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夢を諦めた君のスパイクから、十七歳の君が現れた  作者: situ725


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7/16

第7話 私じゃない活躍

 翌週の金曜日、練習前に倉橋監督が部員たちを集めた。


「今日は紅白戦をする」


 その一言で、並んでいた部員たちの空気が変わった。


 県大会まで、もうあまり時間はない。


 ただの練習ではないことを、全員が分かっていた。


 倉橋監督は手元のバインダーへ目を落とす。


「試合時間は前後半二十分。メンバーは今から発表する。県大会の先発を決める材料にするから、そのつもりで」


 胸の奥が大きく鳴った。


 隣に立つ陽菜が、私の肘を軽くつつく。


「美緒、顔が固い」


「固くないよ」


「固いって」


 口元を動かしてみる。


 笑ったつもりだったけれど、陽菜は困ったような顔をした。


「もっと変になった」


「放っておいて」


 私たちの後ろでは、少年が腕を組んで立っていた。


「紅白戦くらいで緊張するなよ」


 返事はしない。


 部員たちの前で独り言を言うわけにはいかなかった。


「紅組」


 倉橋監督が名前を読み上げる。


「高瀬、小野寺、藤崎――」


 自分の名前が呼ばれた瞬間、息を止めた。


 紅組の攻撃的ミッドフィルダーは私。


 フォワードには陽菜がいる。


 そして白組には――


「橘」


 沙月の名前が呼ばれた。


 同じポジションを争う私たちは、別々のチームに分けられた。


 直接比べるためだ。


「面白くなってきたな」


 少年が白組にいる沙月を見ながら笑う。


 私は胸元で手を握った。


 今日、沙月よりいいプレーを見せられれば、先発へ近づける。


 反対に何もできなければ、今までと変わらない。


 見えているのに出せない選手。


 監督から信用されないままの控え。


「藤崎」


 呼ばれて顔を上げる。


 主将の真帆先輩が、メンバー表を持って立っていた。


「紅組は最初から前へ行く。小野寺の裏への動きを使いたい」


「はい」


「あなたが止まったら、攻撃も止まるから」


「……はい」


 真帆先輩は脅しているわけではない。


 私の役割を確認しているだけだ。


 それでも、その言葉は重かった。


「大丈夫」


 陽菜が隣から顔をのぞき込む。


「今日は何回でも走るから」


「外しても?」


「外したら、もう一回走る」


「何回も失敗したら?」


「何回でも走る」


 陽菜は迷わず答えた。


「だから、美緒も何回でも出して」


 私は頷いた。


 そのやり取りを聞いていた少年が、満足そうに笑う。


「分かってるじゃないか」


 分かっている。


 陽菜が走ったら、迷わず出す。


 失敗しても、次を選ぶ。


 頭では、ずっと前から分かっていた。


     ◇


 試合開始の笛が鳴った。


 白組のキックオフ。


 沙月はボールを受ける前に一度後ろを確認し、すぐに右へ展開した。


 派手なプレーではない。


 けれど判断が速い。


 出したあとも止まらず、中央へ戻ってパスコースを作る。


「橘、戻りが速いな」


 少年が感心したように言う。


 白組がボールを失う。


 沙月はすぐに切り替え、味方と二人で陽菜の進路を塞いだ。


 陽菜が苦し紛れに戻したボールを、私は受ける。


 前を向いた。


 右側では味方が寄ってきている。


 左の奥では、陽菜が沙月の背後へ動き始めていた。


 見えている。


 今なら通せる。


 けれど、沙月も気づいていた。


 身体の向きを変え、陽菜へのコースを消そうとしている。


 少しでも遅れれば奪われる。


「今だ!」


 少年の声が飛ぶ。


 右足を振りかける。


 その瞬間、沙月の足が伸びてくるのが見えた。


 私は蹴る方向を変え、近くの味方へ横パスを出した。


「ああ!」


 陽菜が走るのをやめる。


 沙月は何事もなかったように中央へ戻った。


「何でやめた!」


 少年が私の隣で声を上げる。


「今のは足が届いてました」


「届く前に出せただろ」


 返事はできない。


 白組の選手が近づいてきたため、私はボールを受け直しに動いた。


 けれど、頭の中には今の場面が残っていた。


 出せたかもしれない。


 でも、奪われたかもしれない。


 同じ迷いが、次の判断を遅らせる。


 白組のボールになった。


 沙月が中央で受ける。


 紅組の選手が寄せるより先に、左前方へ縦パスを通した。


 味方が抜け出す。


 真帆先輩が身体を入れ、何とかボールを外へ逃がした。


「戻って!」


 真帆先輩の声が響く。


 私は慌てて守備へ戻る。


 沙月はもう次の位置へ動いていた。


 攻撃でも守備でも迷わない。


 失敗しない場所を選びながら、必要なときには前へ出す。


 私が欲しいものを、沙月は全部持っているように見えた。


「比べるな」


 少年が横から言った。


「比べてません」


「顔に出てる」


 私は前だけを見た。


 試合は動かないまま、前半の半分を過ぎた。


 紅組はボールを持てている。


 けれど、決定的な場面を作れない。


 私のところで攻撃が遅くなる。


 陽菜が何度も裏へ走っているのに、私は確実なときしか出せない。


 確実になるまで待っているうちに、白組の守備が整う。


「藤崎、受ける前に見て!」


 ベンチの倉橋監督から声が飛ぶ。


「はい!」


 分かっている。


 見ている。


 だからこそ、失敗する場面まで見えてしまう。


 私のパスが相手に引っかかるところ。


 白組の速い攻撃につながるところ。


 真帆先輩や陽菜が、落胆するところ。


 悪い結果ばかりが、ボールを蹴る前に頭へ浮かぶ。


「美緒!」


 陽菜が右の裏へ飛び出した。


 沙月との間に、一本だけ道が開いている。


 今度こそ。


 右足で縦へ出す。


 けれど、蹴る直前に力が入った。


 ボールは狙った場所より内側へ転がり、沙月に触れられた。


 白組の選手が拾う。


「ごめん!」


 私はすぐに戻る。


 白組の攻撃が始まった。


 沙月が私の横を走り抜けていく。


 パスを受け、そのまま前方へ運ぶ。


 味方へ預けたあとも止まらず、ペナルティーエリアの手前へ入り込んだ。


 折り返されたボールに右足を合わせる。


 シュートはゴールの上へ外れた。


 それでも、沙月は迷わず打った。


 前半終了の笛が鳴る。


 得点は〇対〇。


 私は膝に手をつき、息を吐いた。


 走っている。


 守備にも戻っている。


 大きなミスを繰り返したわけでもない。


 それでも、何もできていない。


「紅組、集まって」


 真帆先輩の声で、私たちはベンチ前に集まった。


「ボールは持ててる。でも、持たされてるだけ」


 真帆先輩は全員の顔を見渡す。


「小野寺が何度も裏を取ってる。そこを使わないなら、前に置いてる意味がない」


 視線が私へ向いたわけではない。


 それでも、私のことだと分かった。


「後半は、縦を意識して。失敗してもいいから、相手の守備を下げさせる」


「はい」


 全員が返事をする。


 倉橋監督は少し離れたところで、バインダーに何かを書いていた。


 私の評価も、そこへ記されているのだろう。


 また見えているのに出さなかった。


 また沙月に負けた。


「美緒」


 陽菜が隣へ座る。


「さっきのパス、もう少しだったね」


「取られたけど」


「でも、出してくれた」


「成功しなきゃ意味がないよ」


「意味はあるよ」


 陽菜は言い切った。


「次は通るかもしれないから」


 そんなに簡単には思えない。


 次も失敗したら。


 その次も失敗したら。


 県大会の先発は沙月に決まる。


 私はまたベンチから試合を見ることになる。


「後半、交代なし」


 倉橋監督が告げた。


「同じメンバーで続ける」


 まだ機会はある。


 あと二十分。


 その時間で結果を出さなければならない。


「顔、怖いぞ」


 少年が私の前にしゃがみ込んだ。


 誰にも見えない琥珀色の目が、私をのぞき込む。


「焦っても身体が固くなるだけだ」


 分かっています。


 心の中で答えても、憑依していない少年には届かない。


「お前が見えてるものを信じろ」


 それができないから、困っている。


 少年のように、迷わず前へ出られたら。


 少年のように、失敗を恐れず勝負できたら。


 あの数秒間のように。


 身体を任せれば、結果を出せるかもしれない。


「まさか」


 少年の表情が変わった。


 私が見ていたものに気づいたのだろう。


「使うつもりか?」


 私は答えずに立ち上がった。


     ◇


 後半が始まった。


 紅組は前半より高い位置から守備を始めた。


 陽菜が白組のディフェンダーへ走る。


 私もパスコースを切る。


 白組が焦って出したボールを、真帆先輩が奪った。


「藤崎!」


 縦パスが入る。


 私は中央で受け、身体を前へ向けた。


 目の前には沙月。


 右には陽菜。


 左には味方のサイドハーフ。


 三つの選択肢がある。


 沙月はすぐに飛び込まず、私が迷うのを待っていた。


 右へ出せば、陽菜が走れる。


 でも、沙月に読まれている。


 左なら安全につながる。


 自分で運ぶこともできる。


「来い」


 少年の声が近くで聞こえた。


 沙月が一歩、間合いを詰める。


 私は左へパスを出した。


 攻撃は続いた。


 けれど、白組はその間に守備を整えていた。


 結局、シュートまで行けない。


 また同じだ。


 時間だけが過ぎていく。


 後半五分。


 沙月が縦へ出したパスから、白組が決定機を作った。


 シュートは真帆先輩が身体を投げ出して防いだ。


「藤崎!」


 立ち上がった真帆先輩が、私を呼ぶ。


「切り替えて!」


「はい!」


 怒られたわけではない。


 それなのに胸が縮む。


 私の方がいいところを見せなければならないのに、沙月ばかりが試合を動かしている。


 監督は何度もバインダーへ何かを書いている。


 あと十五分。


 結果が欲しい。


 ただ前へ出しただけでは足りない。


 得点につながるプレー。


 誰が見ても分かる結果。


 私は少年を見た。


 彼は険しい顔をしている。


「本当にやるのか?」


 小さく頷いた。


 周囲から見れば、試合中に一度俯いただけに見えただろう。


「昨日、分かっただろ」


 少年は私の身体を見る。


「俺の感覚で無理に動かせば、また足に負担がかかる」


「短い時間だけ」


 走りながら、小さな声で答えた。


「何か言った?」


 近くにいた陽菜が振り返る。


「何でもない」


 私は前を向いた。


 少年が隣を走る。


「俺に何をさせるつもりだ?」


「結果を出したいんです」


「それは、お前が出す結果だろ」


「手伝ってください」


「美緒」


「少しだけでいいから」


 白組がボールを回している。


 私は守備の位置を取りながら、少年の返事を待った。


「無理な動きはしない」


 少年が言う。


「お前の歩幅と筋力に合わせる。それでもいいなら」


「お願いします」


「本当に、俺に任せるのか?」


 胸の奥が震えた。


 これは検証ではない。


 私は結果を求めている。


 沙月に勝ちたい。


 監督に認められたい。


 先発に選ばれたい。


 そのために、少年へ身体を貸そうとしている。


 迷いを押し込める。


「今だけ、私の身体を貸します」


 胸の奥に熱が生まれた。


 走っていた少年の輪郭が、橙色の光に包まれる。


 その姿が私へ重なった。


 視界が一瞬だけ揺れる。


『聞こえるか?』


『はい』


『無理だと思ったら、すぐに止めろ』


『分かっています』


 身体の重心が前へ移る。


 背筋が伸びる。


 視界そのものは変わらない。


 けれど、見えているものの意味が変わった。


 白組の選手の足の向き。


 味方との距離。


 沙月が次に閉じようとしている場所。


 すべてが、一つの道につながって見える。


『来るぞ』


 真帆先輩が白組からボールを奪った。


「藤崎!」


 パスが来る。


 少年は、受ける前に一度右を見た。


 陽菜が動き始めている。


 沙月は、その視線につられて右側へ重心を寄せた。


 ボールを受ける。


 少年は右足で前へ押し出すと見せかけ、左足の外側へボールを逃がした。


 沙月の足が空を切る。


「えっ」


 誰かの声が聞こえた。


 身体が沙月の横を抜ける。


 速くなったわけではない。


 筋力が増えたわけでもない。


 相手が動く前に、その逆を選んだだけだ。


『歩幅、合わせてください』


『分かってる』


 少年は大きく蹴り出さない。


 私の足が届く範囲で、細かくボールを運ぶ。


 白組のディフェンダーが前へ出てきた。


 その背後に空いた場所へ、陽菜が走る。


『陽菜が空いてます』


『まだだ』


 少年は陽菜を見ながら、そのまま中央へ進んだ。


 ディフェンダーが私を止めるために寄ってくる。


 もう一人も中央へ絞る。


 陽菜への道が広がった。


『今だ』


 右足でボールを押し出す。


 相手二人の間を、低いパスが抜けた。


「陽菜!」


 私の口から、普段より大きな声が出る。


 陽菜がボールへ追いついた。


 ゴールキーパーと一対一になる。


 右足を振り抜く。


 ボールはゴール左隅へ転がった。


「入った!」


 紅組から歓声が上がる。


 陽菜が両手を上げ、そのまま私へ走ってきた。


「美緒、今のすごい!」


 抱きつかれそうになった瞬間、少年が一歩避けた。


 けれど身体は私のものなので、陽菜の腕から逃げきれない。


「ちょっと、小野寺。苦しい」


 私の声なのに、口調が普段と違う。


 陽菜の動きがわずかに止まった。


「……美緒?」


『口調』


 内側から注意する。


『悪い』


「ごめん。ちょっと息が苦しくて」


 私の意識で言い直す。


 身体の主導権はまだ少年にある。


 それでも、声だけなら私も出せるらしい。


「大丈夫?」


「うん」


 陽菜は笑った。


 けれど、その目には少しだけ戸惑いが残っていた。


 紅組の選手たちが自陣へ戻っていく。


 得点は一対〇。


 私のパスから、陽菜が決めた。


 結果が出た。


 胸の中に喜びが広がる。


 けれど同時に、身体の奥に少年の意識があることも感じていた。


 今の判断は私ではない。


 相手の重心を動かしたのも。


 沙月をかわしたのも。


 陽菜へ完璧なタイミングで出したのも。


 全部、少年だ。


『もう戻ってください』


『まだ数秒しか経ってない』


『得点できました』


『監督は、一回のプレーだけで決めるのか?』


 答えられなかった。


 少年の言うとおりだった。


 一度いいプレーをしただけでは、先発になれるとは限らない。


『もう少しだけ』


 私から頼んだ。


 少年はすぐには答えなかった。


『足は?』


『大丈夫です』


『違和感が出たら、すぐ終わるぞ』


『はい』


 試合が再開する。


 白組は同点に追いつこうと前へ出てきた。


 沙月が中央でボールを受ける。


 少年は迷わず距離を詰めた。


 沙月が右へ運ぼうとする。


 その瞬間、少年が左足を伸ばした。


 ボールだけを奪う。


 沙月の目が見開かれた。


「藤崎?」


 少年は答えない。


 奪ったボールを前へ運ぶ。


 白組の守備が下がる。


 ゴールまでの道が見えた。


『打つぞ』


『ここから?』


『入る』


 ペナルティーエリアの手前。


 普段の私なら、味方を探す場所だ。


 陽菜も右へ走っている。


 それでも少年はゴールを見ていた。


 ディフェンダーの身体に隠れ、キーパーから一瞬だけボールが見えなくなる。


 少年は右足を振った。


 強いシュートではない。


 私の筋力で打てる範囲の、低く速いボール。


 ディフェンダーの足元を抜ける。


 ゴールキーパーが反応する。


 伸ばした手の先を通り、ボールが左ポストへ当たった。


 硬い音が響く。


 跳ね返ったボールは、ゴール前へ戻ってきた。


「美緒!」


 陽菜が飛び込む。


 けれど、白組のディフェンダーが先に外へ蹴り出した。


「ああ、惜しい!」


 紅組の声が上がる。


 得点にはならなかった。


 それでも、ベンチの空気が変わったのが分かった。


 倉橋監督がバインダーから顔を上げ、こちらを見ている。


 憑依してから、それほど長い時間は経っていない。


 それでも、前回の数秒とは比べものにならないほど長く感じた。


 呼吸だけでなく、頭の奥にも鈍い重さが広がり始めていた。


『今の、私には打てません』


『身体はお前のだ』


『でも、打つと決めたのは蓮さんです』


 少年は答えなかった。


 胸の奥が息苦しい。


 足も少しずつ重くなっている。


『もう戻ってください』


『分かった』


 私は身体の主導権を取り戻そうとする。


 胸の奥の熱が薄れる。


 少年の姿が、私の隣へ押し出された。


 一瞬、足元が揺らぐ。


「美緒!」


 近くにいた陽菜が腕を支えてくれた。


「大丈夫?」


「うん。少し息が上がっただけ」


「急に動きが変わったから」


 陽菜は私の顔をのぞき込む。


「また、この前みたいだった」


 胸が詰まった。


「集中できてたのかも」


「そっか」


 陽菜はそう答えた。


 けれど、完全には納得していない。


 試合はそのまま続いた。


 身体は私へ戻っている。


 視界も、判断も、いつもの自分のものだ。


 白組のボールを奪い、私へパスが来る。


 さっきまで見えていた道が消えている。


 沙月が近づく。


 私は一度、陽菜を見た。


 裏へ走ろうとしている。


 今なら出せる。


 足を振る。


 けれど、また失敗が頭をよぎった。


 私は近くの味方へ横パスを出した。


 少年が隣で息を呑む。


 沙月は何も言わず、パスを追って守備へ戻った。


 さっきまでの私は、沙月をかわした。


 今の私は、勝負を避けた。


 同じ身体なのに。


 試合終了の笛が鳴った。


 紅組が一対〇で勝った。


 得点は、私から陽菜へのアシスト。


 シュートも一本。


 誰が見ても、前半よりいい結果だった。


 それなのに、心から喜ぶことができなかった。


     ◇


「集合」


 倉橋監督の声で、両チームがベンチ前へ集まった。


 監督は紅白戦の内容を一人ずつ振り返っていく。


 守備の連係。


 攻撃への切り替え。


 声の掛け方。


 そして、私の名前が呼ばれた。


「藤崎」


「はい」


「後半のアシストはよかった」


 部員たちの視線が集まる。


「相手を一人引きつけてから、小野寺へ出した。あの判断なら、前線の選手を生かせる」


「はい」


「シュートも悪くない。今までなら、あの位置でも横を探していた」


 褒められている。


 ずっと欲しかった言葉だった。


 監督に認めてほしかった。


 先発候補に入れてほしかった。


 そのために結果を出した。


 けれど、その言葉を受け取っているのは私だ。


「次の練習から、先発組でも試す」


 胸が大きく鳴った。


「本当ですか?」


「決定ではない。橘と競争してもらう」


「はい!」


 反射的に大きな返事が出た。


 嬉しい。


 先発へ近づいた。


 沙月と同じ場所に立てるかもしれない。


 隣にいた少年を見る。


 喜んでいると思った。


 けれど、彼は沙月の方を見たまま、口元を引き結んでいた。


 自分のプレーが、誰の立場を動かしたのか。


 少年も今になって気づいたようだった。


 部員たちが解散する。


 陽菜がすぐに駆け寄ってきた。


「やったね、美緒!」


「うん」


「先発組だよ!」


「まだ候補だけど」


「候補になったのがすごいんだって」


 陽菜は自分のことのように喜んでいる。


「今日のパス、本当に気持ちよかった。絶対来るって思った」


「私も……通ると思った」


「うん。でも」


 陽菜は一瞬だけ、私の目を確かめるように見た。


「途中の美緒、やっぱり少しだけ知らない人みたいだった」


「集中してただけだよ」


「……そっか」


 陽菜はそれ以上、追及しなかった。


 けれど、笑顔はさっきより少しだけ小さくなっていた。


「次もお願いね」


「うん」


 返事をした声が、自分のものではないように感じた。


 陽菜が片づけへ向かう。


 私はその場に立ったまま、手のひらを見つめた。


 この手でパスを出した。


 この足で沙月をかわした。


 この身体でシュートを打った。


 それでも、私がしたことではない。


「藤崎」


 声をかけられて振り返る。


 沙月が立っていた。


 黒髪のボブが、汗で頬に張りついている。


「何?」


「今日のあなた、うまかった」


「……ありがとう」


 素直に喜べない。


 沙月は私の顔を見たまま、言葉を続ける。


「でも、藤崎らしくなかった」


 心臓をつかまれたような気がした。


「どういう意味?」


「そのままの意味」


「私がいいプレーをしたら、おかしいの?」


「そうは言ってない」


 沙月の声は冷たくなかった。


 責めているわけでもない。


 ただ、本当に疑問を感じているようだった。


「前半は、いつもの藤崎だった。見えてるのに迷って、安全な方へ出してた」


 何も言えない。


「でも後半、急に迷わなくなった」


「吹っ切れただけだよ」


「そうかもしれない」


 沙月は一度、視線を下げた。


「シュートを打つ前、小野寺が右を走ってた」


「それが何?」


「いつもの藤崎なら、あそこでは絶対に小野寺を見る」


 沙月は静かに続けた。


「でも、あのときは最初からゴールしか見てなかった」


 少年は、陽菜が走っていることに気づいていた。


 それでも迷わずシュートを選んだ。


 私なら、きっと最後までパスを探していた。


「最後は、また戻ってた」


 試合終了前の横パス。


 陽菜の動きを見ながら、私は前へ出せなかった。


 沙月はそこまで見ていた。


「私がどんなプレーをしても、沙月には関係ないでしょう」


 思ったより強い言葉が出た。


「関係ある」


 沙月はすぐに答えた。


「同じポジションを争ってるから」


 その言葉に、胸が痛んだ。


 沙月は自分の力で、この場所に立っている。


 守備をして、走って、判断し続けている。


 私は誰かの力を借りて、その場所を奪おうとしている。


「今日のあなたが本当の藤崎なら、私ももっと頑張る」


 沙月は真っすぐ私を見る。


「でも、そうじゃないなら――」


 そこで言葉を止めた。


「何?」


「分からない」


 沙月は首を横へ振る。


「ただ、変だった」


 それだけ言って、片づけへ戻っていった。


 私は追いかけられなかった。


     ◇


 部室を出る頃には、空が薄暗くなっていた。


 少年は校門まで何も言わなかった。


 いつもなら、試合の場面を一つずつ振り返り、あれがよかった、ここが悪かったと話し続ける。


 けれど今日は、私の少し後ろを歩いている。


「何か言ってください」


 校門を出たところで、私は立ち止まった。


「何を?」


「結果が出たんですよ」


「そうだな」


「先発組でも試してもらえることになりました」


「聞いてた」


「だったら、少しくらい喜んでくれてもいいでしょう」


 少年は私を見た。


 その表情は、河川敷で一緒にボールを蹴ったときとは違っていた。


「美緒は嬉しいのか?」


「嬉しいです」


「本当に?」


「何でそんなことを聞くんですか」


「お前、監督に褒められたとき、ずっと下を向いてただろ」


「疲れてただけです」


「橘に言われたことを気にしてるのか?」


「気にしてません」


「嘘つけ」


 私は歩き出した。


 少年も隣へ並ぶ。


「沙月は、私の事情を知らないだけです」


「知ったら納得すると思うか?」


「知ることはありません」


「そういう話じゃない」


 足を止める。


「じゃあ、何が言いたいんですか?」


 少年はしばらく黙っていた。


 通学路を、自転車に乗った生徒が通り過ぎる。


 誰も、私の隣にいる少年を見ない。


 誰にも聞こえない声で、少年は言った。


「俺が取った場所に、お前が立っていいのか?」


 胸の奥が冷たくなった。


 少年は言葉を切る。


「……いや。俺も途中で止めるべきだった」


 意外な言葉だった。


「蓮さんが?」


「一回結果が出たら、もっとやれると思った」


 少年は自分の右足へ目を落とす。


「試合の中に入ったら、勝ちたくなった。シュートも打ちたくなった」


「だったら、私だけが悪いわけじゃないでしょう」


「そうだな。俺にも責任はある」


 少年は否定しなかった。


「でも、最後に身体を貸すと決めたのはお前だ」


「手伝うって言ったのは蓮さんでしょう」


「言った」


「私が身体を貸さなければ、何もできなかったじゃないですか」


「それもそうだ」


「だったら、二人で出した結果でしょう」


「本当にそう思ってるなら、何でそんな顔してるんだ?」


 答えられなかった。


 少年は私を責めるような目をしていない。


 怒ってもいなかった。


 自分にも責任があると認めた上で、私へ問いかけている。


 それが余計につらかった。


「俺はプレーした」


 少年が静かに続ける。


「お前の身体を借りて、俺の判断で沙月をかわして、陽菜へ出した」


「分かっています」


「シュートを打ったのも俺だ」


「分かってるって言ってるでしょう!」


 声が大きくなった。


 前を歩いていた生徒が振り返る。


 私は慌てて俯いた。


 少年は何も言わず、私を見ている。


「……分かってます」


 今度は小さな声で言った。


 監督に褒められたのは私。


 先発候補になったのも私。


 沙月の場所を奪おうとしているのも私。


 けれど、結果を出したのは少年だった。


「でも」


 私は胸元で手を握る。


「私だって、試合に出たいんです」


「うん」


「先発になりたい」


「分かってる」


「ずっと沙月に負けて、監督にも信用されなくて……やっと機会をもらえたんです」


 少年は否定しなかった。


「少しくらい、力を借りてもいいじゃないですか」


 口にしてから、その言葉が胸の中へ重く残った。


 少しくらい。


 今日だけ。


 短い時間だけ。


 そう言えば、何度でも借りられる。


 少年は私にしか見えない。


 誰にも知られない。


 結果だけは、すべて私のものになる。


「そうかもな」


 少年が言った。


 私は顔を上げる。


「でも、それを決めるのは俺じゃない」


「じゃあ、誰ですか?」


「お前だよ」


 少年は、まっすぐ私を見た。


「今日の活躍を、自分のものだって思えるかどうかは、お前が決めることだ」


 返す言葉がなかった。


 少年は先に歩き出す。


 私から離れられないため、数歩先で速度を緩めた。


 その背中を追いながら、私は右足へ目を落とした。


 沙月をかわした足。


 シュートを打った足。


 陽菜へのパスを通した足。


 全部、私の身体だ。


 それなのに、試合を思い返すたび、そこにいるのは私ではなかった。


 倉橋監督の言葉が蘇る。


 先発組でも試す。


 ずっと欲しかった機会。


 嬉しいはずなのに、胸の奥には、喜びとは違うものが残っている。


 私じゃない誰かの活躍を、自分の名前で受け取ってしまった。


 その重さを、どうすればいいのか分からなかった。


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