第67話 根切
こうして伊賀衆は地形を活かして巧みに攻撃を続けて蒲生、脇坂両軍に流血を強いたものの、所詮は寡兵であることは明白であった。
蒲生賦秀、脇坂安治はあえて冷徹に徹して自軍のわずかな犠牲は気にせず、鋼鉄の大蛇の如く進みゆっくりと、だが着実に伊賀の森を侵食していく。
幾ら犠牲を払おうとも敵軍の侵攻を食い止めることが出来ないと悟った伊賀忍びの軍勢は撤退し、籠城することにしたようである。
「あの城は友田雨請山城と申します」
織田に内通を申し出た福地伊予守宗隆の配下で玉滝口攻めの道案内を務める忍びが蒲生氏郷と脇坂安治に言った。
城とは言っても建物は供わない土を固めて造った軍事施設である。
ヨーロッパの城や安土城というこの地上で最も壮麗にして美の極致を尽くした城を目にした勝成の眼には余りにも惨めな代物に見えた。
「銃火を浴びせよ!」
蒲生賦秀、脇坂安治がそれぞれ鉄砲隊に命令を下す。
あのような惨めな城とは呼べぬ施設に籠る敵に憐れみと失笑を禁じえなかった勝成は気を引き締めた。
(俺がこの手で鍛え上げた鉄砲部隊の凄さを見よ!)
犬飼権八郎以下、五十名の鉄砲足軽が厳しい訓練を経て得た見事な手際でいつでも発砲出来る状態を整えた。
そして主将の合図を待つ。その表情には最早勝成を得体の知れない南蛮人と軽侮する色は微塵も無い。
主と仰ぎ、死線を共にする覚悟が完全に定まっているようである。
満足げに微笑した勝成であったが、すぐに気を引き締め、秋霜の如き厳しい気を相貌に表しながら号令した。
「撃て!」
その発砲までの速さといい、狙撃の精密さといい、他の鉄砲足軽部隊を上回っていたのは明らかであった。
鉛玉の雨が山城に着弾した瞬間、悲痛な叫び声が上がった。
その声の持ち主は先程少数ながら見事な手並みで蒲生、脇坂の兵に流血を強いた忍びの者達の物では無いのは明らかであった。
(女子供も籠っているのか……)
勝成は山城の中に銃火の轟音に怯える女子供の姿を脳裏に思い描いてしまい、心と体が凍り付いてしまった。
しかし、これまでノブナガの天下布武の為に百戦を戦い抜いた織田麾下の武士共はこれしきで怯んだりはしなかった。
何せ彼らはこれまで散々一向一揆と戦って来たのだから。
彼らの多くは武士ではない農民であり、女子供や老人までもが多くいたのである。
彼らは「進まば往生極楽、退かば無間地獄」という強烈無比な宗教的信念で心を染め上げ、死というものを全く恐れない恐るべき狂戦士たちであった。
「南無阿弥陀仏!」
「仏敵滅ぶべし!」
「「極楽往生疑いなし!」
などと叫びながら悪鬼羅刹が如き表情を浮かべ粗末な武器を振り回し、矢玉を受けて死に至る時には極楽に行けることを確信して至福の表情を浮かべる。
そのような者達を何万人と屠らねばならなかったのである。
もはや織田麾下の武士達の心の一部は完全に凍り付いてしまっていたのだろう。
山城に籠る寡兵、彼らの家族である女子供、老人に対して憐れみの感情を抱き、攻撃の手を緩めるようなことは微塵も無かった。
伊賀の山中に立て続けに雷が落ちたかと疑われる程の轟音が鳴り響いた。
各鉄砲部隊が無言の連携で間断なく山城に銃火を浴びせ続ける。
これで完全に籠城側の心胆を押しつぶし、戦う気力を失わせたと確信した蒲生賦秀、脇坂安治両将は突撃を命じた。
「斬りこめ!」
太刀と槍を構えた武士共が雄々しい雄たけびを上げながら山城に突入していく。
伊賀忍び達は銃や弓矢で迎え撃つが、その数は少なく、勝利を確信した武士共の突撃の勢いを削ぐことは叶わなかった。
忍び達は抜刀しながら現れた。最早状況はどうにもならないことを覚悟したのだろう。
その表情は悲壮を極めていた。だがひとりでも多く織田方の者共を道ずれにせんと手負いの獣のような猛気と殺意に五体を満たしていた。
たちまち凄まじい怒涛の叫びと刃と刃がぶつかる音が伊賀の山中に鳴り響き、竹林を震わせる。
だがやはり数の差は如何ともしがたく、また不意打や奇襲を得意とする忍びは、正面からの斬り合いでは手練れの武士に全く及ばなかった。
たちまち斬り倒され、友田雨請山城に籠っていた忍びは全滅したようである。
血に酔い、戦いの狂気に支配された武士共は忍びを皆殺しにしただけでは飽き足らず、そのまま山城に突入していった。
悲鳴と断末魔の叫び声が上がる。山城の中で何が行われているのかは明白であった。
「……」
勝成は配下の鉄砲足軽にいつでも発砲出来るよう待機させながら、彼らの哀れな魂が天に召されることをデウスに祈った。
虐殺を行う味方の武士を非難することも憎悪することも出来ない。
これが戦場の習いであることは聖ヨハネ騎士団として戦い、その後傭兵となった時に思い知らされたからである。
敵と命掛けで戦い、勝利した後は興奮と高揚感で満たされ、狂気に魅入られて倫理観や自制心というものが全く働かなくなる。
それは唯一絶対のデウスによって駆逐されたはずの異教の戦いの神マルスやトール、あるいは武士達が崇めるというハチマンボサツやマリシテンなどという神が未だ戦場に現れ、戦士達の魂を支配するからだろうか。
その忌まわしき神々は抗う術の無い女子供老人の命を奪い、血を浴びねば戦士達の魂を解放しないのだろう。
それが人間の、戦士の宿命であった。そこには騎士も傭兵も武士も全く違いが無い。
(やはりデウスの威光によって遍くこの地上を覆い、異教を滅ぼし尽くしてカトリックの教えによって全ての人々の魂を救済せねばこの宿命から逃れることは出来ないのではないか)
勝成はそう思った。
悲鳴が止んだ。山城に籠っていた全ての命が散ってしまったのだろう。
やがて火が上がり、友田雨請山城とそこに残された死体を燃やしていく。
根切を完了させた武士達が引き揚げて来た。
だがそこには勝利を誇る色は無い。根切りにせよという厳命を受けており、また血に酔い狂気に支配され喜々として命令を実行した。
だが戦いの神の恐るべき力による狂気から解放されると、やはり残るのは弱く哀れな者共の命を奪ってしまった罪の意識と後悔、やるせなさであったのだろう。




