第66話 戦端
「しかと承った」
五右衛門は丹波に向かって深々と頭を垂れた。
「さて、他に落ち延びるべき上忍は……」
「御言葉であるが、丹波殿」
上忍の一人が百地丹波の言葉を遮った。
「五右衛門が落ち延びることが決まっておるなら、後はそれぞれが決めればよいのではないか?最後まで戦い抜くか、もうこれで充分、これ以上は戦えぬとなってから降伏し、落ち延びるか……。これが最後の戦いなのだ。頭目である丹波殿には済まぬが、せめて己の行く末は己で決めたい」
「成程、これは最もであるな」
己の決定に従わぬ配下に気を悪くした様子はないどころか、心地良げに丹波は言った。
「それでよい。皆己の始末は己で決めてくれてよいぞ。儂も今この時をもって頭目の座から降りさせてもらおう。一人の忍びとして好きなように殺らせてもらおうとするかの」
「ちっ。それでは最後に一人だけ頭目の命に縛られるのは俺だけではないか。不公平だろ、こんなの」
五右衛門が不満げに言った。
「まあ、そう言うな。お前は身を隠しながらゆっくり見物しておれ。わし等と織田の者共の凄惨な殺し合いをな」
「そう言うのであれば、伊賀の地にこの世の地獄に等しい光景を現出してくだされや、丹波殿に皆の衆。この五右衛門が伊賀の者達の恨み、織田家への、天下人への憎しみを生涯において決して忘れることが出来ぬ程の、もの凄まじい戦を。悪鬼の如き抵抗の様を……」
薄笑いを浮かべて悪態をついてばかりのはずの五右衛門がこれまで誰も見たことのない真剣な表情で言った。
それに応えて、丹波以下全ての上忍達も居ずまいを正した。
「心得た。しかと見届けよ。わし等が悪鬼羅刹となって織田の者共の喉笛に食いつき、奴らごと地獄の炎で焼かれて行く様をな」
天正9年9月3日、北畠三介こと織田信雄率いる織田軍の精鋭は六つに分かれ、伊賀に侵攻を始めた。
伊勢地口から信雄、津田信澄、柘植口から丹羽長秀、滝川一益、笠間口から筒井順慶、初瀬口より浅野長政と多羅尾口より堀秀政、多羅尾弘光が鉄と炎の津波となって伊賀の山を飲み込まんと襲い掛かる。
蒲生忠三郎賦秀が担当するのは玉滝口である。
「焼き払え!容赦すな!」
蒲生忠三郎が猛々しく吠えるように命令を下す。秀麗な顔に不気味な造形の銀鯰尾兜を被り、大将でありながら自身が率先して炎を放つその姿は、勝成には地獄の大公の如く思えた。
「焼け、焼け!殺せ!僧侶や女子供も斬り捨てい!根切にせよ!」
蒲生忠三郎と共に玉滝口攻めを担当する将である脇坂安治が神経質そうな顔貌に凶暴な殺意を満たしながら怒号する。
「!」
勝成は怒りを込めて脇坂を見る。そして我が主君が細面で目が細い狐のような顔の将の暴走を止めてくれることを期待した。
しかし賦秀は同年代の同僚を嗜めようとはしなかった。
「汚らわしい伊賀の地を尽く焦土にし、そこに住まう者共は皆殺しにするのだ。それが御大将の御意思ぞ!」
(そうか、かつて痛い眼に合わされた北畠三介はただ伊賀を征服するだけでは気が済まぬという訳だな。復讐心を満たす為に女子供まで殺さねばならないと……」
そしてそれは三介の父であるノブナガの意志なのだろう。天下布武の為には一度でも織田の軍旗に泥をつけた者には容赦のない制裁を加えねばならない。
そしてシノビという異能の者の数は出来るだけ減らさねばならないと考えているのではないだろうか。
シノビは滝川一益配下の甲賀忍びだけで充分。それ以外の特に伊賀忍びはこれからも織田の対抗勢力について天下布武の完遂を邪魔するだけの存在でしかない。
そうである以上、今この時をもって完全に息の根を止めてしまおうとノブナガは考えているのだろう。
蒲生忠三郎賦秀も主君であり岳父でもあるノブナガの意志は充分に伝わっているに違いない。
(今はまだ仕方がない。ノブナガの好き放題にさせるしか。だが、いずれ必ずその残虐な行いに報いを与えてやるぞ……)
勝成は己の心を鎮め、いつでも発砲できるよう銃口と火皿に火薬を込め、火蓋を閉じた。
「来た!」
勝成の鼻孔を己の物とは別の火薬の臭いがつく。それと同時に一斉に銃弾が玉滝口に殺到する蒲生、脇坂両軍の武士に浴びせられた。
「ひるむな!撃ち返せ!」
蒲生忠三郎の気迫に満ちた烈々たる声が玉滝口の湿った空気を切り裂く。
その声に一瞬にして武魂が燃え上がり、最高潮に達した勝成が伊賀忍びに銃弾を見舞おうと構える。
だが、火縄銃の名手である忍びは敵に銃弾を浴びせた後、気配も姿も煙の如く消え失せ、目視叶わなかった。
(何たること!敵を殺傷しながら一瞬にして殺気すらも一切残さず消え失せるとは。これがシノビか!」
未知なる敵に戦慄と興奮を覚え、武者震いを覚えた勝成であったが、その他の蒲生武士、それに脇坂武士は忍びの戦法は当然承知している。
恐れることも怯むこともなく、刀槍を構え、殺意を満たしながら進軍を続ける。
すると彼らの頭上から餌に群がる猿のように忍び達が舞い降り、得物を振りかざし、斬りかかって来た。
技量拙い武士の幾人かは全く防ぐことも抵抗することも出来ず、喉笛を切り裂かれ、えぐられて己が鮮血もて伊賀の大地を赤く染め上げる。
だが忍びの奇襲を予感していた技量優れた熟練の武士は太刀を振るって忍びを見事斬り倒した。
僅か一瞬の攻防で敵味方の数十人の命が失われたようである。
「!」
己の首筋に刃が迫ることを辛うじて察知した勝成は、腰間の太刀を抜くことが出来ず、愛用の火縄銃の銃身を盾にすることで辛うじて防ぐことが出来た。
己の命を狙った敵と目が合った勝成は憤激し、火縄銃を打撃武器に変えて頭蓋を叩き割らんと剛力を込めて振り下ろした。
だが敵は忍びの体術を用いて胡蝶の如く軽やかに身を翻して、死の抱擁からいともたやすく逃れた。
黒い頭巾からわずかに表れた黒い瞳が大きく開かれる。日本の武士としてはあまりに異色の赤髪緑瞳の人間に思わず驚愕してしまったのだろう。
勝成は会心の笑みを浮かべ、そっと火縄銃を置き、腰間の太刀に手を掛けた。
(シノビの武勇、見せてもらおうか)
有岡城の戦い、荒木村重麾下の面頬で顔面を覆った黒糸縅の甲冑の武者以来の心躍る一騎打ちになるだろう。
そう期待した勝成であったが、見事に裏切られた。
シノビは一騎打ちを望む異相の武士を嘲る色を瞳に煌めかせ、一瞬にしてその場から消え去ったのである。
「!おのれ、愚弄するか!」
頭に血が上り、我を忘れそうになった勝成であったが、すぐに冷静さを取り戻した。
(いや、敵はサムライではない。堂々たる戦いになど興味がないのだ。己の目的に固執することなく、失敗したと判断したら一切心動かさずすぐにその場から立ち去る。それがシノビ。余りに異質の存在。それ故サムライよりもはるかに厄介で恐ろしい相手かも知れん)




