第15話 第3部完
10年、誰にも言わなかった。
乳母に話して熱を測られ、二度目に神殿へ連れて行かれそうになり、三度目は口をつぐんだ。7歳の秋から、ずっとそうしてきた。見えるものを見えないふりをして、見上げたい頭の上を見上げないふりをして。
部屋の誰もが、わたくしの答えを待っている。
ルートヴィヒ殿下が、こちらを見ていた。何か言いたげに唇を開き、閉じる。誓いのときと同じ顔だ。明かすかどうかは、本人が決める。殿下は、それを知っている。
わたくしは、立ち上がった。
「はい、陛下。見えます」
部屋が、どよめいた。
「魔法のかかったものの上に、砂時計が見えます。砂は魔法の残りで、落ちきれば魔法が切れる。何の魔法なのかまでは、わかりません。止めることも、足すことも、わたくしにはできません。見えるだけでございます」
「魔力は」
「ございません。先の再判定で、ベルンハルト師の水晶が光らなかったとおりに。これは魔力ではなく、ただの目でございます」
ベルンハルト師が、白ひげを撫でながら小さくうなずいた。
「隠しておったのは、なぜだ」
「信じていただけないと思いましたので。……それと、言えば、こうなると思いましたので」
わたくしは、グレーヴェ伯を見た。伯は、穏やかに微笑んでいる。
「ちょうどよい機会でございます。わたくしの目が本物かどうか、皆さまに確かめていただきとうございます」
「ほう」
「陛下の執務室に、ゼーレンから贈られた金の天秤がございますね。あの天秤の上に、大きな砂時計が乗っております。贈られた日から、ずっと」
伯の微笑みが、ほんのわずかに固まった。
「何の魔法なのか、わたくしにはわかりません。ですから、ベルンハルト師に調べていただきたいのです」
◇
天秤が運びこまれ、魔術院長が両手をかざした。
長い沈黙のあと、ベルンハルト師は目を開けた。
「聴き耳の術ですな。この天秤のそばで交わされた言葉を、対になった品を持つ者へ運ぶ。……陛下の執務室で、ひと月近く」
重臣たちが、色を失った。
陛下の執務室では、条約の落としどころも、縁談への返事の算段も、毎日のように話し合われていた。ゼーレンの使節が、なぜいつも先回りしたような顔をしていたのか。答えは、目の前の天秤にあった。
「対の品は、どこに」
陛下の問いに、わたくしは申し上げた。
「使節団の皆さまは、どなたも魔法を身につけておられません。わたくしの目を避けるためでございましょう。ならば、対の品は身につけず、宿舎のどこかに置いてあるはずです。衛兵の方とご一緒させていただければ、見ればわかります」
宿舎の捜索に、時間はかからなかった。
伯の寝室の、衣装箱の底。布にくるまれた銀の耳飾りの上に、天秤のものと同じ大きさの砂時計が乗っていた。砂の残りも、ぴたりと同じ。
グレーヴェ伯は、耳飾りを見せられても、穏やかな顔を崩さなかった。
「……見える目というのは、厄介なものでございますな」
伯は、静かに言った。
「隠しておられるうちは、釣ってしまえばよかった。まさか、ご自分から明かされるとは」
それきり、伯は何も弁明しなかった。
◇
冬至の日、条約は調印された。
国境は、ヘルム川の流れの中央。漁業権は、両国の折半。縁談は、ゼーレンの側から「なかったこと」にされた。執務室を盗み聞きしていたと各国に知れ渡るよりは、川の半分を手放すほうが安い。ゼーレンの宰相は、そう計算したらしい。
陛下から、望みはないかと二度目のお尋ね。
わたくしは、神殿の地下牢の食事を少しましにしていただきたい、とお願いした。陛下は、理由をお聞きにならない。お聞きにならずに、目尻の皺を深くなさった。
◇
調印を祝う宴の夜。
大広間の天井には、燭台の砂時計が今夜も咲いている。わたくしは殿下の斜め後ろに控えて、遠慮なく天井を見上げていた。
もう、隠さなくていい。
広間のあちこちで、わたくしが見上げるたびに、つられて同じほうを見上げる方がいる。何も見えないのに、何かを探すような顔で。
「姉上」
ルートヴィヒ殿下が、小声で言った。
「私の頭の上には、何がある」
わたくしは、殿下の金色の髪の上を見た。
「整髪の魔法が。今朝、侍従の方がかけ直したばかりでございますね。残りは、宴の終わりまで持つかどうか」
殿下が、ばっと両手で前髪を押さえた。耳まで、赤い。
わたくしは笑って、もう一度、自分の頭の上を見上げた。
6年弱の砂が、今夜も細く落ちている。
もう、見上げるのを隠さなくていい。
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