表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢を諦めた君のスパイクから、十七歳の君が現れた  作者: situ725


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/24

第22話 私のサッカー

 県大会決勝。


 全国大会への出場権を懸けた、代表決定戦。


 試合会場へ着いたとき、観客席にはすでに多くの人が集まっていた。


 準決勝までとは、空気が違う。


 青葉高校の応援席には、在校生や保護者だけでなく、男子サッカー部の選手たちも来ていた。


 反対側の観客席には、対戦相手である私立明成学園の応援団が並んでいる。


 そろいのシャツ。


 大きな旗。


 太鼓の音。


 選手紹介のたびに、まとまった声が会場へ響く。


「すごい人数ですね」


 私はベンチの前に立ち、観客席を見上げた。


「今さら緊張したのか?」


 隣にいる蓮くんが言う。


「していません」


「昨日も同じこと言ってたな」


「今日は手が震えていません」


「じゃあ、何で十八番を何度も触ってるんだ?」


 私は自分の胸元から手を離した。


 白いユニフォーム。


 青い線。


 胸には校名。


 背中には十八番。


 少し前まで、控えに近い自分を示す番号だと思っていた。


 けれど今は違う。


 この番号には、役割がある。


 先発の選手たちがつないだ試合を受け取り、流れを変える役割。


「確認しているだけです」


「何を?」


「ちゃんと、自分の番号を着ているかです」


「誰の番号を着るつもりだったんだよ」


「そういう意味ではありません」


 蓮くんは少し笑う。


 その輪郭は、昨日より薄く見えた。


 強い日差しの下だからではない。


 影の中へ入っても、肩の向こうに観客席が透けて見える。


 見ていると胸が苦しくなる。


 けれど、今日は試合に集中すると決めた。


 別れのことを考えるのは、試合が終わってからだ。


「美緒」


 お姉ちゃんの声が聞こえた。


 観客席を見上げる。


 前方の席で、お姉ちゃんが手を振っていた。


 その隣には、現在の蓮さんが座っている。


 黒いパーカー。


 伸びた前髪。


 以前と変わらない姿。


 けれど、今日は顔を伏せていなかった。


 ピッチを見ている。


「来ましたね」


「ああ」


 蓮くんも観客席を見る。


 現在の蓮さんに、蓮くんの姿は見えない。


 それでも、蓮くんの顔には少しだけ安堵が浮かんでいた。


「見に来てくれました」


「まだ何かを選んだわけじゃない」


「分かっています」


「試合を見ただけで、全部変わるわけでもない」


「それも分かっています」


「なら、今は自分の試合だけ見ろ」


「はい」


「途中で俺の方を見るなよ」


「見ません」


「本当に?」


「たぶん」


「そこは言い切れよ」


 蓮くんが呆れたように言う。


「藤崎、足を出して」


 倉橋先生に呼ばれる。


 私はベンチへ戻り、右足を前へ出した。


 先生がテーピングの状態を確認する。


「締めつけすぎていない?」


「大丈夫です」


「痛みは?」


「ありません」


「違和感が出たらすぐ言うこと」


「はい」


 何度も確認された言葉。


 けれど、今日は一度も面倒だと思わなかった。


 この身体で、最後まで責任を持ってプレーする。


 そのために必要な確認だった。


 先発選手が呼ばれる。


 沙月が中央に立つ。


 陽菜が前線へ入る。


 真帆先輩が全員を集めた。


「ここまで来たことに満足しない」


 真帆先輩の声が響く。


「相手が強いことは分かってる。でも、強いから負けるわけじゃない」


 全員の目が先輩へ向けられる。


「私たちがやってきたことを、最後までやる」


 真帆先輩が拳を中央へ出す。


「全員で守る。全員でつなぐ。全員で点を取る」


 先発だけではない。


 ベンチの選手も、その輪へ手を伸ばす。


 私も十八番の胸を押さえ、拳を重ねた。


「全国へ行くよ!」


「はい!」


 声が重なった。


 試合開始の笛が鳴った。


     ◇


 明成学園は、開始直後から違っていた。


 走る速さだけではない。


 ボールを受ける前の動き。


 味方との距離。


 奪われたあとの切り替え。


 すべてが、これまでの相手より一段速い。


 青葉高校がボールを持つ。


 沙月が中央で受けようとする。


 その前に、相手のボランチが背後へ入った。


 味方からのパスが出ない。


 沙月は一度外へ動く。


 相手もついてくる。


 空いた中央へ別の選手が入ろうとするが、すぐに相手の守備が戻った。


「動かされてる」


 蓮くんが言う。


「沙月が相手を動かしているんじゃないんですか?」


「相手が、沙月を行かせたい場所へ追い込んでる」


 私にも見え始めた。


 明成学園は、沙月へ完全にボールを入れさせないわけではない。


 外側へ追い出してから受けさせる。


 前を向けない状態で寄せる。


 沙月が後ろへ戻せば、最終ラインへさらに圧力をかける。


 青葉高校は前へ進めない。


 前半五分。


 真帆先輩が中央でボールを受ける。


 相手フォワードが正面から走る。


 右側のパスコースも、ボランチへの縦も切られている。


 真帆先輩は左サイドへ長く蹴った。


 陽菜が追う。


 しかし、相手センターバックが先に身体を入れる。


 ボールはそのままタッチラインの外へ出た。


「陽菜、次!」


 真帆先輩が声を上げる。


「はい!」


 陽菜はすぐに相手のスローインへ寄せた。


 前線から追う。


 沙月も後ろから距離を詰める。


 二人で相手を外側へ追い込んだ。


 相手は無理をせず、最終ラインへ戻す。


 そこから反対側へ大きく展開した。


「速い」


 私が呟く。


 青葉高校の選手が移動するより先に、ボールが逆側へ届く。


 相手のサイドハーフが前を向く。


 青葉高校のサイドバックが寄せる。


 その外側を、相手サイドバックが追い越した。


 二対一。


「戻って!」


 ベンチから声が飛ぶ。


 クロスが入る。


 真帆先輩が相手フォワードと競り合う。


 頭で触る。


 ボールはペナルティーエリアの外へこぼれた。


 相手の八番が走り込む。


 沙月も戻っている。


 二人が同時に足を出した。


 ボールが横へ転がる。


 味方のボランチが大きく蹴り出した。


 観客席から拍手が起こる。


「今の守備で精いっぱいですね」


「ああ」


「でも、止めました」


「一回はな」


 蓮くんの言うとおりだった。


 相手はすぐにボールを拾う。


 もう一度、攻撃を作り直す。


 青葉高校は守る時間が続いた。


 前半十分。


 相手が中央から縦パスを入れる。


 真帆先輩の前へ、相手フォワードが下がって受けた。


 真帆先輩はついていかない。


 その代わり、沙月が戻る。


 相手フォワードが反転する前に身体を寄せた。


 ボールがこぼれる。


 陽菜が拾う。


「行け!」


 青葉高校の応援席から声が上がる。


 陽菜は前を向く。


 相手センターバックは二人。


 その間を走る。


 沙月が後ろから追い越す。


 陽菜は一度ボールを止め、沙月へ渡した。


 沙月が中央を運ぶ。


 相手のボランチが寄せてくる。


 右には味方。


 左には陽菜。


 相手センターバックの間に、少しだけ隙間がある。


「出せる」


 思わず口にした。


 沙月も顔を上げた。


 けれど、相手の寄せが速い。


 縦へ蹴る前に足を入れられた。


 ボールを奪われる。


 明成学園が一気に前へ出る。


「戻れ!」


 真帆先輩の声。


 沙月がすぐに追う。


 ボールを失った直後なのに、足を止めない。


 相手の横へ並び、中央への進路を消す。


 味方が戻る時間を作った。


 相手は外へ出す。


 青葉高校の守備が整う。


「沙月だから、今ので終わらなかった」


 蓮くんが言う。


「はい」


 縦パスは通せなかった。


 それでも、失ったあとの守備で仲間を助けた。


 一つのプレーだけで正解や失敗を決めない。


 真帆先輩に言われたことを、沙月は最初から実行している。


 前半十五分。


 明成学園が右サイドから攻める。


 一度外へ出したあと、中央へ戻す。


 青葉高校の選手が外側へ寄った分、中央にわずかな隙間ができる。


 相手の十番が入った。


 縦パス。


 ペナルティーエリアの手前で受ける。


 真帆先輩が寄せる。


 相手はシュートを打つふりをして、右へ短く出した。


 別の選手が走り込む。


「危ない!」


 シュートが放たれる。


 ゴールキーパーが横へ跳ぶ。


 両手で弾く。


 こぼれ球へ相手フォワードが詰める。


 真帆先輩が身体を投げ出した。


 先に触る。


 ボールはゴールラインの外へ出た。


 相手のコーナーキック。


 真帆先輩は立ち上がり、ゴール前の選手を指で動かす。


「一人ずつ確認! 前を空けない!」


 コーナーキックが入る。


 高いボール。


 相手のセンターバックが頭で合わせる。


 ボールはクロスバーの上へ外れた。


 息を吐く。


 ベンチの全員も、同じように肩の力を抜いた。


「まだゼロ対ゼロです」


「ああ」


「耐えられています」


「でも、相手は焦ってない」


 明成学園の選手たちは、決定機を外しても表情を変えない。


 次の攻撃へ戻っている。


 全国大会常連校。


 こういう試合を何度も経験している。


 無得点の時間が続いても、自分たちが押していることを分かっている。


「青葉が先に焦ったら終わる」


 蓮くんが言う。


「焦りません」


「お前が言ってもな」


「みんなは焦りません」


 言い直す。


 その直後、陽菜が前線で相手のパスを奪った。


 相手センターバックが横へ出したボール。


 少し弱かった。


 陽菜が間へ入る。


「陽菜!」


 沙月が走る。


 陽菜が中央へ運ぶ。


 相手センターバックが一人戻る。


 沙月は右側。


 左から味方のサイドハーフも上がっている。


 陽菜は自分で仕掛けた。


 相手センターバックの外側へボールを運ぶ。


 身体を寄せられる。


 それでも足を止めない。


 ペナルティーエリアへ入る直前、右足を振った。


 シュート。


 相手ゴールキーパーが正面で受け止める。


「惜しい!」


 青葉高校の応援席が沸く。


 陽菜は両手を叩く。


 落ち込まない。


 すぐに相手のゴールキックへ備える。


「打ちましたね」


「ああ」


「沙月へ出すこともできました」


「でも、今のは自分で行っていい」


「どうしてですか?」


「ゴールキーパーの位置が少し左だった。相手もパスを警戒してた」


 蓮くんの言葉を聞きながら、自分でも場面を思い返す。


 陽菜は闇雲に打ったわけではない。


 味方の動きによって相手が広がった。


 自分にシュートコースができた。


 だから打った。


 誰かへ出すことが、いつも正しいわけではない。


 自分で打つことが、いつも独りよがりなわけでもない。


 何を選ぶか。


 その判断に、最後まで責任を持つ。


 前半二十三分。


 明成学園の攻撃。


 青葉高校は一度ボールを奪う。


 沙月が中央で受ける。


 相手がすぐに二人寄せる。


 沙月は無理に前を向かず、外へ出した。


 正しい判断。


 けれど、相手はそのパスを待っていた。


 サイドの選手へ一気に寄せる。


 ボールを奪われる。


 短いパスが中央へ入る。


 相手の十番が前を向いた。


 真帆先輩が出る。


 その背後へ、相手フォワードが走った。


 縦パスが通る。


 ゴールキーパーが前へ出る。


 相手フォワードが先に触った。


 横へかわす。


 無人のゴールへ流し込む。


 ネットが揺れた。


 明成学園の応援席から、大きな歓声が上がる。


 得点表示が変わる。


 青葉高校、零。


 明成学園、一。


「切り替えろ!」


 真帆先輩が誰よりも早く声を上げた。


 ゴールキーパーが悔しそうに地面を叩く。


 真帆先輩が近づき、肩を叩く。


「私が前へ出た。次は声を合わせる」


「はい」


「まだ一点!」


 真帆先輩がボールを拾い、センターサークルへ運ぶ。


 青葉高校の選手たちは下を向かない。


 それでも。


 相手は強い。


 一点を取るだけでも難しい。


 さらに全国常連校から二点を奪わなければ、勝てない。


「藤崎」


 倉橋先生に呼ばれ、身体が跳ねた。


「はい」


「何が見える?」


 先生はピッチから目を離さない。


 私は相手の守備を見る。


 明成学園は先制しても、守りへ入っていない。


 前から圧力をかけ続けている。


 沙月へ二人。


 陽菜の近くにはセンターバック。


 青葉高校のサイドが受けると、一気に寄せる。


「相手は、沙月を外へ追い出しています」


「ほかには?」


「ボールと反対側のサイドバックが、中央まで絞っています」


「どうして?」


「陽菜への縦パスを消すためです」


「その外側は?」


 相手の左サイドバックを見る。


 中央へ絞っている。


 その外側には、広い場所がある。


「空いています」


「使える?」


「そこまでボールを運べれば」


「運ぶ方法を考えておきなさい」


「はい」


 先生はそれ以上言わなかった。


 答えを教えない。


 私が何を見て、どう使うかを考えさせる。


 試合は再開する。


 失点後も、明成学園の圧力は弱まらない。


 前半二十八分。


 沙月が自陣まで戻り、相手からボールを奪う。


 身体を入れる。


 相手に押されても倒れない。


 ボールを味方へ預け、そのまま前へ走る。


 もう一度受ける。


 相手が寄せる。


 今度はワンタッチで右へ出した。


 味方が前を向く。


 陽菜が中央から右へ流れる。


 相手センターバックもついていく。


 中央に隙間ができる。


 沙月がそこへ入った。


 返しのパス。


 沙月がペナルティーエリアの手前で受ける。


「打て!」


 ベンチから声が飛ぶ。


 沙月は右足を振った。


 シュートは相手選手に当たる。


 ボールが左へこぼれる。


 味方のサイドハーフが拾う。


 クロス。


 陽菜が飛び込む。


 相手センターバックと競り合う。


 頭で触れる。


 ボールはゴールポストの外へ外れた。


「惜しい!」


 陽菜が両手で頭を抱える。


 沙月は膝へ手をつき、大きく息をしている。


 前半から走り続けている。


 守備。


 組み立て。


 攻撃参加。


 すべてを一人で行っているわけではない。


 それでも、青葉高校が相手へついていくために、沙月の運動量は欠かせなかった。


 前半終了の笛が鳴る。


 零対一。


 青葉高校は一点を追う。


     ◇


 選手たちがベンチへ戻ってくる。


 沙月は座った瞬間、大きく息を吐いた。


 陽菜も顔から汗を流している。


 真帆先輩は水を飲みながら、作戦ボードを見る。


「相手の圧力は落ちない」


 倉橋先生が磁石を動かす。


「でも、前半の最後は外側を使えた」


 先生が沙月を見る。


「橘。後半も最初はそのまま行く」


「はい」


「ただし、全部の守備へ出ようとしない。ボランチと声を合わせること」


「分かりました」


「小野寺」


「はい」


「中央に立ち続けなくていい。相手センターバックを外へ連れ出して」


「はい」


「その背後を、二列目が使う」


 先生の視線が私へ向く。


「藤崎」


「はい」


「準備を始めなさい」


 心臓が速くなる。


「後半、相手の運動量を見て入れる」


「沙月と交代ですか?」


「まだ決めていない」


「はい」


「足首は?」


「問題ありません」


「無理はしない」


「はい」


「でも、怖がっても入らない」


「分かっています」


 私は立ち上がり、ベンチの横で身体を動かし始めた。


 蓮くんがついてくる。


「相手、強いな」


「はい」


 蓮くんはピッチを見つめたまま、しばらく黙っていた。


「美緒」


「何ですか」


「俺が入れば、流れを変えられる」


「使いません」


「美緒」


「昨日、言いました。今日は私がやります」


「……ああ」


 蓮くんは唇をかんだ。


「分かってる。でも、負けたら終わると思ったら、黙っていられなかった」


「私も怖いです」


「なら、一度だけ聞く」


 蓮くんが私を見る。


「本当に、俺を使わないんだな」


「はい」


「俺が入れば、一人を外して前へ運べるかもしれない」


「分かっています」


「勝てる可能性も上がるかもしれない」


「それでも使いません」


「どうしてだ?」


「あなたに勝たせてもらったら、私はずっと自分を信じられないからです」


 蓮くんは黙っている。


「今日だけ勝てても、その次もまた蓮くんを探します」


「俺はいなくなるかもしれない」


「だからです」


 私は蓮くんを見る。


「蓮くんがいなくても、私はサッカーを続けます」


「美緒」


「今日は、私がやる」


 右足で芝を踏む。


「私の身体で」


 胸の十八番へ触れる。


「私の番号で」


 そして、ピッチを見る。


「最後の判断は、私がします」


 蓮くんはしばらく私を見つめていた。


 やがて、少しだけ笑った。


「分かった」


「もう憑依を勧めませんか?」


「ああ」


「負けそうでも?」


「もう言わない」


 蓮くんがピッチへ顔を向ける。


「最後まで見てる」


「はい」


「お前のサッカーを見せろ」


 後半開始の笛が鳴った。


     ◇


 明成学園は、後半も前へ出てきた。


 一点を守ろうとはしていない。


 二点目を取って、試合を決めるつもりだ。


 後半三分。


 相手のサイドハーフが外を突破する。


 クロス。


 真帆先輩が跳ね返す。


 相手の八番がこぼれ球を拾う。


 ミドルシュート。


 ゴールキーパーが横へ弾く。


 相手フォワードが詰める。


 沙月が先に戻り、ボールを外へ蹴った。


 そのまま地面へ倒れ込む。


「沙月!」


 陽菜が近づく。


 沙月はすぐに立ち上がった。


 膝についた土を払う。


「大丈夫」


 走り出す。


 けれど、足取りは前半より重い。


 後半六分。


 沙月が中央でボールを受ける。


 相手が背後から寄せる。


 身体を入れ、ボールを守る。


 もう一人も来る。


 沙月は右へ出す。


 味方が受ける。


 陽菜が裏へ走る。


 パスが出る。


 相手センターバックが先に触る。


 ボールが中央へこぼれる。


 沙月が走り込む。


 右足を振ろうとする。


 けれど、一歩遅い。


 相手ボランチに先に蹴り出された。


 沙月が足を止める。


 肩を大きく上下させる。


「橘!」


 倉橋先生が声をかける。


 沙月がこちらを見る。


 まだできる。


 そう言うように、手を上げた。


 先生はすぐには交代を告げない。


 沙月自身が最後まで走るつもりなのを分かっている。


 同時に、限界が近いことも見ている。


 後半十分。


 明成学園が中央から攻める。


 沙月が寄せる。


 相手はワンタッチで外へ出す。


 沙月が向きを変える。


 一歩目が遅れた。


 外側を相手サイドバックが上がる。


 クロスが入る。


 真帆先輩が相手と競り合う。


 ボールがゴール前へ落ちる。


 相手フォワードが足を振る。


 味方ゴールキーパーが身体で止めた。


 こぼれ球。


 相手がもう一度蹴ろうとする。


 真帆先輩が滑り込む。


 ボールはゴールラインの外へ出た。


「藤崎!」


 倉橋先生に呼ばれる。


「はい!」


「入る準備」


 胸が大きく鳴る。


 私はビブスを脱いだ。


 交代用紙が係員へ渡される。


 交代する選手の番号。


 沙月の番号だった。


 ピッチでは、相手のコーナーキックが行われる。


 真帆先輩が頭で跳ね返す。


 陽菜が前へ蹴り出す。


 試合が一度止まる。


 交代が告げられた。


 沙月がゆっくりとタッチラインへ歩いてくる。


 悔しそうな顔はしていない。


 すべてを出し切った顔だった。


 私はラインの外で待つ。


 沙月が近づく。


「お疲れさま」


 手を上げる。


 沙月は私の手に触れなかった。


 その代わり、正面に立つ。


「藤崎」


「何?」


「私は、失敗しないプレーを選んできた」


 息を切らしながら、沙月が言う。


「守備に戻って、無理なパスは出さない。奪われそうなら、やり直す」


「うん」


「それで、ここまでつないだ」


 沙月のユニフォームは汗と土で汚れている。


 前半から何度も走り。


 相手を追い。


 ボールを奪い。


 試合を私へつないだ。


「でも、今は失敗してでも変えなきゃいけない」


 沙月がピッチを見る。


 零対一。


 残り時間は二十五分ほど。


 守るだけでは終わる。


「そういうのは、藤崎の方が得意でしょ」


「私が?」


「見えないものを見つけるのは苦手だけど」


 沙月が私を見る。


「見えているのに迷うのは、得意だから」


「褒めてないよね」


「半分は」


 少し前の蓮くんと同じことを言う。


「今度は迷っても、最後に出して」


「うん」


 私は手を下ろさずに待っていた。


 沙月がようやく手を上げる。


 強く手のひらを重ねた。


「任せる」


「任された」


 私はピッチへ入った。


     ◇


 芝を踏む。


 歓声が遠く聞こえる。


 右足首に痛みはない。


 テーピングの感触だけがある。


 自分の身体。


 自分の足。


 自分の十八番。


「美緒!」


 陽菜が前線から手を上げる。


「見えてる!」


 答える。


 真帆先輩が近づく。


「藤崎」


「はい」


「失敗してもいい」


 昨日と同じ言葉。


「でも、判断したなら最後まで責任を持ちなさい」


「はい」


「足が痛んだら?」


「すぐに言います」


「取られたら?」


「戻ります」


「なら行って」


 真帆先輩が私の背中を押す。


 試合が再開する。


 私は中央より少し左へ入った。


 沙月とは違う位置。


 同じ場所で同じプレーをする必要はない。


 相手の右ボランチが私を見る。


 近くへ寄ってくる。


 味方のボランチからパスが来た。


 受ける前に後ろを見る。


 一回。


 反対側を見る。


 二回。


 足元へボールが来る。


 相手が背後から寄せる。


 ワンタッチで横へ戻した。


「安全に行くのか?」


 蓮くんが言う。


「今はです」


 私はその場に残らず、外側へ動く。


 相手ボランチがついてくる。


 中央が少し空く。


 味方がそこへ入る。


 返しのパスを受ける。


 今度は前を向けた。


 陽菜が中央から右へ走る。


 相手センターバックがついていく。


 左側に空間ができる。


 味方のサイドハーフが上がる。


 私は左へ出した。


 相手サイドバックが寄せる。


 クロスは上げられない。


 味方が後ろへ戻す。


 攻撃は終わらない。


 もう一度やり直す。


「今のは逃げたパスか?」


 蓮くんが聞く。


「違います」


「ならいい」


 明成学園は私にも強く寄せてくる。


 途中から入った選手。


 足首を痛めた選手。


 ボールを奪うなら、ここだと思われているのかもしれない。


 後半十五分。


 中央で受ける。


 相手が正面から寄せる。


 背後にも一人。


 右には陽菜。


 外には味方。


 私は右へ身体を向ける。


 相手も重心を動かす。


 左足の外側で、逆へ運ぶ。


 一人目を外す。


 蓮くんから教わった動き。


 けれど、強引に二人目を抜こうとはしない。


 中央へ入った味方へ短く出す。


 すぐに前へ走る。


 返しのパス。


 ペナルティーエリアの手前まで運ぶ。


 相手センターバックが出る。


 陽菜が裏へ走る。


 出せる。


 けれど、相手のサイドバックも絞っている。


 狭い。


 私は右足を振る。


 縦パス。


 相手サイドバックが足を伸ばした。


 ボールに触れる。


 通らない。


 相手ボールになる。


「戻る!」


 自分で声を上げる。


 すぐに相手を追う。


 相手は前へ出そうとする。


 私は後ろから追いつかない。


 けれど、進む方向を限定する。


 味方のボランチが正面へ入る。


 二人で挟む。


 ボールがこぼれた。


 真帆先輩が拾う。


 失敗した。


 でも、プレーは終わっていない。


「もう一回!」


 私は前へ走る。


 真帆先輩からパスが来る。


 受ける。


 相手はまだ守備位置へ戻り切っていない。


 左側が空いている。


 大きく展開する。


 味方のサイドハーフが受ける。


 相手サイドバックが外へ出る。


 中央が広がる。


 クロス。


 陽菜が飛び込む。


 頭で触る。


 ボールは相手ゴールキーパーに止められた。


 それでも、青葉高校の応援席から大きな拍手が起こった。


「今のでいい!」


 倉橋先生の声が飛ぶ。


 パスは一度失敗した。


 それでも戻り、奪い返し、もう一度攻撃した。


 一つの失敗で終わらなかった。


 後半十八分。


 明成学園がボールを持つ。


 私たちが前へ出始めたことで、相手にも攻撃する場所が増えている。


 相手の十番が中央で受ける。


 真帆先輩が寄せる。


 その外側へパス。


 相手サイドハーフが走る。


 クロスが入る。


 ゴール前。


 相手フォワードが頭で合わせる。


 ゴールキーパーが反応する。


 ボールは右のポストへ当たった。


 大きな音。


 跳ね返ったボールを真帆先輩が蹴り出す。


 観客席がどよめく。


 私は息を止めていた。


「助かったな」


 蓮くんが言う。


「はい」


「でも、次は止めないとな」


「はい」


 それだけだった。


 蓮くんはもう、憑依を勧めなかった。


 私の選択を信じ、隣で試合を見ている。


     ◇


 後半二十二分。


 青葉高校が右サイドから攻める。


 相手は中央を固めている。


 陽菜の近くにはセンターバックが二人。


 私は少し低い位置で受ける。


 相手のボランチが寄せてくる。


 外へ出す。


 味方が受ける。


 私は中央へ走る。


 相手もついてくる。


 その背後へ、味方のボランチが入る。


 ボールが戻る。


 相手守備が一度中央へ集まる。


 反対側が空く。


「逆!」


 声を上げる。


 味方が左へ大きく展開する。


 サイドハーフが受ける。


 相手サイドバックが寄せる。


 中央へ折り返す。


 私が受ける。


 ペナルティーエリアの手前。


 シュートを打てる距離ではない。


 陽菜が一度下がる。


 相手センターバックがついてくる。


 その背後へ、右のサイドハーフが走る。


 私は右足で浮かせた。


 相手センターバックの頭上を越える。


 味方が追いつく。


 ゴールラインの手前からクロス。


 陽菜が中央へ戻る。


 相手と競り合う。


 ボールが二人の間へ落ちる。


 陽菜が先に触る。


 シュート。


 相手ゴールキーパーが弾く。


 こぼれ球。


 別の味方が詰める。


 相手ディフェンダーが身体を入れる。


 ボールが再びこぼれる。


 私はペナルティーエリアへ入っていた。


 左足を振る。


 相手選手に当たる。


 ボールはゴールラインの外へ出た。


 青葉高校のコーナーキック。


「惜しい!」


 陽菜が私へ駆け寄る。


「美緒、今の見えてた?」


「見えてた」


「次も!」


「うん」


 コーナーキックが入る。


 真帆先輩が上がっている。


 相手と競り合う。


 頭で触る。


 ボールが中央へ落ちる。


 味方が蹴る。


 相手に当たる。


 もう一度こぼれる。


 陽菜が足を伸ばす。


 ボールはゴールポストのすぐ横を通った。


 入らない。


 残り時間は減っていく。


 後半二十六分。


 青葉高校、零。


 明成学園、一。


「焦るな!」


 真帆先輩が叫ぶ。


 けれど、誰も焦っていないわけではない。


 パスが少し速くなる。


 味方同士の距離が広がる。


 前へ急ぐ。


 相手はそれを待っている。


 青葉高校が中央へ縦パスを入れる。


 相手が奪う。


 カウンター。


 明成学園の選手が三人上がる。


 青葉高校の守備は二人。


 真帆先輩が中央を下がる。


 相手は右へ出す。


 サイドの選手がペナルティーエリアへ入る。


 シュート。


 ゴールキーパーが弾く。


 中央へこぼれる。


 相手フォワードが詰める。


 真帆先輩が身体を投げ出す。


 ボールが先輩の脚に当たり、外へ出た。


 真帆先輩はその場に座り込み、右のふくらはぎを押さえた。


「真帆先輩!」


 私は自陣へ戻る。


 試合が止まる。


 倉橋先生と大会スタッフがピッチへ入った。


 大会スタッフが先輩の足を伸ばし、筋肉をゆっくりとほぐす。


 しばらくして、真帆先輩は自分の足で立ち上がった。


「つっただけです」


 ゆっくり歩き、足の状態を確かめる。


 一歩。


 二歩。


 先ほどまでの痛みは少し落ち着いたようだった。


「走れます」


 倉橋先生が厳しい顔で先輩を見る。


「高瀬、もう一度止まったら交代する」


「はい」


「無理に全部追わない。周りを動かしなさい」


「分かりました」


 試合が再開する。


 真帆先輩は痛みを隠していない。


 自分だけで守ろうとせず、味方へ声をかける。


「左、寄せて!」


「中央を閉じる!」


「私の前を空けないで!」


 全員が、自分の身体で責任を持っている。


 後半二十九分。


 残り六分。


 明成学園は少しずつ守備の位置を下げ始めた。


 前からすべてを追わない。


 中央を固め、外へ出させる。


 時間を使う。


 青葉高校がボールを持っても、焦って奪いに来ない。


「ここからが一番難しい」


 蓮くんが言う。


「はい」


「相手は、こっちに持たせてる」


「でも、場所はあります」


 相手の選手たちは中央へ集まっている。


 外側には空間がある。


 けれど、外からクロスを上げても、相手センターバックが強い。


 陽菜一人では競り勝てない。


 中央を動かす必要がある。


 私は低い位置へ下がる。


 味方からボールを受ける。


 相手ボランチはついてこない。


 前を向く。


 右へ出す。


 ゆっくりとつなぐ。


 相手は動かない。


 もう一度戻る。


 今度は左へ出す。


 相手の中盤が少しずつ横へ動く。


 陽菜が中央から右へ流れる。


 相手センターバックがついていく。


「陽菜、もっと外!」


 声をかける。


 陽菜がさらに外へ動く。


 相手センターバックが迷う。


 ついていくか。


 中央に残るか。


 その一瞬、中央に隙間ができる。


 私はそこへ走る。


 味方から縦パスが入る。


 受ける。


 相手ボランチが後ろから寄せる。


 ワンタッチで左へ出す。


 味方が受ける。


 私はさらに前へ走る。


 返しのパス。


 ペナルティーエリアの手前。


 相手センターバックが出てくる。


 陽菜が外から中央へ走る。


 パスを出す。


 相手の足に当たる。


 ボールがこぼれる。


 陽菜が拾う。


 シュートは打てない。


 後ろへ戻す。


 味方がクロスを上げる。


 残り時間を考え、真帆先輩もセットプレーだけはゴール前へ上がっていた。


 つった右足へ負担をかけすぎないよう、無理に跳び込まず位置を取る。


 相手と競り合いながら、頭で合わせる。


 相手ゴールキーパーが弾く。


 こぼれ球が中央へ落ちる。


 私は走る。


 相手も走る。


 先に触る。


 右足を振る。


 相手の足が入る。


 ボールが外へ出た。


 再びコーナーキック。


「藤崎!」


 真帆先輩がゴール前から叫ぶ。


「はい!」


「次も来る!」


「はい!」


 コーナーキックが上がる。


 真帆先輩へ相手が二人ついている。


 ボールはその手前へ落ちる。


 味方が頭で後ろへそらす。


 陽菜が反応する。


 右足で蹴る。


 相手選手の身体に当たる。


 ボールが高く上がる。


 ゴール前へ落ちる。


 相手ゴールキーパーが両手を伸ばす。


 真帆先輩は無理に跳ばず、相手の前へ身体を入れる。


 ゴールキーパーはボールをつかめない。


 こぼれる。


 私の前。


 右足で止める。


 ゴールまでは近い。


 相手が寄せる。


 私はシュートを打つふりをする。


 相手が足を出す。


 左へずらす。


 シュート。


 ゴール左隅へ向かったボールが、相手選手の脚に当たった。


 軌道がわずかに変わる。


 ゴールキーパーが手を伸ばす。


 届かない。


 ネットが揺れた。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。


「入った!」


 陽菜の声。


 観客席が大きく揺れる。


 一対一。


 私はその場に立ち尽くしていた。


 自分が打った。


 逃げずに。


 ゴールを見て。


 相手がいることも分かった上で、シュートを選んだ。


 陽菜が抱きつく。


「美緒!」


「入った……」


「入ったよ!」


 真帆先輩も近づく。


「まだ同点!」


「はい!」


「戻るよ!」


 喜んでいる時間はない。


 残り三分。


 引き分けなら延長戦。


 けれど、真帆先輩の足。


 陽菜の疲労。


 全員の運動量。


 延長へ入れば不利になるかもしれない。


 今、決める。


 試合が再開する。


     ◇


 同点になったことで、明成学園も再び前へ出てきた。


 相手にとっても、延長戦まで待つ必要はない。


 後半三十三分。


 相手の十番が中央で受ける。


 私が寄せる。


 相手は右へ出す。


 味方のサイドバックが対応する。


 クロス。


 真帆先輩が頭で跳ね返す。


 こぼれ球を相手が拾う。


 ミドルシュート。


 ゴールキーパーが正面で止める。


「早く!」


 陽菜が前へ走る。


 ゴールキーパーがすぐにボールを投げる。


 味方のサイドバックが受ける。


 相手が寄せる前に、中央へ出す。


 私が受ける。


 後ろを見る。


 相手ボランチが来る。


 ワンタッチで横へ逃がす。


 そのまま前へ走る。


 返しのパス。


 前を向く。


 陽菜が左側へ走っている。


 相手センターバックがついていく。


 右側には味方のサイドハーフ。


 外へ出す。


 相手の守備が右へ動く。


 私は中央へ入る。


 ボールがもう一度戻る。


 ペナルティーエリアの手前。


 相手ボランチが遅れて寄せる。


 シュートを打てる。


 さっきと同じ距離。


 相手ゴールキーパーは中央。


 ゴール右側が少し空いている。


「打てるぞ」


 蓮くんが言う。


「はい」


 少年なら、迷わず打つ。


 私も、打てる。


 右足を振ればいい。


 相手が来る前に。


 自分で二点目を決めれば。


 チームを全国へ連れていける。


 その瞬間。


 視界の端で、陽菜が動いた。


 一度左へ走った陽菜が、急に速度を落とす。


 相手センターバックも足を止める。


 その背後。


 相手の視線がボールへ集まった場所。


 陽菜が向きを変え、二人の間へ走り込む。


 相手の誰も、その動きに気づいていない。


 私には、はっきり見えていた。


 パスコースは狭い。


 相手センターバックの足が届くかもしれない。


 少しでもずれれば、陽菜は触れない。


 シュートを打った方が、迷いのない選択に見える。


 自分で決めた方が、責任を引き受けたことになる。


 以前の私は、そう思っていた。


 でも、違う。


 陽菜へ出すことは、逃げではない。


 ゴールから目を逸らしているのでもない。


 得点するために。


 一番可能性の高い場所を選ぶ。


「美緒!」


 陽菜の声。


 これまで、何度も聞いてきた声。


 陽菜が走っているのに。


 私が失敗を怖がり、見なかったことにしてきた声。


 今は。


 はっきり見える。


 私はシュートのために上げた右足を、そのままパスへ変えた。


 相手センターバック二人の間。


 陽菜が走る場所へ。


 右足の内側で、ボールを通す。


 一人目の相手が足を伸ばす。


 触れない。


 二人目が身体を入れようとする。


 陽菜が先に前へ出る。


 パスが届く。


 陽菜が右足で受ける。


 少し前へ流れる。


 相手ゴールキーパーが飛び出す。


「陽菜!」


 陽菜が右足を振った。


 低いシュート。


 ゴールキーパーの左脇。


 ボールが通る。


 ゆっくりと。


 それでも確かに、ゴールラインを越えた。


 ネットが揺れた。


 一瞬、会場の音が消えた。


 次の瞬間。


 青葉高校の応援席から、これまでで一番大きな歓声が上がった。


「入った!」


 陽菜が叫ぶ。


 二対一。


 陽菜が私へ走ってくる。


「美緒!」


 抱きつかれる。


 今度は私も、陽菜の背中へ腕を回した。


「決めた」


「うん!」


「本当に決めた」


「美緒が出したから!」


 仲間たちが集まる。


 真帆先輩。


 味方のボランチ。


 サイドハーフ。


 ベンチの選手たちも、ラインの外で跳び上がっている。


 沙月が拳を上げていた。


「戻る!」


 真帆先輩が叫ぶ。


「まだ終わってない!」


 全員が自陣へ戻る。


 私も走る。


 胸が苦しい。


 足も重い。


 右足首には少し張りを感じる。


 けれど、痛みではない。


 最後まで走れる。


 明成学園がボールを中央へ置く。


 残り時間はほとんどない。


 試合再開。


 相手が一気に前へ蹴る。


 真帆先輩が跳ね返す。


 相手が拾う。


 もう一度、ロングボール。


 味方のサイドバックが頭で外へ出す。


 相手のスローイン。


 明成学園の選手が急いでボールを持つ。


 投げる。


 中央へ入る。


 相手の十番が受ける。


 私が戻る。


 正面へ入る。


 相手は右へかわそうとする。


 身体をついていかせる。


 無理に奪わない。


 進む方向を消す。


 味方のボランチが戻る。


 二人で挟む。


 相手が横へ出す。


 真帆先輩が前へ出る。


 ボールを大きく蹴り返す。


 陽菜が追う。


 相手センターバックが先に触る。


 横へ出す。


 その瞬間。


 試合終了の笛が鳴った。


 私は足を止めた。


 すぐには意味を理解できなかった。


 二対一。


 青葉高校の得点が二。


 相手が一。


「勝った……?」


 誰かが呟く。


 次の瞬間、陽菜が地面へ倒れ込んだ。


「勝った!」


 真帆先輩が両手を上げる。


 ベンチの選手たちがピッチへ走ってくる。


 沙月もいる。


 倉橋先生はタッチラインの外で、目元を手で押さえていた。


 私の身体へ、何人もの仲間がぶつかってくる。


「美緒!」


「陽菜!」


「真帆先輩!」


 誰が誰を呼んでいるのか分からない。


 笑い声。


 泣き声。


 歓声。


 すべてが重なる。


 青葉高校、初の全国大会出場。


 その言葉が、場内放送から聞こえた。


 本当に。


 私たちは全国へ行く。


     ◇


 仲間の輪から少し離れたところに、蓮くんが立っていた。


 歓声の中。


 誰にも触れられず。


 誰にも見えないまま。


 それでも、誰よりもうれしそうに笑っている。


 私は蓮くんを見る。


「勝ちました」


「ああ」


「憑依を使わずに」


「ああ」


「私が出しました」


「見てた」


「陽菜が決めました」


「それも見てた」


 蓮くんが近づく。


 その輪郭は、さっきよりも薄くなっているように見えた。


 けれど今は、目を逸らさなかった。


「最後、打てたな」


「はい」


「俺なら打ってた」


「知っています」


「お前も、一点決めてた」


「はい」


「それでも、陽菜を見た」


「見えていたから」


「怖くなかったか?」


「怖かったです」


 正直に答える。


「通らなかったら、シュートを打てばよかったと思ったかもしれません」


「ああ」


「陽菜が外したら、自分で打てばよかったと思ったかもしれません」


「ああ」


「でも、あのときは」


 ゴール前の景色を思い出す。


 相手の視線。


 守備の死角。


 陽菜の動き。


 私にしか見えていなかった場所。


「陽菜へ出す方が、点を取れると思いました」


 蓮くんはしばらく黙っていた。


 そして、笑った。


「それが、お前のサッカーなんだな」


 胸の奥が熱くなる。


 最初から、私は蓮くんのようにはなれなかった。


 一人で相手を抜く力も。


 迷わずシュートを打つ強さも。


 試合を自分だけで決める才能もない。


 けれど。


 私は、みんなを見ることができる。


 誰がどこへ走るのか。


 相手が何を見ているのか。


 その裏で、誰が見えなくなっているのか。


 誰かを使って、試合を変える。


 それが私のサッカーだった。


「はい」


 私は答えた。


「これが、私のサッカーです」


 蓮くんがうなずく。


 観客席を見る。


 私も同じ方向へ顔を向けた。


 お姉ちゃんが立ち上がり、両手を叩いている。


 その隣で、現在の蓮さんも立っていた。


 大声を出しているわけではない。


 笑っているわけでもない。


 それでも、ピッチから目を離していない。


 自分でも気づかないように、右手を強く握っている。


 試合の流れを追い。


 私たちの動きを見て。


 最後の得点で、立ち上がった。


「あいつも見てたな」


 蓮くんが言う。


「はい」


「何か変わったと思うか?」


「分かりません」


「そうだな」


「でも」


 現在の蓮さんを見る。


「退屈はしていなかったと思います」


 蓮くんが少し笑う。


「ああ」


 仲間から、もう一度名前を呼ばれる。


「美緒、何してるの!」


 陽菜が手を振っている。


「集合写真撮るよ!」


「今行く!」


 私は走り出そうとする。


「美緒」


 蓮くんに呼び止められた。


 振り返る。


「何ですか」


「行ってこい」


「蓮くんも一緒に」


「写真には映らない」


「知っています」


「なら」


「私には見えます」


 蓮くんが黙る。


「隣にいてください」


 少し迷ったあと、蓮くんが私の横へ並ぶ。


「端でいいぞ」


「どうしてですか」


「選手じゃないから」


「ここまで一緒に来たでしょう」


「でも、今日勝ったのはお前たちだ」


「はい」


 私はそれを否定しない。


 今日勝ったのは、青葉高校のみんなだ。


 蓮くんに勝たせてもらったのではない。


「だから、見ていてください」


「何を?」


「私たちが勝ったところを」


 蓮くんは、うれしそうに笑った。


「ああ」


 私は仲間のところへ走る。


 陽菜の隣に座る。


 真帆先輩が中央。


 沙月も後ろに立っている。


 倉橋先生が端へ入る。


「もっと詰めて!」


「陽菜、押さないで!」


「美緒が遅いから!」


 応援に来ていた先生が、カメラを構える。


「撮ります!」


 全員が前を見る。


 私は、ほんの少しだけ横を見る。


 蓮くんが立っている。


 写真には映らない。


 誰の記憶にも残らないかもしれない。


 それでも。


 この瞬間、確かに私たちと同じ場所にいた。


「全国大会出場!」


 誰かが叫ぶ。


 全員が笑う。


 シャッターの音が響いた。


 私は十八番の胸元を握った。


 借りた身体ではない。


 借りた判断でもない。


 誰かの夢を追いかけただけの番号でもない。


 私が見て。


 私が選び。


 仲間と勝った。


 私自身の背番号だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ