第10話 第2部完
「リーベルト」
12歳の声は、広間の天井まで、思いのほかよく通った。
「姉上を宮中から出すことは、許さない」
リーベルト公爵が、子どもをあやすような顔をした。
「殿下。お気持ちはわかりますが、これは宮中の秩序の問題で――」
「私の誓いの問題だ」
広間が、しんとなる。
殿下は、上座の陛下を振り返った。
「父上。誓いの中身は、明かすかどうか本人が決めるのでしたね」
「そうだ」
「では、明かします」
殿下は、ちらりとわたくしを見た。また、耳まで赤くなっておられた。それでも、目は逸らさない。
「6歳のとき、宮中の大人たちが、姉上を石ころと呼んで笑っているのを聞きました。姉上は、笑われているのに、まっすぐ前を見て歩いていた。私はそれが、悔しかった」
殿下は、一度、唇を噛んだ。
「だから、神官の前で誓いました。『石ころの姉上が、自分で出ていくと言うまで、誰にも王宮から追い出させない』と」
広間の誰も、声を出さない。
わたくしの頭の上で、砂が細く落ちている。
そういうことだったのか、と思った。6年前の、6歳の男の子の誓い。それが、王冠に関わる誓いになって、今朝、わたくしの頭の上に乗ったのだ。
「リーベルト。そなたは今、姉上を宮中から出せと言った」
殿下の声は、少し震えていた。それでも、最後まで言い切る。
「それは、私の誓いを破らせることだ。王太子の誓いを破らせれば、王冠はまた行き場をなくす。……そうなれば、王冠はどこへ戻る」
答えは、誰にでもわかった。
謹慎中の、兄君のところへ。
広間の目が、壁際のユリウス殿下へ流れ、それからリーベルト公爵へ戻った。
公爵の顔から、初めて余裕が消えた。
「陛下、わたくしは誓いの中身など存じませず――」
「中身を知らずとも、王太子の誓いの印が誰に置かれたかは知っておったはずだ」
陛下が、静かにおっしゃった。
「神殿の水盤を覗かせた神官から、昨日、話を聞いた。そなたの屋敷に招かれ、金を受け取ったと申しておる」
公爵は、口ひげに手をやりかけて、その手を下ろした。
今度は、整えるものが何もなかったのだろう。
「衛兵」
陛下の声に、衛兵が動く。リーベルト公爵は、最後まで背筋を伸ばしたまま、大扉の向こうへ連れて行かれた。
壁際のユリウス殿下は、何もおっしゃらない。ただ、張りついた前髪の下で、弟君のほうをじっと見ておられた。
◇
「姉上」
広間の人がはけたあと、ルートヴィヒ殿下が、わたくしの袖を引いた。
「怒っているか」
「なぜでございます」
「勝手に、姉上を誓いに使った。6年も、宮中に縛ることになる」
わたくしは、少し考えた。
「殿下の誓いは、わたくしが自分で出ていくと言うまで、でございましたね」
「そうだ」
「では、わたくしが今ここで『出ていきます』と申し上げたら」
殿下の顔が、さっと青くなった。
「……誓いは、果たされたことになる。破れはしない。姉上は、自由だ」
陛下が、後ろでうなずいておられる。
自由。
わたくしは、その言葉を口の中で転がしてみた。10年、自分の死ぬ日を数えて暮らしてきた。今度の砂時計は、わたくしの一言で消せるのだという。
「お父さま」
壁際で待っていた父に、わたくしは向き直った。
「北へは、帰りません。今は、まだ」
父は、驚かなかった。とうに、わかっていたという顔をしている。
「6年か」
「いいえ。わたくしが帰りたくなるまで、です。6年より早いかもしれませんし、遅いかもしれません」
「……言い出したら、聞かんのだったな」
父は苦笑して、わたくしの頭を撫でた。7歳の冬と、同じ手つきだった。
◇
回廊で、ユリウス殿下とすれ違ったのは、その夕方のことだ。
わたくしは足を止め、袖の内から小さな包みを取り出した。
「お返しいたします」
殿下は、包みを開いて、黙りこんだ。
ぺしゃんこの、いびつな青い花。
「……捨てればよかったものを」
「捨てるかどうかは、殿下がお決めくださいませ。わたくしが決めることでは、もうございませんので」
殿下は、長いこと押し花を見ていた。
それから、何も言わずに懐へしまって、歩いていかれる。張りついた前髪が、夕陽に光っていた。
◇
夜、屋敷の窓辺で、わたくしは首をそらした。
頭の上に、砂時計がある。
金の枠に、硝子の胴。白い砂が、糸のように細く落ちている。6年分の砂である。
前のものは、乗せられていた。どかし方も知らず、何が終わるのかも知らず、ただ見上げているしかなかった。
今度のものは違う。わたくしが一言いえば、いつでも消える。
消さずにおく理由は、いくつかある。殿下の条約の読み方は、まだ危なっかしい。父は月に一度、様子を見に来ると言い張っている。ミーナは、紹介状を破いてしまった。
それに、明日の予定がある。
明後日の予定も、その先の予定も、わたくしは自分で立てられる。
今度の砂時計は、わたくしが自分で乗せておくことにした。
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