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亡国のドラゴンライダー ~竜が狩られた時代。没落した一族の少女は、危険な荷を運びながら生きていく~  作者: キリーロフロフ


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夜明けの島で

最初に動いたのは、リンではなかった。ヴェルだ。


長い尾が、低く薙ぐ。いちばん前にいた二人が、声もなく宙に浮いて、砂に落ちた。けれど、丘の野盗とは違った。竜を狩るために組まれた連中だ。尾の一薙ぎで怯んだのは、半拍だけ。すぐに左右へ散り、銛と鉤縄が、ひゅっと夜気を裂いて飛ぶ。狙いは、竜の翼。膜さえ縫い止めてしまえば、竜は二度と飛べない。飛べない竜は、ただの、大きな獲物だ。


「ヴェル、翼を畳んで!」


声が届くより早く、一本の鉤が、ヴェルの右の翼膜に食い込んだ。縄が引かれ、竜が、悲鳴のような咆哮を上げる。リンの背筋を、氷の手が撫でた。


考えるより先に、体が動いた。毎晩の素振りも、丘の野盗とのいざこざも、ぜんぶ今夜のためだったみたいに。長靴の筒から短刀を抜き、翼に食い込んだ縄へ走る。横から、銛が突き出される。避けきれない。穂先が、左の二の腕を浅く裂いた。熱い。構わず縄を断ち、ヴェルの翼を解き放つ。きれいじゃない。速いだけだ。誇るものなんて、どこにもない。生き残るために、手が動くだけだ。


数が、多い。一人を崩せば、二人が背後へ回る。砂に足を取られ、肩で息をする。守るものを背に庇った戦いは、こんなにも、苦しい。


そこへ、ガレスが竜具を構えて踏み込んできた。さすがに、他の連中とは違う。かつて空を飛んだ男の太刀筋は重く、リンは二度、三度と受けに回らされ、ついに片膝を突いた。喉元に、鉤の切っ先が伸びる。


「……『帰りの風は、吹かなくても』」鉤を構えたまま、ガレスは、また、あの歌を口ずさんだ。「よく躱す。躱し方まで、あいつにそっくりだ」声は、羨望とも、憎しみともつかない、澱んだ色。「お前の親父も、そうやって、生まれつき竜と一つみてえに飛びやがった。おれは血反吐を吐いて、それでも届かなかった。……歌が、聞こえなくなっちまったよ」


鉤の切っ先が、リンの喉のすぐ手前で止まる。突くには、じゅうぶんすぎる間合い。だが、ガレスは突かなかった。「今日は、死なせやしねえよ。お前は……竜みてえに、安くはねえんだからな」


リンは答えない代わりに、口の端だけで笑った。そして、背後のヴェルへ、短く口笛を鳴らす。


竜が、解き放たれた翼を、力いっぱい打ち下ろした。突風。砂と小石が礫になって、男たちを叩く。たたらを踏んだガレスの手首を、リンは下から薄く裂いた。血ではなく、竜を縛るための革帯が裂け、鉤縄がぱらりと砂に落ちる。


「……腕は、鈍ってない」息を切らしながら、リンは言った。「あんたが、鈍った」


ガレスは、しばらく自分の空いた手を見ていた。それから、低く笑って、退いた。「……次は、こうはいかねえぞ」


影たちが、潮の引くように闇へ散っていく。


静けさが戻る。リンの手は、震えていた。今ごろになって、腕の傷が痛みだす。ヴェルの翼膜にも、縄の食い込んだ裂け目。あとでノエルに、また叱られる。人を打つ感触は、何度繰り返しても馴染まない。馴染んでたまるか、とも思う。込み上げるものを、いつものように飲み込んで――それでも今夜は、守りきった。傷だらけで、かっこ悪く、それでも。その一点だけを、噛みしめた。


産婆を、竜の陰から助け起こす。「行きましょう。夜明けまで、もう間がない」


谷あいの小屋に、灯りがひとつ。中から、女のくぐもった呻きが漏れていた。逆子だ、と産婆は短く言って、袖をまくり、湯を沸かせと叫び、もう振り返らなかった。リンにできることは、戸の外で待つことだけ。ヴェルの首に背を預け、東の空が、藍から灰へ、灰から薄い金へと変わっていくのを、ただ見ていた。


長い、長い夜だった。


そして、空が縁から白んだ、その瞬間。


小屋の中から、泣き声が上がった。小さくて、力いっぱいの、初めての声。


リンは、息を呑んだ。いつかの夜、丘の村に灯っていた小さな明かり。あれが何と引き換えに灯るのか、リンはもう知っている。知っていて、夜が眠れなくなる側の人間だ。けれど今、目の前で灯ったこの命だけは――誰の犠牲の上にもない。ただ、生まれてきた。それだけだった。


戸が開いて、汗だくの産婆が顔を出す。「母子とも、無事よ」


そして、血と湯で濡れた両手で、リンの手を、強く握った。引っ込めない。汚れ物に触れたように指を引いたりしない。


「ありがとう。あなたが運んでくれたから」


命を運んでも、礼はいつも影でしか受け取れなかった。差し出した指は、いつも引っ込められた。なのに今朝は、まっすぐに握られている。リンは、何か言おうとして、できなかった。代わりに、ひとつ、うなずいた。


帰り際。産婆が、朝日の中で振り返った。


「ねえ。もし軍が、あなたたちを呼んでも――行かないで」声が、ふと低くなる。「あの島にも、竜乗りがいたの。みんな、軍に呼ばれて、空へ昇って、誰も帰ってこなかった。あたしは、送り出すばっかりだった」


なぜ、と問う間もなく、産婆は子どもの待つ小屋へ戻っていく。


竜が、朝の海を蹴って昇る。背に、もう客はいない。それでもリンの胸は、いつもの帰り道より、ずっと軽かった。今夜は、運ぶだけじゃなかった。救えた。この手で、確かに。


ただ――胸に、小さな棘が残る。


竜を売る側に落ちた、ガレスの澱んだ目。去り際まで口ずさんでいた、父と同じ古い歌。かつて空を教えてくれた男の、あの変わりよう。それが、妙に、後を引いた。


もうひとつ、産婆の言葉。「送り出すばっかりだった」と言ったあの人は、いったい、何を見てきたのだろう。


西の空の砲火は、今朝も遠い。けれど戦は、人の口を伝って、また一歩、こちらへ近づいていた。


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