第八話 入学式
景忠と契約した翌朝。
まだ空も暗い。
『若殿、起きられよ』
「……何時?」
『日の出前じゃ』
「寝ることも修行と身体づくりには必要やろ」
『昨晩、いつまでも起きておられた若が悪いのです』
「お前らが俺の頭の中で宴会を始めたんやろうが」
景継まで起きてきた。
『うるさいのう、朝から』
「お前からも言ってくれ」
『景忠、ちと黙らんか』
『しかし、若が死ねば我々も跡形もないですぞ』
『……』
しばしの沈黙。
『朋也、起きろ。鍛錬じゃ』
「……起きるわ」
◇
朝飯を食べ、リブを連れて走りに出た。
「ハタ良神社行くか」
『兄者、水』
「ちょうどいい。ご先祖様も蘭丸返すんやろ?」
『そのことなのですが』
景忠が申し訳なさそうに言う。
『うっかりしておりました。私は顕現していただかねば、蘭丸も出せませぬ』
「ああ」
そうだった。
景忠は今、俺の中にいる。
蘭丸も一緒だ。
「爺さん、神社なら景忠を出せるん?」
『……将来的には可能であろうな』
「将来的?」
『今は縁が足りん。昨日、葦原の墓で呼び出せたのも、あの場所に残った強い縁があったからこそじゃ』
「じゃあ、どのくらい?」
『分からん』
「分からんの?」
『まだ感覚も戻っておらんし、何とも言えんわ』
「先は長いな」
『兄者、水』
「分かった分かった」
『たぬ吉殿にお会いできるのは楽しみですな』
景忠の声が弾む。
『直接お姿を見せられぬのは残念ですが。若殿、どうか私の言葉をお伝えくだされ』
「もちろん」
◇
神社へ着く。
二週間かけて掃除した境内は、以前とはまるで違っていた。
まだ早朝なのに、一人の老人が本殿へ手を合わせている。
供えられた花も新しい。
たった二週間。
それだけなのに、人が戻り始めている。
嬉しかった。
境内へ進み、屋根を見上げる。
いた。
波多良ノ神。
『大神のリブ殿! ようこそお越しくださった! お付きの方々もよくぞ参られた!』
「誰がお付きや」
『水』
リブが呟く。
波多良ノ神の目が光った。
『ハハーッ! 水じゃ! 水を持ってまいれ!』
「うおっ」
境内のあちこちから狸の霊体が現れた。
一匹。
二匹。
まだ出てくる。
小さな器に水を入れ、ぞろぞろとリブの前へ運んでいく。
「一族、めちゃくちゃおるんやね」
『葦原殿と景継のおかげじゃ』
波多良ノ神は満足そうに辺りを見渡した。
『ハタの住人との縁が戻り始めた。それに釣られるように、一族も帰ってきよる』
「良かったな」
『うむ』
それから、波多良ノ神が俺を見る。
『葦原の墓には行かれたか?』
「行ったよ」
『どうじゃった』
景継が答える。
『其方の読みが当たったわ。見事、景忠を顕現できた』
『おお!』
『今はワシと同じように、朋也の中におる』
頭の中では、その景忠が大騒ぎしていた。
『たぬ吉殿! お久しゅうございます! 景忠にございます!』
「うるさい、うるさい」
『若殿! お伝えくだされ!』
「分かったって!」
『何じゃ?』
「ああ、ご先祖様が……」
少し考える。
「一先ず、蘭丸を返したいらしいよ」
『らんまる?』
波多良ノ神の動きが止まった。
『……蘭丸』
次の瞬間。
『ワシの愛刀、蘭丸か!!』
「うん」
『取り返してくださっておったか!』
波多良ノ神が目を見開く。
『ありがたい……!』
景継が事情を説明する。
『葦原の墓前では景忠を顕現できたがの。別の場所では、今のワシには荷が勝ちすぎる』
『なるほどのう』
波多良ノ神はあっさり頷いた。
『まあ、ゆっくりで構わん。千三百年待ったのじゃ。今さら急ぎもせん』
「……あ」
一つ思いついた。
「じゃあ、たぬ吉も俺の中に入ったらええんじゃないの?」
『それもそうじゃのう』
『…………』
『…………』
「?」
『?』
俺と波多良ノ神だけが首を傾げる。
長い沈黙のあと、景継がぼそりと言った。
『……たぬ吉呼ばわりはともかく』
『盲点じゃった。確かに可能じゃ』
景忠まで感心している。
『たぬ吉殿といい、リブ殿といい。若殿には人徳がありますな』
『……』
「何だよ」
『いや』
景継は少し考える。
『ただし、一つ伝えておく』
「何?」
『あと一柱程度なら、お主に宿らせることは可能じゃ』
『伊予国内であれば、恐らく顕現もできよう』
「じゃあ問題ないよな」
『短時間ならな』
「なんで?」
『波多良はハタの土地神じゃ』
景継の声が真面目になる。
『土地を守る神が長く不在になれば、その土地に住む者へ災いが起きやすくなる』
『悪意ある怪異に付け入られる可能性もある』
「……へぇ」
『勧められん』
「じゃあ蘭丸の受け渡しだけにしよう」
波多良ノ神を見る。
「それで契約しよう」
『承知した』
◇
契約はすぐに済んだ。
普段あれだけ騒がしい景忠が、波多良ノ神との再会だけは違った。
俺の中で景忠が深く頭を下げる。
波多良ノ神も何も言わない。
蘭丸が返される。
それだけ。
千三百年。
その長さを俺には想像できない。
だから茶化してはいけない。
そう思った。
やがて波多良ノ神が俺から離れる。
『いやぁ、良き日じゃ!』
蘭丸を抱え、満足そうだった。
『我が蘭丸も戻り、さらに力が漲ってくるわ!』
「良かったな」
『うむ!』
波多良ノ神は大きく頷く。
そして。
『ところでな、葦原殿』
「何?」
『景忠殿から先程頼まれた』
『若の稽古相手になってくれとな』
「マジかよ」
『良い案じゃろう! 家から近いしの!』
景継まで楽しそうだ。
「蘭丸は使うなよ。死んでしまう」
『もちろんじゃ。適当な棒切れでよかろう』
「お前、棒切れでも俺を殺せるだろ」
『では竹刀にしよう』
「ぜひそうしてくれ」
◇
そこから、地獄の一週間が始まった。
実戦形式。
ルールなし。
要するに、ただのしばき合いだった。
一度、波多良ノ神に叩き飛ばされた俺を見てリブがブチ切れ、波多良ノ神へ襲いかかる事件まで起きた。
あの巨体の土地神が、本気で怯えて逃げ回っていた。
どうにかリブを宥め、
「これは稽古」
「俺が頼んでやってもらってる」
と何度も説明して、ようやく納得してもらった。
五日目には竹刀の先が目元を掠めた。
大した怪我ではなかったが、しばらく眼帯生活である。
そんなある日。
俺の素振りを見ていた景忠が呟いた。
『……なるほど』
「?」
『剣道とは槍術なのですな』
「いや、剣術だけど」
『竹刀で有効となる部分は、剣先からこの結び目まででしょう?』
「うん」
『ならば、やはり槍術です』
「……」
『違いますかな』
「……言い返せんな」
素振り。
踏み込み。
間合い。
構え。
景忠は何度も何度も俺の剣道を見ていた。
馬鹿にすることはなかった。
その代わり、自分の知っている武術へ置き換えて理解しようとしているらしい。
『若殿』
「ん?」
『たぬ吉殿へ一撃を加えたと申しておられましたな』
「うん」
『その際、どのような得物を?』
「傘」
『…………』
「何?」
『合点がいきました』
「何が」
『やはり若殿は、槍術を磨いてこられたご様子』
「……」
『それはさておき』
『ずっと考えておりました』
景忠の声が真面目になる。
『怪異との遭遇には危険が伴います』
「そうやろうな」
『されど、この時代では刀や槍を持って歩くことはできませぬ』
「捕まるな」
『ならば』
少し間を置いて。
『武器は傘にしましょう』
「……傘?」
『普段から持ち歩いても不自然ではありませぬな?』
「日傘と雨傘を兼ねるなら……まあ」
『頑丈で、しなりがあり、先端の強いものが望ましい』
「難しいな」
『用意できませぬか』
「探してみるわ」
『昨日話されておった、インターネットなる遠隔の問屋で』
「ネット通販な」
『それです』
「分かった」
千三百年前の武人にネット通販を勧められる日が来るとは思わなかった。
◇
そんな調子で一週間が過ぎた。
強くなったかどうかは分からない。
ただ。
身体はボロボロだった。
まさか高校の入学式に眼帯をつけて行くことになるとは思わなかった。
景忠の言う「剣道は槍術」という考えが正しいのかも、まだ分からない。
それでも。
剣先。
間合い。
突き。
これまでとは違う角度から、自分の剣道を考えるきっかけにはなった。
◇
入学式の朝。
制服に袖を通す。
ただの学ランだ。
ただ、少しだけ裁縫屋で弄って改造してもらっている。
鏡を見る。
「……悪くない」
リビングへ降りると、母親が俺を見るなり言った。
「警察官の子供には見えんね」
「なんが?」
「タンラン、ドカン」
雄二もこちらを見る。
「眼帯。原チャリ通学」
父親が新聞から顔を上げる。
「不良やん」
「……」
酷い言われようだった。
「行ってくるわ」
『朋也!』
「何だよ」
『テレビをつけよ!』
「は?」
『巫女による天気予測が始まってしまう!』
「……」
俺はそのまま家を出た。
◇
学校は遠い。
景忠も途中で呆れ始めた。
『えらく遠くの学び舎を選ばれたものですな』
「大好きな先輩がおるんよ」
『成川なる武人ですかな』
「そう。剣道部の先輩」
『なるほど』
少し間。
『さては若殿、男色に』
「違います」
『もしや』
「違います」
『御意』
景継が思い出したように口を挟んだ。
『そういえば、橋本殿との約定はよいのか』
「……あ」
写真。
完全に忘れていた。
『女子との約定を違えるでないぞ』
景忠まで頷く。
『約定は守らねばなりませぬ』
「分かったよ」
途中のコンビニへ寄った。
写ルンです。
痛い出費だった。
◇
入学式。
式の最中も二人はうるさかった。
『朋也』
「何」
『歌わんのか』
「歌ってるよ」
『聞こえん』
「心の中で」
『君が代は良き歌じゃぞ』
「そうやな」
『愛の歌でもある』
「へぇ」
今度調べてみよう。
景忠はというと、さっきから周囲の男子生徒を眺めている。
『……細い』
「……」
『あの者も細い』
「なぁ」
『大和の男は、この千三百年で随分と軟弱になりましたな』
「戦争せんでいいんだから、それでええやろ」
『……』
景忠が少し考える。
『それは良きことです』
「そうやろ」
『ですが、少々物足りませぬ』
「お前たちのお陰で俺は退屈せずに済みそうやわ」
◇
入学式が終わればホームルーム。
担任が明日からの予定を説明している。
『くだらん話じゃ。武道場へ行け』
「学校だから!」
『殿、規律は大事ですぞ』
『固いのう』
数分後。
『若殿』
「……」
『武道場へ』
「お前もか! 後から行くけん、ちょっと待て!」
やっとホームルームが終わる。
二人に急かされながら武道場へ向かった。
途中。
「おい、チビのヤンキー」
声がした。
振り向けば、同級生らしい連中が何人か。
こちらを見て笑っている。
『早速ですな』
景忠の声が低くなる。
『殺しましょう』
『かまわん。やれ』
「気持ちは分かるけど、駄目だから」
無視して歩く。
すると後ろから肩へ腕を回された。
「まあ待てや」
「……」
面倒臭い。
ぶっ飛ばすか。
そう思った時だった。
「おーい、葦原!」
聞き覚えのある声。
顔を上げる。
「成川先輩!」
思わず笑った。
「お久しぶりです!」
絡んできた連中が離れていく。
助かった。
その瞬間。
橋本の顔が浮かんだ。
ポケットの中。
写ルンです。
『約定じゃ』
『果たされよ』
「……しょうがない」
「ん?」
パシャリ。
「……」
逃げる。
「おい!!」
背後から怒声。
「待てコラ葦原ァ!! クソガキ!!」
「また後で!」
『……少々、不憫ですな』
『儂も成川殿に同情するわ』
「どっちなん!」
当然、捕まった。
「写真回収するぞ」
「俺の五千円が……」
「何が五千円だ!」
そのまま首根っこを掴まれ、武道場まで連行された。
◇
「前に話してた中学の後輩です」
成川先輩が部員達へ俺を紹介する。
「今日入学したんで連れてきました」
「連れてきたっていうか……とっ捕まえたというか……」
「葦原」
「はい」
「挨拶」
一歩前へ出る。
「本日入学した葦原です」
一礼。
「剣道部に入部します。これからよろしくお願いします!」
「しゃす!」
声が返ってくる。
懐かしい。
稽古が始まった。
竹刀がぶつかる音。
床を蹴る足音。
掛け声。
汗と防具の匂い。
やっぱりいい。
この空気は好きだ。
「君」
「はい?」
声を掛けられた。
背の高い老人だった。
剣道部顧問の左久堂先生。
八段。
剣道をやっている人間なら知っている者も多い、有名な先生だ。
「剣道歴、何年?」
「九年です」
「へぇ」
先生は少し嬉しそうに笑った。
「経験者は嬉しいな」
『若殿』
「何」
『この御仁』
景忠が言う。
『強いですぞ』
「分かるの?」
『そりゃ分かりますよ』
先生が続ける。
「せっかくだし、ちょっと稽古していく?」
『やりましょう!』
『やれよ、やれ!』
「……」
「でも防具ないですし、竹刀も胴着も何も持ってきてないんで、今日は見学で」
「森!」
「はい!!」
大きな返事。
「貸したれ。背格好が似とるやろ」
森先輩を見る。
百六十五センチくらい。
俺より少し低い。
だが、横に分厚い。
体格だけなら景忠を少し小さくしたようにも見える。
対して顔はかなり優しそうだった。
「いや、悪いです。遠慮します」
「まあええよ」
森先輩に手招きされる。
「おいで」
口調も優しい。
直感した。
この人、めちゃくちゃいい人だ。
『楽しみですな』
景忠だけが妙に嬉しそうだった。
◇
なぜか試合形式になった。
相手は三年の森先輩。
森先輩は少し不服そうに見える。
入学したばかりの一年。
防具と竹刀を貸しただけでなく、その一年の試合相手にまで選ばれた。
舐められたと思っているのかもしれない。
俺は別に舐めてないんだけど。
『気迫は良し』
景忠が言う。
『殺気が籠もっておりまする』
「えぇ……怖い」
『我らの時代であれば、殺し合いですな』
「嘘やろ」
『若殿。油断されるな』
審判は三年のキャプテン、菅野先輩。
互いに構える。
「始め!」
その瞬間。
森先輩の殺気が消えた。
「……?」
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
俺の警戒が解けた。
次の瞬間。
竹刀を絡め取られた。
「えっ」
俺の竹刀が宙を舞う。
そして。
「メェンッ!!」
強烈な打撃が頭の芯まで響いた。
「メンあり!」
「おおっ!」
歓声の中、遅れて竹刀が床へ落ちた。
「……」
やられた。
『……見事』
景忠だった。
『殺気すら囮か』
怒っていたんじゃない。
いや。
ひょっとしたら、本当に腹は立っていたのかもしれない。
それすら利用された。
『現代の武道』
景忠が感心したように呟く。
『侮れませぬな』
◇
二本目。
俺は狙っていた。
今の一本。
綺麗に決まりすぎだ。
森先輩の作戦が百パーセント成功した。
なら今度は。
俺がやる。
飛ばされた竹刀を拾う。
急がない。
遅すぎもしない。
普通に拾う。
目線は下げたまま。
合わせない。
目の奥だけは見せない。
悟らせない。
悔しそうな顔もしない。
怒らない。
ただ少しだけ。
やる気を失ったように立つ。
一本目で心が折れた。
そう思ってくれればいい。
「始め!」
一気に間合いを詰める。
大きく振りかぶった。
考える隙は与えない。
面だ。
森先輩が反応する。
竹刀が上がる。
腕が上がる。
その瞬間。
胴が空いた。
振り下ろすはずだった竹刀の軌道を変える。
「胴ォッ!!」
逆胴。
「うおっ!」
森先輩の身体が後ろへよろめいた。
「胴あり!」
「おおっ!」
再び歓声が上がる。
左久堂先生が笑った。
「気ぃ抜いたらやられるわな」
『……若殿』
「何?」
『性格が出ておりますぞ』
「褒め言葉として受け取るわ」
◇
三本目。
普通に負けた。
あっさりと。
真正面から打ち合えば、まだ勝てない。
技術。
速度。
経験。
全部、森先輩が上だった。
『現時点では』
景忠が冷静に分析する。
『真っ向から戦って勝てる相手ではありませぬな』
「うん」
それは俺自身が一番よく分かっていた。
◇
「葦原くん、良いね! びびったわ」
休憩。
下座で一緒に面を外しながら、森先輩が笑う。
「ありがとうございます」
「逆胴、綺麗に入ったなぁ」
「森先輩も強かったです」
「一年に取られるようじゃ、まだまだよ」
「絡め手を使わないと一本取れませんでした」
「ハハハ」
森先輩が笑う。
俺も笑った。
さっきまで殺気を飛ばしていた人とは思えない。
「あの……」
声がした。
「ん?」
二人で顔を上げる。
同じ一年生だろう。
女の子が立っていた。
普通に。
かなり可愛い。
「めちゃくちゃカッコ良かったです」
「え?」
「お二人の試合見て、私、入部決めました」
「いやぁ……それほどでも」
森先輩の顔がみるみる赤くなる。
「ありがとう」
俺も答える。
『若殿』
景忠。
『春じゃのう』
景継。
『やりましたな、若殿』
「うるさい」
「……?」
女の子が首を傾げる。
「あ、いや。なんでもない」
女の子が笑った。
俺も少しだけ笑う。
隣で森先輩が、小さく呟いた。
「……あぁ。俺じゃないのね」
高校生活。
初日としては、悪くないかもしれない。




