重い荷
竜は、霞を食っては生きられない。
ヴェルの干し肉は底をつき、革具はあちこち擦り切れ、帳場の銭箱は、覗くたびに軽くなる。おまけに半月先の呼び出しに備えて、いくらか蓄えもいる。黒翼便は、金が要った。
「軍御用達なんぞに関わるな」帳場で、ガロは渋い顔をした。「ああいう連中の金は、いつだって、誰かの血の匂いがする」
「その血の匂いのする金で、ヴェルの飯を買うんでしょ」リンは肩をすくめた。「綺麗な金なんて、この港のどこに転がってんのさ」
ガロは、何も言い返さなかった。言い返せないことを、二人とも知っていた。
仕立てのいい外套の使いだった。軍御用達の、名の知れた商会の名を出す。「内密に運んでほしい荷がある。報酬は、はずむ」
提示された額に、ガロが煙管を取り落としかけた。胡散臭い、と皺の寄った顔が言っている。けれどリンは、にやりと笑ってみせた。
「金は金でしょ。……で、何を運ぶの」
積み荷は、内陸の村にあった。
昼でも、その村は灰色だった。畑は呆れるほど広いのに、行き交う人の顔には、肉がない。痩せた女の子がひとり、納屋の前にしゃがんで、運び出されていく袋を、じっと見ていた。リンと目が合うと、怯えたように母親の脚の陰へ隠れる。竜が怖いのか――いや、その子の目は、袋のほうばかりを追っていた。
納屋から出てくるのは、麦だった。袋に、袋に、また袋。ヴェルの背が埋まるほどの。
「いい畑じゃない」リンは荷を縛りながら、そばの老人に言った。「これだけ穫れて、なんで、こんなに痩せてるの」
老人は、力なく笑った。「穫れたって、おれたちのもんじゃねえ。帝国の税が、年々重くなる。払えなきゃ、商会に二束三文で買い叩かれる。……自分で育てた麦を、自分の子に食わせてやれねえのさ」
リンの手が、止まった。
つまり、こういうことだ。今からリンが運ぶこの麦は、海辺の街で、何倍もの値で売られる。あの女の子が空きっ腹を抱えている、まさにその麦が。竜にしか抜けられない空路を、竜乗りのリンが運ぶからこそ、それは成り立つ。胸の奥が、ざらりと冷えた。あたしは、いつのまにか、この仕組みの片棒を担いでいる。
そのとき、納屋の裏で、鈍い音がした。
商会の用心棒が二人がかりで、ひとりの農夫を殴り倒している。男の腕から、麦の袋がひとつ、転がり出た。隠していたのだ。たぶん、あの子のために。
「やめなって」
考えるより、足が出ていた。一人目の手首をひねり上げ、二人目の鳩尾に肘を入れる。用心棒どもが、砂に膝をつく。
「……竜乗りふぜいが、邪魔しやがって」唾を吐いて、男たちは退いた。けれど、その目は、リンの顔をしっかり覚えた目だった。
「あんた、馬鹿だね」殴られた農夫が、震える声で言う。「商会に逆らったら、ただじゃ済まねえ。あいつら、竜だって平気で狩る連中を、金で飼ってるんだ」
竜を、狩る連中。リンの背筋を、嫌な予感が撫でた。
その予感は、すぐに形になった。
積み込みを終えて飛び立つ間際、リンは見てしまう。村はずれで、商会の使いが、見覚えのある男たちに、革袋いっぱいの金を渡しているのを。銛と、鉤縄。あの竜狩りの一味。とうに竜を手放し、竜を売る側に立った、ガレスの手勢だ。
ガレスは、金を受け取りながら、機嫌よさげに、あの古い歌を口ずさんでいた。竜狩りの銭勘定に、黒翼便の乗り手の歌が、やけにそぐわない。軍御用達の商会と、竜を売る男。手を組む相手が、日ごとに、大きくなっていく。あの男は今、何を、誰に、売ろうとしているのか。
罠は、もう張られている。海辺へこの麦を運べば、金は入る。黒翼便は、ひと月は安泰だ。けれど運ばなければ、商会はリンを――いや、黒翼便ごと、潰しにかかるだろう。
リンは、満載の麦袋を、もう一度見た。それから、納屋の陰の、あの女の子を。
賢いやり方は、わかってる。荷を海へ運んで、金をもらって、忘れる。「運ぶだけ」
いつもみたいに、飲み込めばいい。
「……柄じゃ、ないんだけどさ」
口の端を、不敵に吊り上げる。ヴェルの首を撫で、リンは進路を、海とは逆――村の空へと向けた。追っ手が来る、と知りながら。
飲み込めない夜も、たまには、ある。




