第22話
「書いたのは、私だ」
ユリウス殿下は、そう言った。
わたくしは、膝の上で両手を重ねる。驚いてはいけない、と思った。驚けば、この方はまた黙りこむ。10年見てきて、それくらいはわかる。
「いつ、お書きになりました」
「覚えていない」
「覚えておいででないのに、ご自分の字だとおわかりに」
「自分の字くらい、わかる」
殿下は、ぶっきらぼうに言った。
「ゲルハルトに渡した覚えはない。誰かに送った覚えもない。だが、書いたのは私だ。それ以上は言えん」
わたくしは、書状の封蝋を見た。
赤い蝋の上に、小さな砂時計が乗っている。
王家の私印には、守りの術がかかる。紋章を偽られぬよう、蝋に一年もつ術を封じこめるのだと、王妃教育で習った。封を切っても、蝋が残っているかぎり術は消えない。だから、この砂時計は、封をしたその日から落ちはじめている。
残りの量を、読む。
一年もつ砂が、半分ほど落ちていた。
半年前。
花祭りの前でも、冬至の調印の前でもない。もっと前。
「殿下」
わたくしは、顔を上げた。
「この封をなさったのは、半年前でございます。……あの夜の、すぐあとではございませんか」
殿下の肩が、ぴくりと動いた。
「なぜ、わかる」
「封蝋の守りの術の、砂の残りで。一年もつ術が、半分落ちております」
殿下は、長いことわたくしを見ていた。
それから、片手で額を押さえた。下ろしたままの前髪を、くしゃりと握る。
「……あの夜だ」
低い声だった。
「王冠を失って、宮中から離宮へ移される、その前の晩。眠れなくて、机に向かって、書いた。ルートヴィヒの誓いなど、破れてしまえばいい、と。書いて、封をして、それで少しは気が済んだ。送りもせず、机の引き出しに放りこんだ」
「その引き出しは」
「宮中の、私の部屋のものだ。離宮には、身の回りのものしか持ってこなかった」
わたくしは、頭の中で、半年前の宮中を思い浮かべた。
殿下が離宮へ移られたあと、空いた部屋を片づけたのは誰か。王族の私室の片づけを差配するのは、侍従長の務めである。
「ゲルハルト侍従長が、殿下のお部屋を片づけたときに見つけて、持ち出したのでしょう」
殿下は、何も言わなかった。
「殿下が企んだのではありません。殿下が半年前に書いて、送らずにおいた書状を、侍従長が拾って、取っておいた。いつか、殿下に罪を着せるのに使えるように」
あるいは、殿下を担ぎ上げる大義名分に使えるように。どちらにしても、殿下の知らないところで。
殿下は、窓の外を見ていた。
裏の庭の隅に、掘り返したばかりの土が見える。何かを植えたらしい。半分は青い芽を出し、半分は茶色く萎れていた。
「……あの夜のことを、毎晩のように考えた」
殿下が、ぽつりと言った。
「聖女に騙され、ルートヴィヒに王冠を取られ、おまえに承りますと頭を下げられて。最初の何か月かは、誰も彼も恨んでいた。あの書状を書いたのも、その恨みの最初の一滴だ」
「今は」
「今は、蝋燭が一本しかないからな。恨むのにも手間がかかる」
殿下は、自嘲するように笑った。
「……証が、要るだろう」
殿下が、ぽつりと言った。
「おまえの目は、宮中でももう知られていると聞いた。だが、おまえが見たと言うだけで、皆が信じるか」
「魔術院長なら、蝋の術がかけられた時期を確かめられます。わたくしの目より、ずっと遅いですけれど」
殿下は、ふん、と鼻を鳴らした。
昔と同じ鳴らし方。けれど、昔のように冷たくはなかった。
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