第15話 お風呂はあぶなかったが、ベッドも危ない
肩にかけたローブの下から、脱いだシャツをぽとりと落としたのが見えた。濡れているのだから、そうなるよな。
「よし、背中拭きメンテナンスを開始する……!」
と声をかけたその時、愛はまだもぞもぞと動いていた。ローブの下から、またぽとりと落とした。今度はスカートだった。
「こ、これは」
これは現在の彼女のセキュリティ状況は、俺が後ろから掛けたバスローブ「たった一枚」ということか……?
【カイトの脳内ログ:致命的なセキュリティホール】
※【即死警告】ゲストユーザー「愛」の全データがコアファイルのみになりました。現在の遮蔽オブジェクトはバスローブ一枚です。万が一、ローブの前がはだけた場合、理性の壁は一撃で消滅します。
(待て待て待て! 落ち着け俺! いったん落ち着いて、現在の物理環境と変数の仕様を再確認しよう!)
今、俺の目の前にあるのは、ベッドの上でふにゃふにゃと力なく座り、俺に背中を向けた状態の愛だ。 そして彼女の華奢な身体を覆っているのは、俺が後ろからバサッと掛けただけの、フカフカの大人用バスローブ。
彼女はまだ袖に腕を通していない。つまり、前合わせの帯も結ばれていない。
ただ「上から羽織っているだけ」の、摩擦係数だけで辛うじて静止している布切れ。 それが今の彼女の世界のすべてであり、唯一のファイアウォールだった。
もちろん、この異世界特有のバグじみた共通仕様──『下着という概念が未実装』という事実を、俺の脳内CPUが忘れるはずもなかった。
ということは、だ。 シャツもスカートも床にパージされた今、あのローブの布の向こう側は、文字通り「完全な無」なのだ。
「……アクセス、許可……します……カイトさん、背中、ふいて……?」
深夜である。疲れもあって、愛はトロンとした声でそう言う。
アクセスを許可された。バックエンドへの侵入権限は得た。 だが、問題はその実行手順だ。
俺の手は宙に浮いて固まっている。
(どうやって拭く!? どうやってこのバスタオルを差し込めば、ノーエラーで背中を拭き上げられるんだ!?)
俺は両手に大判のバスタオルを構えたまま、彫刻のように凝固した。 脳内スーパーコンピュータが「拭き取りルート」のシミュレーションを爆速で開始する。
【ルート案A:ローブを部分的に『捲り上げる』プロトコル】
まず、愛の背中を覆っているバスローブの裾を、下からグッと持ち上げてバスタオルを滑り込ませる方法だ。
一見、最も安全に思える。だが待て。
愛は今、ベッドの上にちょこんと座っているんだぞ?
ローブの裾を捲り上げるということは、すなわち、背中だけではなく、きゅっと締まった細いウエストも見える。そして、そこからカーブを描き、丸みのある部分に到達する。つまりその下にある「お尻の境界線」までがダイレクトに露出することを意味する。 境界線を越すかもしれない。いやそれは考えるのはちょっと置いておこう。
それに、よほど気をつけなければ肩からずるりと滑り落ちる危険性が跳ね上がる。 そうなれば、愛は完全に「生まれたままの姿」でベッドの上に全データを開示することになる。
【ルート案B:ローブを上から部分的に『引き下げる』プロトコル】
じゃあ逆に、肩に掛かっているバスローブの襟元を、ほんの少しだけ後ろにズラして、背中の上部からタオルを差し込むのはどうだ?
いや、これも致命的なバグを内蔵している。 何度も言うが、このバスローブは前が結ばれていない。ただ肩に乗っかっているだけだ。
襟元を後ろに引っ張れば、重力の法則に従って、バスローブ全体が「ずるん」と背中側へ滑り落ちてしまう。 そうなれば、愛は完全に「生まれたままの姿」でベッドの上に全データを開示することになる。
はっ、おかしい。
どちらも却下だ。
なぜなら、どちらにしても、視覚トラフィックの過負荷で、俺の脳内グラフィックボードが物理的に爆発して死ぬ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……!
脳内コンソールが「警告:メモリ不足」のポップアップを大量に吐き出し始める。
どのルートを選んでも、一歩間違えれば「愛の滑らかな生肌」が全レンダリングされてしまう破滅的な未来しか見えない。
想像の中で、捲り上げた時の曲線美や、滑り落ちた時の圧倒的な純白のグラフィックが勝手に脳内で自動生成され、俺の鼻腔の毛細血管が限界を迎えそうになる。
(落ち着け! クリーンな思考を取り戻せ! 濡れた体を乾かし、温めることが目的なんだ。そもそも俺だって、さっき自分の濡れた服を全部脱ぎ捨てて、今はバスローブ一丁なんだぞ!?)
そう、俺の現在の装備もまた、愛と全く同じ「バスローブ一枚」だ。 タオル生地が素肌に触れる、あの独特の、どこか心許なくてスースーする開放感。
身を動かすたびに、内側の空気が肌を撫でる、あの「守るものが何もない」心許ないプライベート感。
それを、今、この至近距離にいる可愛い女の子も、全く同じ状態で共有しているのだ。 布一枚隔てた向こう側は、俺と同じ、無防備の極み。
そう自覚した瞬間、部屋の空気が一気に十数度ほど跳ね上がったような錯覚に陥った。




