怪我の功名
~side:遥人~
「おつかれー」
「お先しますっ。また来週っす」
時計の針は17時05分
週末だというのに
終業時間から5分程度の残業で業務を完遂させ
同僚達は皆帰路についていく
担当患者の治療記録、計画書、会議資料、授業資料、研究提出資料、、、
何もかも終わっているのだが
早々と帰る気持ちにもなれず
研究資料の見直しを行おうか、と一旦閉じたノートパソコンを開いた
「何回やったって変わんないって」
「ん?おぅ花村さんか。まぁ、最終チェックだよ」
「最終チェックってのは1回か2回やれば十分なのよ」
「誤字とか不備があったらさぁ」
「あんたがミスるわけないでしょーが。院内発表の時だってDr達も感心してたじゃない」
「まぁ、そうなんだけど。見落としがあるかも」
と言いかけたところでノートパソコンが梨香の手によって閉じられる
「莉、、、花村さん。何してんの」
「終わり終わり!週末の一番楽しい時間に仕事とか、どんだけよあんたは」
「と、言いましてもねぇ」
家に帰っても
特にすることが無いのだ
想い出のつまった広い部屋で過ごしていると
どうしても祐香や心羽のことを考えてしまう
その時間は
とても幸せなのだが
同時に、とても辛いものでもあった
寂しさに耐えきれずに
ホームビデオを観ながら朝を迎えることも少なくない
「遥人、今日もご飯一緒に行くわよ」
「あのさ、職場では名字で呼べって何回も言ってるだろ」
「もう誰もいないんだから、そんな気を遣う必要ないでしょう?」
周りを見渡すとスタッフルームには俺と梨香しかいなかった
もともと定時退勤を推奨するホワイトな職場
俺と梨香は部署こそ違うものの
定時を過ぎてまで残る職員はほとんどいない
「皆さん優秀で困っちゃうよ。俺みたいなおじさんは仕事が遅いのさ」
「何言ってんの、まだ30手前でしょ?おじさんっていう程老けてないわよ」
「いやいや、十分おじさんだよ。最近は目もかすむし、走るとすぐ息上がるしさ」
「目がかすむのは、あんまり寝てないからでしょ、、、、」
ため息交じりに梨香は返す
「と!に!か!く! ほら行くわよ」
少し強めに耳を引っ張られる
結構痛かった
「へいへい。今日は酔っぱらうなよ」
「なっ、なによ!あの時は、あんたが変なこと言うからでしょ」
「?なんか言ったっけ、俺?」
特に変なことを言った覚えはなく聞き返す
「別にいいわよ、覚えて無いなら。」
あの日、梨香はひどく酔っぱらっていた
上機嫌で良くしゃべり、でも悲しいような
やや情緒が不安定だったように思う
「行っても良いけど、また酔っぱいの面倒見るのはなぁ、、、」
「安心しなさい。今日はお酒飲まないから」
小さな胸を張り、自慢げにそう宣言する
ドヤ顔が憎たらしい
「ただ飲まないってだけで、偉そうにするんじゃないよ」
「小さいことは気にしないの。ほら行くよ」
「はいはい。着替えてから、玄関のとこで良いか?」
「オッケー♪」
「お早めにお願いしまよ、花村さん」
梨香はベーッと舌を出しスタッフルームを出て行った
―――――
梨香が待ち合わせの場所に来たのはスタッフルームを出て10分程
普段20分以上かかるので今日はかなり早い方だった
「梨香にしては準備早かったな」
「遥人がいつも早いだけー。レディは待っても待たせるなって言うでしょ?」
「誰が言ってんだよ、そんな頭の悪いセリフ」
ケラケラと笑う梨香
楽しそうで何よりだ
「今日はさ、ちょっと行きたいとこあって。8時で閉まっちゃうから早くいこっ♪」
腕時計に目を落とし時間を確認する
「5時半だから、まだ余裕あるけど。遠いのか?」
「ううん。私と遥人の家の中間くらいだよ」
「じゃあ、電車使っても30分くらいか」
「うん。最近カフェ巡りにハマっててさ。この前、遥人が留守だった日の帰りに寄ったんだけど、店閉まる時間で入れなかったの」
「あぁ、俺が出張行ってた時か」
「留守なら行かなかったのに。なんで教えないのよ、あんたは」
「だから、ごめんって。散々謝っただろ?」
「そうだけど、次からはちゃんと言ってよね」
怒ったふりをしているが
この前も何度も謝って解決していることなので
ただ、このやりとりを楽しんでいるだけなのだろう
「まぁ、そのおかげで今日行くところを見つけたから怪我の功名ってやつ?」
「へぇ、じゃあ俺に感謝しなきゃな」
俺がニヤリとして笑う
「遥人のおかげじゃないの。私のおかげなの」
頬を膨らませ、軽く肩を叩いてくるが
力は入っておらず、そのままスッと腕が滑り込んでくる
「ほーら、行くよ」
腕を組んだまま引っ張られるように歩き出した
「あのさ、俺と梨香の家の中間くらいにカフェがあるんだよな?」
「うん。ヨーロッパ、、、北欧って感じの、お洒落なとこだよ」
「あぁ、あそこか。何回も行った事あるぞ、俺」
「えっ!そうなの?」
「歩いて行けるとこだし、店主さんが良い人でさ」
「そっかぁ。まぁ、そうだよね。よく考えたら、遥人の家から近いもんね」
「あそこのナポリタンが絶品でさ、裏メニューなんだけど」
「遥人、行った事あるならやめとく?」
「なんで?行こうよ。最近行ってないし、店長さんにも会いたいしさ」
少し沈みかけた表情を、ぱぁっと明るくさせて梨香が笑う
そして、笑顔になったと思ったら
頬を膨らませて今度は不機嫌アピールをしてきた
「店主さんと仲良いんだね」
俺とは反対側を向いて梨香は拗ねている
「仲良いっていう程じゃないよ。ってか、もう早苗さん、70歳過ぎだよ?」
「えっ?70歳過ぎ?」
梨香が立ち止まり、俺の顔を覗き込む
「あぁ、本人が言ってたから間違いないと思うけど」
「そうなの?この前、会った店員さんすごく若かったけど」
「あそこ、早苗さん1人でやってるはずだけど。若い店員さん?」
「うん。すごく可愛かった」
アルバイトでも雇ったのかな
そう思いながら、お互いが思い浮かべているカフェが違うのでは?
という可能性に行きつく
「あのさ、店の名前覚えてる?」
「うん。じゃあ、一緒に言い合いっこしよっか」
いつもの2人のノリになり
同時に答えを言うことになった
「「せーーーの」」
【ラムミン・ヴァロ】
俺と梨香の答えは同じだった




