、思っていたのか」
「10年」
殿下は、口を開けたまま、しばらく動かなかった。
「では、おまえは」
「殿下を見下していたのでは、ございません。殿下を見る余裕が、なかったのです。……申し訳ございませんでした」
わたくしは、深く頭を下げた。
王妃教育でいちばん上手になった礼ではない。ただ、頭を下げただけ。
長い沈黙のあと、頭の上から、殿下の声が降ってきた。
「謝るな」
声が、少しかすれていた。
「謝るのは、私のほうだ。……おまえが何を見ていたのか、一度も聞かなかった。聞けばよかった。8歳のときから、ずっと聞けばよかったのだ」
顔を上げる。
殿下は、押し花を懐にしまっておられた。
「捨てないことにした」
「それは、ようございました」
「離宮の庭のも、もう枯らさん。庭師を雇う」
殿下は、ふっと笑った。8歳のとき、押し花をくれて、そっぽを向いた男の子の笑い方に、少しだけ似ていた。
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