表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢を諦めた君のスパイクから、十七歳の君が現れた  作者: situ725


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/24

第20話 憑依の失敗

 県大会準決勝。


 試合会場へ到着したときから、空には厚い雲が広がっていた。


 雨は降っていない。


 けれど、湿った風が芝の上を低く吹き抜けている。


 私はベンチの前で靴紐を結び直した。


 一度結んだはずなのに、緩んでいるような気がした。


「さっきから三回目だぞ」


 蓮くんが隣から覗き込む。


「分かっています」


「結び目は変わってない」


「確認しているだけです」


「緊張してるんだろ」


「していません」


「じゃあ、手が震えてるのは何でだよ」


 私は靴紐から手を離した。


 指先がわずかに震えている。


 寒さのせいではなかった。


 今日勝てば、次は県大会決勝。


 全国大会への切符を懸けた代表決定戦へ進める。


 青葉高校が、まだ一度も届いたことのない場所。


 そこまで、あと一勝だった。


 蓮さんが退部届を出し直す期限も、数日後に迫っている。


 けれど今日は、蓮さんの答えを考える日ではない。


 私たちが決勝へ進むための試合だった。


「美緒」


「何ですか」


「今日も俺を使うつもりか?」


 すぐには答えられなかった。


 鞄の中には、古いスパイクが入っている。


 前の試合で憑依を使っても、ひびは広がっていなかった。


 身体にも大きな痛みは残らなかった。


 最後の数分だけなら使える。


 必要なときだけなら問題ない。


 そう考えていた。


「まだ分かりません」


「またそれか」


「試合が始まっていないのに、決められません」


「使わないって決めることはできる」


「どうして、そこまで使わせたくないんですか」


「前の試合で分かっただろ」


 陽菜と沙月から言われた言葉がよみがえる。


『あのプレーしてる美緒、少し怖かった』


『普段の藤崎が、急にいなくなる感じがする』


「今日は前の試合とは違います」


「何が?」


「前は、失敗するのが怖くて頼みました」


「今日は違うのか?」


「まだ頼んでいません」


 蓮くんは私を見つめていた。


「使うなら、言い訳するなよ」


「分かっています」


「俺が必要だからじゃない」


 胸の奥を見透かすように、蓮くんは続ける。


「自分で決めるのが怖いから頼むなら、そう言え」


「何度も言わなくていいです」


「言われたくないなら、自分でやれ」


 腹が立った。


 けれど、今は言い返している場合ではない。


「藤崎、集合!」


 真帆先輩に呼ばれる。


 私は立ち上がり、チームの輪へ入った。


 倉橋先生が作戦ボードの前に立っている。


「相手の実力は、私たちと大きく変わらない」


 先生の声は落ち着いていた。


「守備の強度、運動量、前線の速さ。どれを取っても互角だと思っていい」


 選手たちの表情が引き締まる。


「だからこそ、一つのミスで試合が決まる。ただし、ミスを恐れて消極的になるな」


 先生が全員を見渡す。


「失敗した選手を、残りの十人で助ける。それがチームで戦うということよ」


 私はその言葉を聞きながら、自分の右足へ触れた。


 痛みはない。


 身体は動く。


 今日こそ、自分の力で。


「先発は前の試合と同じ。橘を中央に置く」


 沙月が短く返事をする。


「藤崎はベンチ。相手の変化を見ておきなさい」


「はい」


 悔しくないわけではなかった。


 前の試合で勝利につながるパスを出した。


 けれど、それを出したのは蓮くんだ。


 先生が沙月を先発に選ぶのは当然だった。


「美緒」


 陽菜が小声で呼ぶ。


「何?」


「今日も走るから」


「知ってる」


「見つけてね」


 陽菜はそれだけ言って、先発選手の列へ入った。


 その背中を見つめる。


 今度こそ。


 私が見つけて。


 私が決めて。


 私がパスを出す。


 試合開始の笛が鳴った。


     ◇


 予想していた以上に、相手の出足は速かった。


 開始直後から青葉高校の最終ラインへ圧力をかけてくる。


 相手フォワードが真帆先輩へ走る。


 横へのパスコースも、ボランチへの縦パスも切られている。


 真帆先輩は無理に中央へ入れず、外へ蹴り出した。


「切り替えろ!」


 真帆先輩の声が響く。


 相手のスローイン。


 すぐに中央へボールを運ばれる。


 沙月が寄せる。


 相手選手はワンタッチで外へ逃がした。


 沙月が動いたことで空いた中央へ、別の選手が入ってくる。


「そこ!」


 私はベンチから声を上げた。


 味方のボランチが戻る。


 ぎりぎりでシュートコースを塞いだ。


 ボールは真帆先輩に当たり、ゴールラインの外へ出る。


 相手のコーナーキック。


「押されてるな」


 蓮くんが言う。


「分かっています」


「相手は最初から飛ばしてる」


「後半に落ちるかもしれません」


「そこまで耐えられればな」


 コーナーキックが入る。


 真帆先輩が相手フォワードと競り合う。


 ボールは一度上へ跳ね、ゴール前へ落ちた。


 陽菜が自陣まで戻り、大きく蹴り出す。


 それでも、青葉高校の選手は前へ出られない。


 相手がすぐに拾い、再び攻撃を始める。


「沙月を狙ってる」


 蓮くんが呟いた。


「どういうことですか」


「沙月が守備に出たあとの場所を使ってる」


 私にも見え始めていた。


 相手は中央で沙月へボールを持たせないのではない。


 あえて沙月の近くへパスを出している。


 沙月が奪おうと動いた瞬間、別の選手へつなぐ。


 沙月の運動量を逆に利用している。


 私は倉橋先生を見る。


 先生も気づいているはずだ。


 けれど、まだ指示を出さない。


 選手たちが自分で修正できるか見ている。


「沙月!」


 陽菜が中央へ戻りながら声をかける。


「私が一人見る!」


 次の守備では、陽菜が相手ボランチへのパスコースを切った。


 沙月は前へ出ず、自分の位置を守る。


 相手は中央を諦め、外へボールを出した。


 青葉高校がようやく奪う。


 沙月が前を向く。


 陽菜が相手センターバックの裏へ走った。


 パスが出る。


 しかし、わずかに長い。


 相手ゴールキーパーが先に触った。


「惜しい!」


 ベンチから声が上がる。


 陽菜はすぐに前線から守備を始めた。


 沙月も自陣へ戻る。


 二人で一つのミスを取り返している。


「今のパス、悪くなかった」


 蓮くんが言う。


「でも、通りませんでした」


「通らなかったら、次に合わせればいい」


「簡単ですね」


「外しても次があるからな」


 その言葉に、少しだけ違和感を覚えた。


 以前の蓮くんなら、もっと速く出せ、もっと正確に蹴れと言ったかもしれない。


 今は、次に合わせればいいと言った。


 試合は、互いに決定機を作れないまま進んだ。


 前半二十分。


 青葉高校は相手の勢いに慣れ始めていた。


 沙月が中央でボールを受ける。


 陽菜が下がる。


 相手センターバックはついてこない。


 その代わり、サイドの選手が中央へ絞る。


「外が空く」


 私と蓮くんの声が重なった。


 沙月も気づいていた。


 右サイドへ大きく展開する。


 味方のサイドハーフが受け、縦へ運ぶ。


 クロスが入る。


 陽菜が飛び込んだ。


 頭で触れる。


 ボールはゴールポストの外側を通った。


「あと少し!」


 陽菜が両手を叩く。


 味方へ声をかけながら、守備位置へ戻っていく。


 青葉高校にも流れが来ている。


 そう思った直後だった。


 相手のロングボールが、青葉高校の最終ラインの裏へ落ちる。


 真帆先輩が戻る。


 相手フォワードが先に触れた。


 真帆先輩は身体を寄せ、シュートコースを消す。


 相手は無理に打たず、後ろから来た選手へ戻した。


 ミドルシュート。


 ボールはクロスバーを叩いた。


 大きな音が響く。


 跳ね返ったボールを味方が外へ蹴り出す。


 ベンチの空気が一瞬、固まった。


「今のを忘れろ!」


 真帆先輩が声を上げる。


「まだゼロ対ゼロ!」


 自分が突破された直後なのに、誰よりも早く仲間へ声をかけている。


 前半は、そのまま無得点で終わった。


     ◇


 選手たちがベンチへ戻ってくる。


 ユニフォームは汗で濡れていた。


 陽菜は肩を上下させながら、スポーツドリンクを飲んでいる。


 沙月は座らず、作戦ボードの前に立った。


「相手は橘が前へ出たところを使ってくる」


 倉橋先生が磁石を動かす。


「守備で奪いに行くこと自体は間違っていない。ただ、一人で奪い切ろうとしないこと」


「はい」


 沙月が答える。


「小野寺は前へ残る時間を増やして。全員が戻ると、奪ったあとの出口がなくなる」


「分かりました」


「後半、相手は最初からもう一度強く来る可能性が高い。受け身になるな」


 先生がこちらを見る。


「藤崎」


「はい」


「後半十分から入れるよう準備しなさい」


「沙月と交代ですか?」


「まだ決めていない。相手の出方を見る」


「分かりました」


 心臓が速くなる。


 私はビブスを脱ぎ、タッチラインの外で身体を動かし始めた。


「美緒」


 陽菜が近くまで来る。


「何?」


「私、まだ走れるから」


「無理しないで」


「美緒が出すなら走る」


「……うん」


「今度は間が短かった」


 陽菜が笑う。


 その笑顔を見て、少しだけ肩の力が抜けた。


「藤崎」


 沙月にも呼ばれる。


「相手の右のボランチ」


「八番?」


「疲れてきてる。戻るのが少し遅い」


「見てた」


「私が中央へ動かしたら、その後ろを使って」


「交代しないつもり?」


「先生が決めることだから」


 沙月は淡々と答えた。


「でも、藤崎が入るなら使える場所は伝えておく」


「ありがとう」


「礼は、通してからでいい」


 沙月はそう言い残し、ピッチへ戻った。


「本当にいいチームだな」


 蓮くんが言う。


「分かっています」


「だから、一人で何とかしようとするなよ」


「していません」


「まだな」


 後半開始の笛が鳴った。


 相手は蓮くんの予想どおり、再び前から圧力をかけてきた。


 青葉高校のパスが乱れる。


 味方のサイドバックが苦し紛れに出したボールを奪われた。


 相手が中央へ持ち込む。


 沙月が戻り、身体を入れる。


 ボールはこぼれた。


 相手の八番が拾う。


 シュート。


 ゴールキーパーが横へ弾いた。


 こぼれ球へ相手フォワードが走る。


 真帆先輩が滑り込み、先に外へ出した。


「藤崎、準備!」


 倉橋先生の声が飛ぶ。


 私はすぐにタッチラインへ向かった。


「予定を変える。左のハーフと交代。橘は中央に残す」


「はい」


「相手の八番の背後を使いなさい」


「分かりました」


「それから」


 先生が私を見る。


「一人で試合を変えようとしないこと」


 一瞬、返事が遅れた。


「……はい」


「チームの一人として入りなさい」


「はい」


 交代の合図が出る。


 私はピッチへ入った。


 芝を踏む。


 前の試合と同じ景色。


 けれど、今日は相手の圧力が強い。


 ボールを持つ前から、背中に視線を感じる。


「美緒、こっち!」


 陽菜が中央から外へ動く。


 沙月は少し低い位置へ下がった。


 味方のボランチから私へパスが来る。


 受ける前に後ろを見る。


 相手のサイドバックが近い。


 私はワンタッチで沙月へ戻した。


 沙月が中央へ運ぶ。


 相手の八番が食いつく。


 その背後が空いた。


 走る。


「沙月!」


 呼ぶ。


 沙月から縦パスが来た。


 私は前を向く。


 陽菜が斜めに走っている。


 出せる。


 相手センターバックとボランチの間。


 少し狭い。


 でも、通れば決定機になる。


 右足を振る。


 その瞬間、相手の足が視界へ入った。


 怖くなった。


 私はパスの角度を変え、外へ出した。


 陽菜の走りが止まる。


「美緒!」


「ごめん!」


 クロスを上げようとした味方は、相手に寄せられ、後ろへ戻した。


 攻撃が終わる。


「今のは出せた」


 蓮くんが言う。


「相手が見えました」


「相手がいるから通すんだろ」


「取られたらカウンターになります」


「戻ればいい」


「簡単に言わないでください」


「一人で戻るわけじゃない」


 倉橋先生と同じことを言われた。


 味方が奪われたら、全員で取り返す。


 私が失敗しても、残りの十人がいる。


 分かっている。


 それでも、私のミスから失点したらと思うと、足が止まる。


 後半十五分。


 相手の勢いは落ちなかった。


 青葉高校は自陣へ押し込まれている。


 クリアしても、すぐに拾われる。


 陽菜まで守備へ戻り、前線に誰も残らない。


 ボールを奪っても、攻撃へつなげられない。


「前へ運ばないと」


 私は呟いた。


「うん」


 蓮くんが答える。


「誰かが相手を一人外せば、流れは変わる」


 相手を一人外す。


 その言葉が、胸へ残った。


 私にできるだろうか。


 前の試合で蓮くんは、一人をかわして縦パスを通した。


 今日も、同じことができれば。


 流れを変えられる。


 全国への道をつなげられる。


 ボールが私へ来る。


 相手が背後から寄せてくる。


 私は横へ逃がした。


 また安全なパス。


 味方は前へ進めない。


 相手に押し戻される。


「藤崎、前を向け!」


 倉橋先生の声が飛ぶ。


 分かっている。


 私が変えなければ。


 このままでは、何もできない。


 前の試合でも、最後に蓮くんを借りて勝った。


 必要なときだけ。


 今も、その必要なときではないのか。


「蓮くん」


 相手のスローインでプレーが止まった瞬間、小声で呼んだ。


「何だ」


「少しだけ、お願いします」


 蓮くんの表情が変わる。


「美緒」


「このままでは押し切られます」


「まだ同点だ」


「でも、ずっと相手の時間です」


「チームで耐えてる」


「耐えるだけでは勝てません」


「だからって、俺が入れば勝てるとは限らない」


「流れを変えられます」


「お前が変えるんじゃなくて?」


 胸が詰まる。


「今は、誰が変えても同じです」


「同じじゃない」


「勝たないと、次へ進めないんです」


 相手の選手がボールを持ち上げる。


 もうすぐプレーが再開する。


「蓮くんも、代表決定戦へ行きたいでしょう」


 蓮くんの目が揺れた。


「全国を懸けた試合をしたいでしょう」


「それは」


「私を勝たせたいと言ったじゃないですか」


 言った直後、自分でも卑怯だと思った。


 蓮くんが、その言葉を拒めないと分かっていた。


 蓮くんのサッカーへの気持ちを使っている。


 それでも、今は勝ちたかった。


「お願いします」


「自分で失敗するのが怖いからか?」


 答えられない。


「美緒」


「……怖いです」


 ようやく認めた。


「私が失敗して、負けるのが怖いです」


 蓮くんは黙っている。


「だから、蓮くんに決めてほしい」


 前の試合で言えなかった言葉。


 今度は口にした。


「それでも、お願いします」


 相手がスローインを投げる。


 味方が競り勝ち、ボールが中央へこぼれた。


 蓮くんが私を見る。


「一度だけだ」


「はい」


「無理な動きはしない」


「はい」


「違和感があったら、すぐに返す」


「分かっています」


「勝てるとは約束しない」


「それで構いません」


 私は息を吸う。


「お願いします」


 身体の奥へ、蓮くんの意識が入る。


 視界が変わった。


 背筋が伸びる。


 重心が前へ移る。


 相手の動きが、さっきより遅く見える。


 目の前へボールが転がってくる。


 蓮くんが右足で受けた。


 一人目が正面から寄せる。


 蓮くんは左へ身体を向け、右足の外側で逆へ運ぶ。


 相手の重心がずれる。


 かわした。


 観客席から歓声が上がる。


『前が空きました』


『まだだ』


 二人目が来る。


 蓮くんは速度を落とさない。


 沙月が右側へ走っている。


 陽菜は相手センターバックの間。


 味方のサイドハーフも外を上がっている。


 パスコースはある。


 それでも、蓮くんはボールを持ち続けた。


『沙月が空いています』


『もう一人抜けば、決定機になる』


『パスでいいです』


『ここまで来たんだ』


 二人目の相手が足を出す。


 蓮くんは右足でボールを引き、身体を反転させようとした。


 その動きは、高校時代の蓮さんが何度も使っていたものだった。


 相手の足を避けながら、軸足で強く踏み込み、一気に前へ出る。


 けれど。


 私の右足は、蓮くんの身体ではない。


 踏み込んだ足首が、動きについていかなかった。


 鋭い痛みが走る。


『痛っ――』


 身体が傾く。


『美緒!』


 ボールが足元から離れた。


 相手に奪われる。


 倒れそうになりながら、蓮くんが手をつく。


 視界の端で、相手選手がボールを前へ蹴り出した。


「切り替えろ!」


 真帆先輩の声。


 青葉高校の選手が一斉に戻る。


 私は立ち上がろうとする。


 右足に力が入らない。


『戻ってください』


『まだ止めないと』


『身体を返して!』


 主導権が戻る。


 右足首に痛みが残っている。


 それでも戻らなければならない。


 相手は三人。


 守る青葉高校も、真帆先輩を含めて三人。


 数は同じ。


 けれど、戻りながらの守備は不利だった。


 相手のボール保持者が右へ運ぶ。


 真帆先輩が寄せる。


 中央の相手へパスが出る。


 沙月が全力で戻っている。


 あと少し。


「沙月!」


 声を上げる。


 沙月が足を伸ばす。


 届かない。


 相手がシュートを放った。


 ゴールキーパーが反応する。


 指先に触れた。


 けれど、ボールの勢いを止められない。


 ゴールネットが揺れた。


 一瞬、すべての音が消えた。


 相手選手たちが歓声を上げる。


 観客席が揺れる。


 私は、その場から動けなかった。


 自分の足元を見る。


 ボールはない。


 得点表示が変わる。


 青葉高校、零。


 相手、一。


「美緒」


 蓮くんの声が聞こえる。


 何も答えられない。


 私が奪われた。


 私が無理に憑依を求めた。


 私が一人で流れを変えようとした。


 その結果、失点した。


「藤崎!」


 真帆先輩がこちらへ走ってくる。


 怒られる。


 そう思った。


「足は?」


「……少し痛いです」


「立てる?」


 右足へ体重をかける。


 痛みはある。


 けれど、膝から崩れるほどではない。


「立てます」


 倉橋先生の声がタッチライン際から飛ぶ。


「藤崎、足は?」


「少しひねっただけです。走れます」


「次に痛みが強くなったら、すぐ交代する」


 先生の声は厳しかった。


「隠したら、その時点で下げる。いいわね」


「はい」


 真帆先輩が私の肩を強く叩いた。


「なら戻って」


「でも、私が」


「今は反省する時間じゃない」


 真帆先輩はゴールの中からボールを拾う。


「全員で取り返すよ!」


 大きな声が響く。


 沙月も戻ってきた。


 息を切らしている。


 私を一度見る。


「出せたでしょ」


「え?」


「私、右にいた」


 責める声ではなかった。


「ごめん」


「あとで聞く」


 沙月は中央へ走る。


「今は追いつく」


 陽菜もセンターサークルへ戻っている。


「美緒!」


 手を叩きながら、私を呼ぶ。


「まだ走れる?」


「うん」


「じゃあ、次!」


 誰も私を責めなかった。


 失点したのに。


 私のミスだったのに。


 みんな、もう次を見ている。


 試合再開の笛が鳴った。


     ◇


 失点後、青葉高校の動きが変わった。


 焦って前へ出たわけではない。


 一人一人が、少しずつ立ち位置を修正した。


 真帆先輩は最終ラインを高く上げる。


 沙月は守備へ走りながらも、奪ったあとの位置を意識する。


 陽菜は相手センターバックの間に残り、いつでも裏へ出られるよう準備している。


 私は左のハーフへ戻った。


 右足には鈍い痛みが残っていた。


 けれど、体重をかけても崩れるほどではない。


 状態を確かめながら、足を動かす。


「藤崎、痛みが強くなったらすぐ言いなさい!」


 倉橋先生の声が飛ぶ。


「はい!」


 答える。


 無理を隠してまで残るつもりはない。


 今度は、自分の身体で。


 自分の失敗を、チームの一人として取り返したかった。


 後半二十五分。


 相手が中央から攻める。


 沙月が寄せる。


 今度は一人で奪いに行かない。


 相手の進行方向を限定する。


 その先に、味方のボランチが待っている。


 二人で挟み、ボールを奪った。


「陽菜!」


 沙月が前を見る。


 陽菜が走り出す。


 パスが出る。


 相手センターバックが先に触ろうとする。


 陽菜が身体を入れた。


 ボールがこぼれる。


 私は、その場所が見えていた。


 右足の状態を確かめながら走る。


 先に触る。


 相手が寄せてくる。


 ゴールまでは遠い。


 シュートは打てない。


 外には味方。


 中央には沙月。


 私は迷いかけた。


「美緒!」


 陽菜が、倒れながらも起き上がっている。


 相手の裏へ、もう一度走ろうとしている。


 今度は見なかったことにしない。


 右足でボールを止める。


 左足で、相手の前を通す。


 陽菜へ向かうパス。


 少し弱い。


 相手センターバックが足を伸ばす。


 ボールへ触れた。


 失敗した。


 そう思った。


 けれど、触れられたボールは中央へこぼれた。


 そこへ沙月が走り込む。


 沙月はシュートを打たなかった。


 右へ短く出す。


 味方のサイドハーフがクロスを上げる。


 陽菜が飛び込んだ。


 頭で合わせる。


 ボールがゴール左隅へ入った。


「入った!」


 歓声が上がる。


 一対一。


 陽菜がゴール前から走ってくる。


「美緒!」


 勢いよく抱きつかれた。


「痛い!」


「ごめん! 足?」


「違う、抱きつく力!」


「それなら大丈夫!」


「大丈夫じゃない!」


 陽菜は笑っている。


 沙月も近づいてくる。


「今のパス、ずれた」


「分かってる」


「でも、相手に触らせたから中央が空いた」


「狙ってない」


「知ってる」


 沙月はほんの少しだけ笑った。


「失敗しても、次があったでしょ」


 胸の奥が熱くなった。


 私のパスは通らなかった。


 それでも、沙月が拾った。


 別の選手がクロスを上げた。


 陽菜が決めた。


 私一人の成功ではない。


 私一人の失敗でもない。


「まだ同点!」


 真帆先輩が声を上げる。


「もう一点取るよ!」


 試合が再開する。


 相手も再び攻撃へ出てきた。


 同点のままでは終われない。


 延長戦へ入れば、前半から押され続けている青葉高校の方が先に疲れるかもしれない。


 後半三十二分。


 残り三分。


 相手が右サイドから突破を狙う。


 真帆先輩が対応する。


 相手は一度止まり、中央へ戻した。


 そこへ沙月が走る。


 身体を投げ出すように足を伸ばした。


 ボールを奪う。


 けれど、沙月はその場に倒れ込んだ。


「沙月!」


「行って!」


 沙月が叫ぶ。


 こぼれたボールを私が拾う。


 前を見る。


 陽菜が走り出している。


 相手センターバックは二人。


 距離はある。


 前の試合なら、蓮くんへ頼んだ。


 さっきも頼んだ。


 一人をかわして、完璧なパスを出してもらおうとした。


 でも今は。


「陽菜!」


 私はボールを前へ運ぶ。


 相手の一人が寄せてくる。


 外へ逃げれば安全だ。


 中央へ出せば奪われるかもしれない。


 陽菜は、二人の間へ走っている。


 狭い。


 それでも、私を見ている。


「お前が決めろ!」


 蓮くんの声。


 今度は答えを与える声ではなかった。


 私の判断を、背中から押す声だった。


 私は右足を振った。


 足首に鈍い痛みが走る。


 それでも、無理に身体をひねる動きではない。


 自分の身体で選び、自分の感覚で蹴ったパスだった。


 相手センターバック二人の間へ、ボールを通す。


 少し速い。


 陽菜が追う。


 一人目の相手が身体を入れる。


 陽菜は押されながらも、前へ出た。


 ボールへ触れる。


 ゴールキーパーが飛び出してくる。


 陽菜が右足を振る。


 シュートはゴールキーパーに弾かれた。


「まだ!」


 陽菜がこぼれ球を追う。


 相手センターバックも戻る。


 その間に、右サイドから味方が走り込んできた。


 陽菜はシュートを打たず、ボールを外へ出した。


 味方がクロスを上げる。


 ゴール前へ高いボールが入る。


 真帆先輩がいた。


「真帆先輩!」


 セットプレーではない。


 それでも、最終ラインから全力で上がってきていた。


 相手と競り合いながら、頭でボールを落とす。


 中央へこぼれる。


 沙月が走ってきた。


 さっきまで倒れていたはずなのに。


 沙月は迷わず左足を振った。


 低いシュート。


 相手選手の足に当たる。


 軌道が変わる。


 ゴールキーパーが逆を取られる。


 ボールがネットを揺らした。


「入った!」


 誰かの叫び声。


 二対一。


 沙月がその場に膝をつく。


 陽菜が抱きつく。


 真帆先輩も駆け寄る。


 ベンチから選手たちが飛び出しそうになり、倉橋先生に止められている。


 私は少し離れた場所で、その光景を見ていた。


 胸がいっぱいになった。


 私が決めたわけではない。


 最後のパスを出したわけでもない。


 沙月が奪った。


 私が陽菜へ出した。


 陽菜がこぼれ球を拾った。


 味方がクロスを上げた。


 真帆先輩が落とした。


 沙月が決めた。


 一人では作れない得点だった。


「美緒!」


 陽菜に呼ばれる。


 私は仲間の輪へ走った。


 右足には痛みが残っていた。


 それでも、今度のプレーは私が選んだものだった。


 痛みも、迷いも、その結果も、誰かへ預けたものではなかった。


 残り時間を全員で守る。


 相手がロングボールを蹴る。


 真帆先輩が跳ね返す。


 沙月がこぼれ球へ寄せる。


 陽菜も自陣へ戻る。


 私も足を止めない。


 試合終了の笛が鳴った。


 青葉高校、二対一。


 県大会決勝進出。


 次の決勝が、全国への切符を懸けた代表決定戦だった。


     ◇


 勝った。


 みんなが喜んでいる。


 陽菜は沙月へ抱きつき、真帆先輩は涙を堪えるように空を見上げていた。


 ベンチの選手たちもピッチへ入ってくる。


 私は、その輪の中に立っていた。


 うれしい。


 代表決定戦へ進める。


 それなのに、最初に浮かんだのは、自分がボールを失った場面だった。


 足首を無理にひねった感覚。


 相手に奪われたボール。


 ゴールネットが揺れた瞬間。


「美緒」


 蓮くんが隣に立っている。


「ごめん」


 蓮くんが先に言った。


「どうして蓮くんが謝るんですか」


「無理な動きをした」


「頼んだのは私です」


「それでも、パスを出せた」


「私も言いました」


『沙月が空いています』


 それでも蓮くんは突破を選んだ。


 高校時代の蓮さんと同じように。


 一人で相手を抜き、自分で試合を決めようとした。


 けれど。


 それを求めたのは私だった。


「流れを変えてほしいと言ったのは私です」


「美緒」


「蓮くんだけのせいではありません」


 私たちは、同じ間違いをした。


 一人で試合を変えなければならないと思った。


 特別なプレーをしなければ、勝てないと思った。


 高校時代の蓮さんも、同じように一人で試合を決めようとしていた。


 周りを使わず。


 自分がエースだからと、すべてを背負おうとした。


 私は、憧れていたその姿を、もう一度繰り返そうとしていた。


「藤崎、救護室へ行くよ」


 倉橋先生の声がする。


「大丈夫です」


「それを決めるのは、あなたではない」


「……はい」


 先生に促され、ピッチを離れる。


 試合会場には大会用の救護スタッフがいる。


 足首を確認してもらった結果、重い怪我ではなかった。


 軽い捻挫。


 冷やして安静にすれば、数日で痛みは落ち着く可能性が高い。


 ただし、翌日からの練習は状態を見ながら判断する。


 代表決定戦に出られるかは、まだ分からない。


 控室へ戻る。


 みんなは着替えを始めていた。


 私が入ると、何人かがこちらを見る。


「足、大丈夫?」


 陽菜がすぐに近づいてくる。


「軽い捻挫だって」


「代表決定戦は?」


「まだ分からない」


 陽菜の表情が曇る。


「ごめん」


 私は言った。


「何で美緒が謝るの?」


「私が取られたせいで、失点したから」


「でも勝ったよ」


「結果の話じゃなくて」


 私は控室にいる全員を見る。


「私が、一人で流れを変えようとしました」


 沙月がこちらへ顔を向ける。


 真帆先輩も黙って聞いている。


「周りが見えていたのに、パスを出さなかった」


 憑依のことは言えない。


 それでも、自分がしたことは説明できる。


「一人で抜けば、私が試合を変えられると思った」


「あの切り返し、練習で見たことない」


 沙月が私を見る。


「何をしようとしたの?」


「……自分なら抜けると思った」


「自分なら?」


 沙月の目が細くなる。


「前の試合でも、急に動きが変わった」


「ごめん」


「謝ってほしいんじゃない」


「今は、それ以上うまく説明できない」


 沙月はしばらく私を見つめていた。


「そう」


 それ以上は追及しなかった。


 けれど、疑問が消えたわけではないことは分かった。


「藤崎」


 真帆先輩が口を開く。


「私も最初の寄せで止め切れなかった」


「でも」


「失点は一人の責任じゃない」


「私が奪われなければ」


「サッカーで一度も奪われない選手なんていない」


 真帆先輩の声は厳しかった。


「あなたが謝るなら、私も謝らないといけない。止められなかったから」


「それは違います」


「同じことを言ってるの」


 言葉が止まる。


「私も戻り切れなかった」


 沙月が言った。


「あと少し早ければ、シュートの前に触れた」


「沙月のせいじゃない」


「だったら、藤崎一人のせいでもない」


 陽菜も私を見る。


「私も前に残りすぎた。美緒が取られたとき、近くにいなかった」


「でも、それは攻撃のために」


「美緒も攻撃のために仕掛けたんでしょう」


 誰も私を責めない。


 それが、かえって苦しかった。


 私だけで背負えば簡単だった。


 私の失敗だったと決めてしまえば、みんなの言葉を聞かずに済んだ。


「藤崎」


 倉橋先生が控室へ入ってくる。


「少し外へ来なさい」


「はい」


     ◇


 控室の外にある通路。


 窓の向こうには、さっきまで戦っていたピッチが見える。


 次の試合へ向けて、係員がラインやゴールネットを確認していた。


 倉橋先生は窓の前で立ち止まる。


「足の状態は?」


「軽い捻挫です」


「代表決定戦に間に合う可能性は?」


「まだ分かりません」


「そう」


 先生は私の右足へ一度目を向けた。


「何があった?」


 胸が跳ねる。


「何が、とは」


「あなたの動きが急に変わった」


 前の試合でも気づかれていた。


 うまくなったというより、別の選手のようだと。


「一人目をかわすまでは悪くなかった。でも、そのあと橘が空いていたのに、もう一人抜こうとした」


「私が判断を間違えました」


「あれは、本当にあなた自身が選んだプレー?」


 答えられなかった。


 先生はしばらく私を見つめる。


「言いたくないことがあるなら、今は無理に聞かない」


「……すみません」


「ただし、自分の身体とチームに関わることなら、いつまでも隠せるとは思わないで」


「はい」


「それから」


 先生がピッチへ視線を戻す。


「一人で責任を背負うのも、責任から逃げる方法の一つよ」


 思わず顔を上げた。


「背負うことが、逃げることになるんですか」


「なるわ」


「でも、私のミスです」


「そうね。最初の原因は、あなたがボールを失ったこと」


 先生は否定しなかった。


「なら」


「でも、そのあとの守備は全員の責任。追いついた得点も、逆転した得点も全員のもの」


 窓の向こうのピッチを見る。


「あなたが『全部自分のせい』と言えば、話は簡単になる」


「簡単?」


「自分だけ反省して、自分だけ苦しんで、自分だけで取り返そうとすればいいから」


 胸へ言葉が刺さる。


「仲間に助けられたことを認めなくて済む。仲間にも責任を分けることを避けられる」


「そんなつもりは」


「なくても、同じことになる」


 先生が私へ向き直る。


「失敗の責任を取ることと、全部を一人で抱えることは違う」


「では、どうすればいいんですか」


「自分が間違えた判断を認める」


「はい」


「次に同じ状況が来たら、別の選択をする」


「はい」


「それでも失敗したら、仲間と取り返す」


 先生の声は静かだった。


「それがチームの中で責任を持つということよ」


 前の試合で、陽菜が言った。


『なら、二人のせいで』


 失敗する責任を分けようとしてくれた。


 今日も、みんなが私のミスのあとを走ってくれた。


 沙月が奪った。


 陽菜が決めた。


 真帆先輩がゴール前まで上がった。


 一人で変える必要なんて、最初からなかった。


「先生」


「何?」


「代表決定戦に出られたら」


 右足へ触れる。


「今度は、一人で変えようとしません」


「それは少し違う」


「違うんですか?」


「試合を変える判断はしていい」


 先生がわずかに笑った。


「あなたには、それができる」


「でも、今日失敗しました」


「一人で全部を終わらせようとしたからよ」


 先生は控室の扉へ向かう。


「誰かを使って試合を変えるのも、立派な才能」


 扉を開ける前に、こちらを見る。


「藤崎の武器は、自分一人で相手を抜くことじゃないでしょう」


「……はい」


「早く戻りなさい。みんなが待ってる」


     ◇


 帰りの電車。


 私は座席の端に座り、冷却材を巻いた右足を前へ伸ばしていた。


 蓮くんは向かい側に立っている。


 ほかの乗客に姿は見えない。


 それでも、誰かに席を譲るような位置を避け、扉の横へ寄っていた。


「蓮くん」


「何だ」


「どうして、もう一人抜こうとしたんですか」


 蓮くんはすぐには答えなかった。


「沙月が空いていたのは、見えていたでしょう」


「ああ」


「なら、どうして」


「俺なら抜けると思った」


 率直な答えだった。


「一人目をかわせた。相手の重心も見えた」


「でも、私の身体です」


「分かってた」


「分かっていません」


「そうだな」


 反論されると思っていた。


 けれど、蓮くんは静かに認めた。


「前の試合で、一人をかわしてパスを通せた」


「はい」


「今日も同じことをすれば、流れを変えられると思った」


「私もです」


 だから憑依を頼んだ。


 蓮くんなら何とかしてくれる。


 一人で相手を抜き、試合を変えてくれる。


「俺、あいつと同じだった」


 蓮くんが呟く。


「現在の蓮さんと?」


「高校時代のあいつと」


 自分一人で試合を決めようとしていた頃の蓮さん。


 結果が欲しくて、無理に仕掛けた。


 周りを使わず、やがて怪我をした。


「パスを出せたのに、抜こうとした」


「はい」


「俺が持ってる、あいつの悪いところが出た」


「私も、自分が変えないといけないと思いました」


「二人で同じ間違いをしたな」


 蓮くんが苦しそうに笑う。


「笑い事ではありません」


「笑ってない」


「笑いました」


「自分が情けなくてな」


 車窓の外を、夕暮れの街が流れていく。


「ごめん、美緒」


「私もごめんなさい」


「お前が謝ることじゃない」


「蓮くんに、私を勝たせたいでしょうと言いました」


「ああ」


「蓮くんが断りにくいと分かっていました」


「それでも、決めたのは俺だ」


「二人の責任です」


 蓮くんがこちらを見る。


「さっきまでは、全部自分のせいだって言ってたのに」


「先生に怒られました」


「怒られたのか?」


「一人で責任を背負うのも、逃げる方法だと言われました」


「厳しいな」


「でも、正しいと思います」


 私は冷却材の上へ手を置いた。


「失敗したことは認めます。でも、全部を私一人のものにはしません」


「ああ」


「蓮くんも、一人で背負わないでください」


「俺には痛みが残らない」


「だから何ですか」


「傷ついたのは美緒だ」


「間違った判断をしたことは、蓮くんにも残ります」


 蓮くんは黙った。


「次に同じことをしなければいいんです」


「次も俺を使うのか?」


 その質問に、すぐ答えることができた。


「使いません」


 蓮くんの表情が止まる。


「もう二度と?」


「少なくとも、代表決定戦では使いません」


「どうして」


「前の試合では、使い方を間違えなければいいと思っていました」


「……ああ」


「短い時間だけ借りればいい。必要な場面だけなら問題ない。そう考えていました」


「今日も、そう思ってたんだな」


「はい」


 私は蓮くんを見る。


「でも、違いました」


「何が?」


「使うたびに、私は最後の判断を蓮くんへ渡していたんです」


 失敗するかもしれない選択。


 誰へ出すのか。


 前へ行くのか。


 ボールを失う危険を引き受けるのか。


 その全部を、蓮くんへ預けていた。


「蓮くんに勝たせてもらったら、私は自分を信じられないからです」


「今日の失敗が怖いからじゃないのか」


「怖いです」


 否定はしなかった。


「でも、失敗しないために使わないわけではありません」


「じゃあ?」


「次は、最後の判断を自分で引き受けます」


 今日の試合は、みんなが勝たせてくれた。


 私のミスを、みんなが取り返してくれた。


 次は。


 私も、その中の一人として戦いたい。


「代表決定戦は、私がやります」


「足が治って、出られたらな」


「余計なことを言わないでください」


「大事だろ」


「治します」


「気合いで治るなら医者はいらない」


「分かっています」


 蓮くんが少し笑う。


「本当に使わないのか?」


「はい」


「俺が入れば、勝てる可能性が上がるかもしれない」


「今日、下がりました」


「それを言うな」


「事実です」


「次は同じ失敗をしない」


「それでも頼みません」


 私は蓮くんを見る。


「蓮くんの力が嫌だからではありません」


「分かってる」


「蓮くんに教えてもらったことは使います」


 相手の重心を見ること。


 受ける前に周囲を確認すること。


 ゴールへ向かう勇気。


 失敗しても、次へ動くこと。


「でも、最後に決めるのは私です」


「ああ」


「私の身体で、私の判断でプレーします」


 蓮くんは少し寂しそうに笑った。


「俺の出番、なくなったな」


「最初から、試合に出るために現れたわけではないでしょう」


「最初は現在の俺を立ち直らせるためだと思ってた」


「今は?」


 蓮くんは窓の外を見る。


「お前が自分でサッカーできるようになるのを、見届けるためかもしれない」


「勝手に役目を決めないでください」


「いいだろ、それくらい」


「蓮くんが決めるなら構いません」


「どっちだよ」


 電車が次の駅へ近づく。


 車内放送が流れる。


 私は古いスパイクが入っている鞄へ触れた。


「蓮くん」


「何だ」


「代表決定戦、見ていてください」


「当たり前だろ」


「途中で口を出しても、身体は貸しませんから」


「助言くらいは聞け」


「考えておきます」


「そこは聞けよ」


 電車の扉が開く。


 立ち上がろうとすると、右足に痛みが走った。


 顔をしかめる。


「無理するな」


「分かっています」


「肩は貸せないけどな」


「知っています」


 蓮くんは触れられない。


 それでも、私の歩幅に合わせて隣を歩いた。


 今日、私たちは失敗した。


 一人で試合を変えようとして。


 一人で勝たせようとして。


 けれど、試合は終わらなかった。


 仲間が走り、取り返してくれた。


 次は私も、自分の足でその中へ入る。


 誰かに代わってもらうのではなく。


 失敗する可能性ごと、自分で引き受ける。


 全国への切符を懸けた試合では、蓮くんに身体を貸さない。


 そう決めた。


 怖くないわけではない。


 それでも。


 今度こそ、自分のサッカーで勝ちたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ