第二話 その席は僕のものなのに
大量のドレスを馬車に乗せ、僕はフォンテーヌ男爵家の敷地へ向かった。
男爵家の使用人達が慌ただしく動く中、僕は庭園のテーブルに案内された。使用人が淹れた紅茶を飲みながら、シャルロットが来るのを待った。
「ご……ご機嫌よう」
怪訝そうな顔で挨拶したのは、シャルロットだった。黄緑色のドレスに身を包んだ彼女は、今日もとても可愛らしい。
「やあ、シャル。今日は僕から会いに来たよ。さあ、座って」
「え、ええ」
僕は、シャルの背後に仕える少年を一瞥する。色素の薄い雪のような白銀。淡い琥珀色の瞳が怯えたように揺れている。僕はギリ、と奥歯を噛み締め、目を逸らした。シャルはぎこちない様子で紅茶のカップに口付けた。
「フォンテーヌ男爵家の庭園はいつも素晴らしいね。君の好きなネモフィラが今年も綺麗に咲き誇っている」
「ええ……我が男爵家自慢の庭園、ですわ」
「この紅茶、以前君が好きだと言っていた南方の茶葉だね。とてもいい香りだ。……そういえば、先日贈った王都で流行りの焼き菓子は口に合ったかな? 君の好きな木苺のジャムが使われていたと思うのだけれど」
「……ええ、まあ。とても美味しかったですわ」
相槌こそ打ってくれるものの、シャルの視線は僕を捉えていなかった。彼女は時折、僕ではなく、自身の背後に控えているあの少年へとチラチラと目を向けている。僕との会話よりも、彼が退屈していないか、日差しを眩しがっていないか、そんなことばかりが気になって仕方がないようだった。
「シャル。今度、王都の劇場で新しい喜劇が始まるんだ。もしよかったら――」
「ええ、機会がありましたら」
僕が必死に紡ぎ出す言葉は、ことごとく空を切る。素っ気ない返答ばかりで、僕たちの間には見えない分厚い壁が存在するかのようだった。
これ以上、無意味な世間話で距離を測ろうとするのは惨めなだけだ。だから僕は、核心を突く本題に入ることにした。
「シャルはさ、もう僕にドレスを着せたりしてくれないの?」
縋るような思いでそう尋ねた。あれは恥ずかしかったけれど、君の嬉しそうな笑顔が見られるから好きだったのに。
髪も結ってよ。君のために伸ばしているんだから。
けれど、シャルロットは水色の瞳を無慈悲に細めて言った。
「貴方にはもう似合いませんもの」
冷水を浴びせられたような衝撃だった。
いや、頭では分かっていたことだったはずだ。けれど認めたくなかった。
「フィン。いらっしゃい」
彼女は背後を振り向き、少年の名前を呼ぶ。儚い印象を持つ少年だ。執事服の形こそしているものの、大きなリボンやフリルで過剰に装飾されたそれを着せられ、恥ずかしそうに身を縮めている。
「見て、テオ。彼、とっても可愛いでしょ? 私の新しいお人形なの」
シャルロットは昔、僕に向けていたものと同じ、無邪気な笑顔でフィンの白銀の髪を撫でた。僕の髪には、もう何ヶ月も触れていないのに。
その席は。恥ずかしい服を着て、君のわがままを聞いて、君の隣で笑いかけてもらえるその席は。……僕の席だったのに。
視界の端で、フィンが怯えたように僕を見た。ああ、そうだ。お前は怯えて、震えていろ。
どす黒い感情が、腹の底でぐつぐつと煮え滾るのを感じながら、僕は口角を引き上げて完璧な貴族の微笑みを作った。
「ええ、とても……可愛らしいですね、シャル」
腹の底で渦巻く泥のような嫉妬を完璧な微笑みで隠し、僕はシャルロットの隣に立つ新しい『お気に入り』を上から下までじっとりと見つめた。
怯えたように白銀の髪を揺らすフィンという少年は、確かに昔の僕のように線が細く、彼女の好むフリルやリボンがよく似合っていた。
けれど、僕は諦めきれなかった。彼女のために伸ばし続けた、この艶やかな黒髪を見れば、また昔のように嬉しそうに触れてくれるのではないかと、淡い期待を抱いてしまう。僕はゆっくりと上体を倒して彼女と距離を縮め、唇に甘い笑みを乗せて囁いた。
「ねえ、シャル。ドレスは僕に似合わなくなってしまったけれど、着飾ることはできるよ。髪だって、君のために綺麗に手入れしたんだ。どうかな?」
そう言って、一つに結んだ長い黒髪をそっと肩に流す。昔なら、彼女は目を輝かせて「新しいリボンを試しましょう」と僕の髪を梳いてくれたはずだ。
どうか、もう一度僕を見て。僕に触れて。
しかし、彼女の透き通るような水色の瞳は、僕の期待を無残に打ち砕いた。
「……だって」
彼女は少し困ったように眉を下げ、残酷な事実を口にした。
「貴方はもう、可愛くないもの」
広くなった肩幅も、高くなった身長も、低くなった声も。今の僕を構成するすべてが、彼女の『お気に入り』の条件から外れている。その言葉は、鋭い刃となって僕の心臓を深々とえぐった。
……ああ、そうか。
僕がどれだけ君を愛していても、君が愛しているのは『可愛いお人形』だけなんだね。僕自身を見てくれていたわけじゃなかった。
ふつふつと、絶望が別の形へ変質していくのを感じた。甘い依存が剥がれ落ち、代わりに底知れない独占欲が顔を出す。
「そうか。……残念だよ」
僕は微笑みを崩さないまま、ゆっくりと手を伸ばした。そして、彼女の美しい桃色のツインテールの毛先を指に絡め、恭しく口付けを落とす。
「ひゃっ……?!」
突然の行動に、シャルロットが驚いて肩を跳ねさせた。僕はそのまま彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、甘く、けれど逃げ場を塞ぐような低い声で囁いた。
「ならば――僕が君を『可愛いお人形』にしてもいいかな?」
「え……?」
シャルロットの水色の瞳が、困惑に揺れる。
今まで『可愛いテオ』として彼女の言いなりになっていた僕から、本来の公爵令息としての、そして大人の男としての圧を感じ取ったのだろう。
「こ、困りますわ、テオ。私はお人形が欲しいのであって、お人形になりたいわけではありませんのよ……?」
彼女は席を立ち距離を取ろうとしたが、僕は彼女の手首を掴み、逃がさなかった。
「君はとても可愛いよ、シャル。世界中の誰よりも」
僕は彼女の耳元に唇を寄せ、甘く囁く。
「君が僕を着飾ってくれないのなら、今度は僕が君を世界で一番可愛いお人形にしてあげる」
「っ、や……!」
「今日は、シャルに似合うドレスをたくさん買ってきたんだ。さあ、君の部屋に行こうか」
僕は振り向き、フィンを睨んだ。
「ああ、君は来なくていいから。休んでいるといい」
「は、はいっ……!」
『お人形』の情けない返事を聞き、僕はシャルに甘く笑いかる。
「君の部屋に行くのは久々だね。楽しみだなあ」
僕はシャルの手首を掴んだまま、歩き出す。
「ちょ、て、テオ!」
抵抗しようと、シャルは腕を引っ張る。けれど力は驚くほど弱くて。あまりの可愛さに、思わず笑みがこぼれた。
つづく




