第七話 守る者
周囲の物音が、遠のいていく。
風の音も。
鳥の声も。
街の喧騒さえも。
すべてが虚ろになって、やがて消えた。
静寂。
目の前の墓石が、微かに震え始める。
「ぉぉ……」
思わず声が漏れた。
その隣で、景継が膝をつく。
『きついのう……』
「大丈夫か、爺さん」
『何とかな。成功したようじゃ』
景継が顔を上げる。
墓前の空間が揺らいだ。
陽炎のような揺らぎの中から、ゆっくりと人影が現れる。
男だった。
歴史の教科書に載っている挿絵から、そのまま抜け出してきたような男。
身長は百六十センチくらいだろうか。
小さい。
だが、ぶ厚い。
肩も、胸も、腕も、俺とは身体の作りそのものが違う。
物々しい鎧を身につけ、腰には太刀……いや、形だけなら西洋の剣にも近い片手持ちの得物。
さらに背中には、異様なものを背負っていた。
両手持ちの剣……?
いや。
鉄塊だ。
とてもじゃないが、人が振り回せるような代物には見えない。
ただ立っているだけなのに、分かる。
この男は戦ってきた。
何度も。
そして生き残ってきた。
歴戦の武人。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
男はゆっくりと周囲を見渡した。
そして。
景継を見た。
「……」
数秒。
完全に動きが止まる。
次の瞬間だった。
『景継様ぁ!!』
地面へ額を叩きつけるように、男が平伏した。
でかい。
声がでかい。
耳じゃない。
頭の中に直接響くから逃げ場がない。
『遅参いたしました!!』
景継は軽く頷いた。
『うむ』
『そのお姿、お久しゅうございます』
『久しゅうのう、景忠』
『は!』
葦原景忠。
千三百年前。
忌部に仕えた防人。
そして、俺のご先祖様。
『……』
景忠が顔を上げる。
そして俺を見た。
『どなたですかな、この御仁は』
『今代の葦原じゃ』
『…………』
景忠が改めて俺を見る。
そして。
『ハハ、御冗談を』
「……」
『……些か』
「なんだよ」
『いえ』
「気分悪いな。初対面やぞ」
景忠が立ち上がる。
俺の周囲をぐるぐると歩き始めた。
肩。
腕。
足。
姿勢。
挙句の果てには勝手にあちこち触ってくる。
「……」
『……』
「……」
『……』
しばらく俺を観察していた景忠が、景継を見る。
景継が頷いた。
『そうじゃろう』
「何がだよ」
「お前らな。俺がおらんかったら復活してないんやぞ」
瞬間。
景忠の顔色が変わった。
『貴様ッ!!』
「!!」
『景継様に向かって、お前とは何事か!』
凄まじい剣幕だった。
『身分をわきまえよ! 腹を切れ!! 無礼者が!』
「・・・」
『良い』
景継の一言だった。
それだけで景忠が黙る。
『こやつの無礼は許せ』
『しかし景継様』
『こやつの言う通りじゃ。ワシはこやつのお陰でここにおる』
景継が俺を見る。
『お主を顕現できたのも、こやつがおったからこそよ』
『……』
『時代が違うのじゃ』
景忠が黙り込む。
『わきまえるは其方のほうじゃ』
『……』
『感謝せい』
『しかし……』
『話が進まん。いい加減にせよ』
景忠はしばらく黙ったあと、深々と頭を下げた。
『御意』
すげぇ。
大人しくなった。
こうして見ると本当に偉かった人なのかもしれない。
『朋也』
「ん?」
『こやつとも契約せよ』
「……どんな内容の契約?」
『ワシと同じで構わん』
景継が景忠を見る。
『景忠』
『は』
『其奴を鍛えよ』
『御意』
願ってもない。
剣道は強くなりたい。
それに恐らくこいつは強い。
いや、恐らくどころじゃない。
見るからに強い。
怪異と出くわした時の戦力にもなる。
悪い話じゃない。
『若殿』
「ん?」
『剣はどれほどか』
「九年」
『……ほう』
景忠の目が少し変わった。
『少しは自信がおありのご様子』
「まあ……それなりには」
『では、お手合わせ願いたい』
「へ?」
『実力をお見せ頂きたい』
景忠が腰に差していた得物を抜き、俺へ差し出した。
受け取る。
「重っ……!」
片手剣じゃないのかこれ。
少なくとも俺には片手でまともに振れそうにない。
『若殿』
景忠が数歩離れる。
『打ち込んできなされ』
チッ
舐めやがって。
一泡吹かせてやる。
『景忠よ』
景継が横から口を挟んだ。
『手加減してやれよ』
『殿は黙っていてくだされ』
『……』
空気が変わる。
景忠と向き合う。
さっきまで大騒ぎしていた男と、同じ人間とは思えなかった。
隙がない。
俺は剣を左手に持ち替えた。
上段に構える。
重い。
それでも振れない重さじゃない。
半歩。
間合いを詰める。
左腕だけで振り下ろすと見せる。
右手は身体の陰。
気配を消す。
そして一気に踏み込んだ。
左腕が動く。
同時に隠していた右手で鍔を押し込む。
勢いを乗せる。
そのまま。
振り抜いた。
『……』
「……」
空を斬った。
「え?」
景忠がいない。
いや。
いる。
ほんの僅かに身体をずらしただけだ。
次の瞬間。
手首を取られた。
「あっ」
視界が反転する。
背中から地面へ転がされた。
一瞬だった。
『容赦なく振り抜いた胆力は良し』
「……参りました」
これは無理だ。
向かい合って分かった。
力の差がありすぎる。
話にならない。
景継が景忠へ尋ねる。
『どうじゃ。見込みはあるかの?』
『あります』
即答だった。
『霊体とはいえ、私へ容赦のない一太刀。意気込みが良いですな』
『あの波多良ノ神にも、一撃を加えて膝をつかせておったわ』
景忠の眉が動く。
『波多良ノ神……』
少し考え。
途端に顔が明るくなった。
『おお! たぬ吉殿ですか! 懐かしい!』
「……え?」
たぬ吉?
「あの見た目で、たぬ吉っていうの?」
『元は一匹のあいぎゅう狸様じゃからな』
景継が答える。
『ただお主、間違っても本人の前でたぬ吉などと呼ぶなよ』
「なんで」
『殺されるぞ』
「殺されるの?」
『許されるのは桑原殿と景忠くらいじゃ』
景忠が懐かしそうに笑った。
『いやぁ、たぬ吉殿に一撃とは。若殿を少々見くびっておりました』
「ご先祖様に殺された桑原さんはどんな気持ちなんやろな」
『……若殿』
景忠が俺を見る。
『随分と事情をご存じなのですな』
「まあね」
『さぞ良い縁を、たぬ吉殿と結ばれたのでありましょう』
優しい顔だった。
『そうそう』
ふと思い出したように、景忠が背中を指す。
『この背の得物ですが』
『たぬ吉殿の愛刀』
景忠は誇らしそうに言った。
『蘭丸じゃ』
「ええっ!? かっこいい名前」
思わず背中の鉄塊を見る。
あの狸が、これを振り回していたのか。
『鞘は、たぬ吉殿の毛皮を使って装飾されておる』
「剥ぎ取られた毛?」
『うむ』
怖い。
『ハタの合戦の褒美として陛下から賜った品よ』
景忠が蘭丸へ目を向ける。
そして少しだけ寂しそうに続けた。
『たぬ吉殿の墓標に添えてやろうと思うておったのじゃがな』
「元の持ち主の元へ的な」
『ああ』
景忠が頷く。
『その後の出雲残党との小競り合いで、私は呆気なく戦死してしもうた』
『景継様、申し訳ありませぬ』
『・・・』
「……」
『渡せず仕舞いじゃ』
景忠は小さく息を吐いた。
『無念よ』
けれど。
すぐに表情を戻した。
『たぬ吉殿に、直接お返ししたい』
その目が俺を見る。
『若殿』
「うん」
『私を景継様と同じく、宿してくだされ』
深々と頭を下げる。
『必ずやお力になりましょう』
『契約をお願いしたい』
「……分かった」
景継がこちらを見る。
『では、約定を交わすぞ』
「俺はご先祖様を宿す」
景忠を見る。
「ご先祖様は俺に剣を教える。それでいい?」
『異存ありませぬ』
景継が頷く。
血判を交わす。
景継が二人の約定を受け取り。
契約は結ばれた。
「よし」
これで。
いざという時には景忠に戦ってもらえる。
たぶん土地神みたいな相手でも、こいつなら。
『ああ、朋也』
「何?」
『一つ伝えておきたいのじゃがな』
嫌な予感がした。
『恐らく、ここ以外で景忠を顕現するのは不可能じゃ』
「……え?」
聞き間違いか。
「なんで!?」
『この場所だからこそ、何とか口寄せできたのじゃ』
「待って」
『今のワシには明らかに荷が重い。完全に神官としての力に見合っておらん』
「じゃあ、怪異が出てきたら?」
『交渉じゃ』
「問答無用で殴りかかってきたら?」
『其方が戦う』
「意味ないやん!」
『意味はある』
景継はしれっと言った。
『お主が強くなれば良い』
「いざって時は戦ってくれるかなと思ったのに……」
『期待しておるぞ』
景忠が嬉しそうに俺の肩へ手を置いた。
『若殿!』
「……何?」
『今日から特訓じゃ!』
「……はい」
高校入学まで、あと一週間。
もう少し遊ぶつもりだった俺の春休みは、どうやらここまでらしい。




