はじまりの朝
〜side:遥人〜
「おはよう、ございます」
数日前、一度会っただけの人に
何と声をかけるのが正解なのかよく分からないが
俺をじっと見つめたまま固まる女性
佐野楓さんに声をかける
「、、あ!お、おはようございます!」
少し遅れて挨拶が返ってきた
「ヒカリちゃん、元気ですか?」
挨拶だけで立ち去るのも失礼な気がして言葉を続ける
「は、はい。あの、先日はありがとうございました。」
そう言って佐野さんは頭を下げた
この前ヒカリちゃんにあげたペンギンのぬいぐるみのことだろう
「いえ、喜んでくれて嬉しいです。気にしないでください」
「、、、あの子、頂いてからずっと肌身離さず持ってるんです」
「そうですか、、、良かった」
ヒカリちゃんが気に入ってくれているようで何よりだ
あの時、咄嗟のことだったとはいえプレゼントして良かったなと思う
「今日も、遠足に持って行くって言って聞かなくて」
「ヒカリちゃん、今日遠足なんですか?」
「はい、動植物園に行くことになってて」
「あぁ、あそこかぁ。俺も昔はよく行ってたなぁ」
ここからだと、子供の足で歩いても20分くらいの距離
遠足の場所として定番で
老若男女を問わずに人気のある場所
ヒカリちゃんの感じだと、小学生低学年だろうか?
「ヒカリちゃんって、1年生くらいですか?」
気になって聞いてみる
「はい、4月に入学したんですけど初めてのことばかりで。ヒカリも私も。」
「そっかぁ、行事とかあって大変なんですね」
4月、5月は入学式が終わってもオリエンテーションや説明会など行事が多い
ヒカリちゃんだけではなく、佐野さんも色々と大変なのだろう
そして、こんな時間に髪を乱し肩で息をしている姿を見ると
今、佐野さんはまさに急いでいるのではないだろうか
「そうなんですね、、、佐野さん、もしかしてだけど今急いでるんじゃないですか?」
髪が少し乱れ、少し呼吸が大きいことに今更気づく
「ごめんなさい、俺呼び止めちゃってますよね。そろそろ行きますね」
急いでいるであろう佐野さんの時間をこれ以上奪ってはいけないと
軽くお辞儀をして立ち去ろうとする
「あっ、は、はい!」
佐野さんも遠慮がちにお辞儀を返してくれた
丁度、青信号に変わった横断歩道を
「それじゃあ、また」
と、胸元で小さく手を振り佐野さんは歩いていく
その姿が
祐香と重なって見えた
まだ結婚する前
バイバイをして互いの家に戻らなければならない
デートの最後の時間
あの時の寂しそうに手を振って笑う祐香に
とてもよく似ていた
佐野さんの後ろ姿を少しの間見つめ
祐香の残像を振り払うように
駅に向き直り足を進める
「ちゃんと見ていないのは、俺も一緒だな、、、」
佐野さんが俺を見る瞳
俺を見ているようで遠くを見ている
その眼差しに気づかないほど俺も鈍感ではない
歩く足を早めたその時
後ろの方で声が聞こえた気がして振り向く
「あのーー!!!」
佐野さんだった
大きな声で、車道の向こうから俺に向かって叫んでいる
「あのーーー!!!」
なんだろう
なんですか?という意味を込めて耳に手を当ててジェスチャーで返す
「おーなーまーえ!おしえてくださーーーい!!」
体いっぱいを使って前のめりになるように口に手を当てて
大声を出す佐野さんが
今度はちゃんと”俺”を見ている気がした
「おーなーまーえー!!!」
静かな街に、佐野さんの大きな声が響いている
そんなに大きな声を出さなくても
ちゃんと聞こえているのに
一生懸命に体いっぱいで叫んでいる佐野さんが
なんだかおかしくて
笑ってしまった
「おーなーまー」
「はると!!!」
佐野さんの声が止まる
「しーらーかーわーはーるーと!!!」
佐野さんの真似をして
俺も体いっぱいを使い、大きな声で名前を伝える
佐野さんは
少しびっくりしながら目をパチパチしているようだった
「白川、、、遥人」
俺の名前を
佐野さんに聞こえるであろう声量で繰り返した
俺の声が聞こえたのだろう
大きくペコリとしながら
また胸元で小さく手を振った
佐野さんは振り返った後
近くのコンビニに入って行った
その後ろ姿を見守ったあと
今度こそ俺も駅に向かって歩き出す
家を出た時とは違い
進む足にまとわりつく重さは
何だか軽い気がした
見上げると
空は明るさを強め、雲間から光が溢れていた




