32.「木曜日」
事後の木曜日――
『佳く、責務を果たしてくれた』
出仕した大聖堂で、私は教の上層部「諸教父」と呼ばれる高僧達が居並ぶ席に招聘された。
レアード邸で起った事件での活躍を、表彰されての事だった。
「当然の事をしたまでです」
胸の前で手を握り合わせ、戒律に則って跪く。
結局の所、私は上層部に与えられた責務をまっとうした。
不正術士の捕縛に動いていた監察神官のうち、城西地区の十数名だけを呼び戻して、マンフレッド・レアード邸の近隣住民の避難誘導を行なった。
避難を済んだ人たちを半数で保護し、残りの半数で周辺の幹道を封鎖、駆けつける魔導士の動線確保に務めた。
監察神官の長として、与えられた任務を遂行した。
職務に忠実だったと言ってしまえばそれまでのことで、
同期の僧侶ケイン・ルースを逆賊にしたて上げるために一役買った――
教にとって都合のいい、「戒律の番人」となったと自虐することも出来る。
『なんとも、痛ましいことであったのう』
白眉白髪、顎髭をしごきながら、長老然とした教父がもごもごと口を動かした。
旧結界の維持する方向で教を取りまとめていた、保守派の首魁と言える高僧だ。
『目をかけた冒険者に裏切られるとは、議会の参議殿も不運ですね』
未だ若年の見た目を誇る、年齢不肖の教父がもったりとした老人の調子で相槌を打った。
保守派首魁と向かい合う様に座った彼は、革新派の中心自分物だ。
「……」
居並ぶ教父らの中で、私は跪いて拝礼をし続けた。
一同の魔力は清涼で、透明な空気のように澄んでいる。
誰も彼もが落ち着き払い、場の空気を揺らす者は一人として居ない。
例えるなら私は空気の中に佇む水で、どんなに魔力を安定させても、自己を完全に滅した教父の中では浮いた存在になってしまう。
ただ一人、身も心も裸で立たされているような気にさせられてしまう。
人間の集まる会議の席とは思えない――
『此度の件で、新結界の構築案は揺るがぬものとなった』
保守派の長老が昔語りでもするかのように朗々と言葉を口にした。
『大聖堂の英雄の活躍あればこそ。これも光の女神のお導きでしょう』
革新派の若年寄りが柔和に笑む。
保守派は旧結界の解体を余儀なくされ、しかし革新派は保守派の家系であるアリオスの功績によって主権奪取とも行かず、双方のいがみ合いは未だ決着を見ていない。
『しかし流石はレアード卿、緊急の事態にあっても、対応振りに卒がない』
若年寄りがまた笑んだ。
『破門にある身とは言え、ケイン・ルースは光の女神の教えを体に通したもの。我らも兄弟姉妹達の戒律には、一層厳しくあらねばなるまいなあ』
保守派の長老がまるで人ごとの様に呟いた。
「戒律」という単語で、諸教父の視線すべてが私に向いた。
「……」
私は握り合わせた手が震えてしまわないように、務めて冷静に魔力と吐息を維持し続けた。
信じられない想いで一杯だった。
上層部の殆ど――あるいは全員が、レアード卿と大聖堂との連携を知っている筈だ。
ウィルが入手した密書から、レアード卿に対するフラガラック支援依頼は保守派革新派合意の上でのことだと分かっている。
保守派革新派の持ちつ持たれつは、私が思うより遥かに根深かった。
それを諸教父一同は、おくびにも出さず「不測の事態であった」と振舞って見せている。
対立など存在せず、ケインが逆賊だという嘘が真実であるかのように――
私は空恐ろしかった。
賢者の域に達した諸教父の魔力がいかにも普遍的で、あの日確かに身に刻んだ断腸の思いや、体験した記憶までもが薄れ行く。
空気にさらされ続けた水が、命じられるわけでもなく自然と気化してしまうように――
強大な力を持った者が、格下の者を取り囲んで改心に追い込む法――これは教における、賢者の域に達した者たちがする人の心を操作する常套手段だ。
ケインが逆賊だなんて、そんな嘘を認めるもんか――
私は必死に自分の中にある意志を保って、諸教父が作り出す魔力の空気に抵抗した。
いがみ合いながらもフラガラック事案の取り扱いで意見が一致しているこの場において、私だけが一人意見を違えている。
明瞭な空気の中で、気化することなく水であろうとし続けるのは、自分の心をさらけ出して異を叫ぶのと同じことだ。
『大聖堂の戒律を守りし兄妹よ』
空気の中、保守派の長老がほんの僅かに魔力を発揮した。
『後の事は追って指示を出す』
指示――
反射的に嫌悪感と抵抗感を覚えるその言葉に、長老の魔力が乗っていた。
『暫くは難儀な事が続くでしょうが、よしなに』
よしなに――
革新派の若年寄りもまた、労うような白々しい言葉に魔力を乗せていた。
「……ッ」
ひたすら鏡面のように整えていた心に、教父らの投げかけた一石が波紋を波立たせる。
喜怒哀楽など判別出来ない感情の揺れが、頭の中に様々な記憶情報を溢れ出させた。
城西ですれ違った見知らぬ女性、
ラブリッサ商会のこれから、
サフィアの今後の処遇、
ケインの名の扱い、
妻女の未来、
あと――
無心でいようとすればすれほど、私の思考は煩悩の奥底へと降って行った。
それから――
跳ねた心の雫が最後の最後に象ったのは、保守派にも、革新派にも、結界の事にも都のこれからにも全く関係がない事柄だった。
レヴィ――
「……ッ」
居並ぶ教父らの魔力はやはり空気の様に透き通っていて、数多くの目が無感動にこちらを観察している。
私は必死に祈りを捧げる礼拝の姿勢を保った。
緊張感が極まって平衡感覚すら危うい。
『ふむ』
保守派の長老が、眉をひくりと動かして白い顎鬚をしごいた。
『話はそれだけです』
革新派の若年寄りが薄く笑む。
『今後とも励むが良い』
長老が言ったその言葉で、私の心の揺れはピタリとおさまった。
「も、物体なきお言葉――」
私は辛うじてそう答えた。
「み、皆様方も……どうか、ご自愛のほどを……」
祈りの姿勢を深めておいて、私は静かにその場を辞した。
廊下に出て、ゆっくりと廊下を歩き、角を曲がった先――
誰もいない廊下で足を止め、私は壁にもたれかかった。
「……」
どっと汗が吹き出している。
数分にも満たない間、何でも無い言葉をいくつか与えられただけのことなのに。
これのどこが表彰だ――
私は壁をずり落ちながら額に手を当てた。
諸教父の会話の内容や言葉についてのことじゃない。
何一つ激しい発言をしたわけでもないのに、幾百幾千の問答を交わしたかのような高揚感と疲労感が押し寄せている。
「覚悟はしてたんだけどなー……」
私は床に座り込みながら苦笑した。
さっきのは間違いなく、心理操作を伴う尋問だった。
心の隅々まで把握された――
「……」
ケインの件に近づくなと言われながらも、私はレアード邸付近にたどり着き、現場の維持に務めた。
私の思惑を阻む諸教父の命に従った。
警戒されて当然じゃないか――
それはつまり、彼らのかけた「保険」に引っかかったと言うことだ。
私は、諸教父の最終ストッパーまで辿り着いてしまったのだ。
――佳く、責務を果たしてくれた
耳に残った労いの言葉。
――よく、せきむをはたしてくれた
頭の中に響き続けるその言葉。
――ヨク、セキムヲハタシテクレタ
意味を理解し、飲み込むことがいつまでも出来ない。
「……」
こうならないように努力をしてきたつもりだった。
こんな結末にならないために、手を尽くしてきたつもりだった。
本当かな――
頭をよぎる疑問、
本当にそうなのかな――
私の「出来る限り」はこんな程度だったのだろうか。
ケインを救いたかったのなら、後先考えずに飛び出したって良かった。
命、身分、保身の事など考えず、現場に飛び込むべきだったんじゃないのか。
それで一体どうなっていたと言うの――?
冷たい考察が、感情的予測結果のそれぞれを一蹴する。
万に一つがあったかもしれないじゃないか――
一致することのない感情と理屈、
私は戒律の番人なのよ――?
兄弟を見殺しにするのが、戒律か――
繰り返される、自問自答。
「……」
私は力なく立ち上がって、大聖堂の廊下を歩き出した。
大聖堂監察の管理部など気づかぬうちに通り過ぎ、足は自然と、城北地区から城南のラブリッサの商館へと向いた。
商館には、明るく強かに今を生きる冒険者達がいる。
それから――
今、事なきを得た、彼がいる。
レヴィ――
「あ――おかえり!」
「……アヤ?」
商館の前まで来ると、アヤが扉の札を裏返していた。
まだ昼間だと言うのに商会の札がオープンからクローズへ。
それは良いとして――
「アヤ……! その傷――」
私は小走りにアヤに駆け寄った。
彼女の額に包帯が巻かれている。
「あ、違うの、なんでもないんだよ?」
アヤが額を押さえて「にぱっ」と笑う。
澄み切った微笑みには何の影もない、見事な営業スマイルだった。
見事すぎて、彼女が嘘をついているのがわかってしまう。
「一体どうしたの……?」
私はアヤの前に膝をついて、包帯ごしに彼女の額に触れた。
「いやあ、慌てて転んじゃってさあ、机の角に思いっきりごっちんこ」
アヤがチロリと小さな舌を出して笑う。
その笑顔もやはり、ルビールージュの瞳の持ち主らしからぬ、感情と表情が完全に統制されたものだった。
「……」
私は精神を集中させて、彼女の傷の具合と妖脈の状態を霊視した。
ぶつけたんじゃない――
アヤの妖脈に、他者の魔力から攻撃された痕跡が残っている。
なにかをぶつけられたんだ――
よくよくみると、アヤの顔には擦り傷が目立ち、小さいながらも体の至るところに同じような妖脈の損傷が見て取れた。
「一体何があったというの?」
「え? だから、ちょっとつまづいちゃって――」
「本当の事を教えて、アヤ」
「うぅむ……」
アヤが困った顔で腕を組んだ。
「私はお友達のつもりなのだけど、アヤはそんなことない?」
「……」
アヤの魔力が大きく揺らぐ。
「一方通行なのかなー」
独りごとのようにつぶやいてみる。
「むぅ……」
アヤが観念したように苦笑した。
苦笑だったけれども、自然な感情の通った彼女の笑顔は、ただそれだけで愛らしかった。
「さっき、ちょっと城北地区の方に足を伸ばそうと思ったんだけど……」
「城北に来ていたの?」
「……うん」
アヤのルビールージュの瞳に少しだけ陰りが生まれた。
「雨降りそうだったし、傘持って行こうかなー、と」
「傘って、私に?」
私の問いにアヤがコクリと頷いた。
見上げた空には確かに色濃い曇が満ちていて、今にも降り出しそうな気配を見せていた。
「中央地区辺りで、冒険者制度反対のデモ隊に出くわしちゃって」
アヤがまた苦笑をする。
「ほら、アタシこんな格好だしさ。やっぱ都の人達からしたら、見ただけで冒険者って分かるもんなんだねえ」
「何か乱暴をされたの?」
私は眉を顰めた。
「乱暴ってほどじゃ――ちょっと手荒い歓迎を受けたって言うのかな?」
アヤが慌てて両手を振った。
「物を投げつけられたのね」
霊視した傷の特徴から、私はおおよその起った事を理解した。
興奮したリディアの民が、石やらなにやら手にしたものを、見つけた冒険者に浴びせたのだろう。
「アタシが悪いんだ。都の人の気持ちも考えずにウロウロしたり……ビートに『あんまり中心街ふらふらするなお』とか言われてたんだけど」
柔らかく握った拳で、アヤがポカリと自分の頭を叩いた。
群衆に敵意をぶつけられ、それでも健気にも笑おうとする少女の姿に、私は胸が苦しくなった。
「そんな顔しないでよぅ! 悪いのはアタシなんだってば。この商館だって、税金納めてないんだし、不法占拠だって言われてもしょうがないんだもん」
アヤはそれでも笑う。
ラブリッサの商館は元宿屋――
店主が病魔にとりつかれて経営難となった所を、当時間借りしていたビートとアヤが手伝ったのだと言う。
ついに病魔に勝てなかった店主が、良くしてくれた二人に所有権を譲ったのだそうだ。
これは二人に直接聞いた話じゃない。
監察神官が、近隣住民からの聞き込みで得た情報だ。
商館のご近所の誰もが、ラブリッサの面々を擁護し冒険者であることをひた隠しにしようとした。
闇商とはいえ、ラブリッサ商会はそれほどに信頼されているのだ。
「アヤ……!」
私はたまらずにアヤを抱きしめた。
「あわわッ、大丈夫、大丈夫やって」
突然の事に、アヤが二ヴァーナ訛りで慌てる。
雨に振られる私を心配してくれた、アヤの気持ちが嬉しかった。
そんな心優しい冒険者の少女が、石もて追われてしまう世の中が悲しかった。
ケインの事、教で置かれた立場、色んなものがごちゃごちゃになって、私は勝手に感極まった。
全てが私のせいだと自惚れるほど、私は傲慢じゃない。
でも、それでも――
「ごめんなさい……!」
私はケインを救えなかった。
私は神官長であることを選んだ。
私は彼女を巻き込んで危険に晒した。
ごめんなさい――
そんな想いを込めて、私は体にありったけの魔力を収束させた。
「結ぶ祈り、汝を癒さん――治療」
「うにゃぁあああああああッ!?」
アヤが私の腕の中で激しくのけぞって体を痙攣させる。
……あれ?
「あ、ぅ……あ……」
アヤがしおしおのぱーになってしまった。
体はぐったりしているし、半開きの口から涎の筋が尾を引いている。
「アヤ……?」
「か、かんにん、して……」
アヤが虚ろげな瞳でそう言った。
どうしてこうなった――
私は傷を癒してあげようと思っただけなのに。
「アヤ、大丈夫……?」
これはもしかして、魔法酔い――
魔力抵抗の高い人間の中に、時折こうした過剰反応を見せる者が居る。
「ご、ごめんなさい……」
体を痙攣させるアヤを支えながら、私はさっきまでとはまた違った罪悪感に駆られ、かつ、ほんの少しだけなにやらいかがわしい気分を喚起させられた。
かわいい――
思わず綻んでしまう私の口元を、アヤの力のない手がひたひたと触る。
「れ、ヴぃ、さ――」
「え?」
「レヴィさんと、おん、なじ……ふっ、ふぅ……」
アヤが溜息をついて呼吸を整えた。
まだ表情が妖しいけど。
「おんなじことして、おんなじ顔するんだもんなあ……」
アヤが焦点の定まらない瞳で笑う。
あいつ、アヤにこんなことしたのか――
「せや……レヴィ、さん……」
くたびれた様子で、アヤが切れ切れに言葉を繋いだ。
「うん?」
「また、いなくなってん……」
「え……?」
「そェでアタシ、知ァせに行こうと、して――」
「いなくなったですって!?」
私はつい力んで、やんわり継続中だった治療の魔力を強めてしまった。
「んんんああッ!? かんにん、してくァ、はいぃぃぃッ!」
アヤが私の肩を強く握って抱きついてくる。
小さな体からは想像もつかない凄い握力だった。
○
現実の木曜日――
夕方、しばらく形を潜めていた「女神の恵み」が都に降り注いだ。
涙のシンボルを逆さにしたような、内海の湿った風が降らせる激しい雨だった。
普段であればすぐに止んでラムネ色の空が広がるはずなのだが、降り始めた「女神の恵み」は、一向に止む気配を見せない。
風はなく、嵐と言うほど激しくもない。
銀の都リディアを汚した、魔物の血を洗い流すかのように、大粒の雨は街の石畳を叩き続けた。
煙の味が、酷く不味い天気だった――
煙草の火種を、雨が穿って灰が舞う。
城北地区の路地に立ち並ぶ街灯が、台座部分に青白い光の球を浮かべ出した。
教の神聖魔法の初歩の魔法「光明」を発現させる、神殿の柱を模した最新鋭の魔法街灯である。
「……」
青白く照らし出される雨の城北を、俺は傘もささずに歩き続けていた。
リディアで最もセレブが済む区画なだけに、石畳は大理石のような輝く石材が用いられている。
旧時代を彷彿とさせる見通しの聞かない湾曲した路地は、最新鋭の建築技術でお洒落に飾られている。
そんな綺麗な街並みに――
「反吐が出る」
口元を緩めて煙草を吹き捨て、俺は新しい一本に火をつけた。
ふと、道端のゴミ箱横で石畳に張り付いた号外達が目に入る。
――リディアを乱した逆賊、フラガラックの猪の最後!
ケインは「数年前に破門となった元僧侶」という、改竄された身分で世に知れ渡り、「破門された事を根に持って結界の不正接続を行なった」と公表された。
――議会参議、レアード卿を裏切った冒険者の悪女!
冒険者のアイリアは、世話をしてくれた貴族の恩義に背いた冒険者の悪女と名を馳せた。
――悪を斬った英雄の剣! 城西地区魔導士達の功績!
大聖堂の英雄アリオスは、レアード卿の危機に馳せ参じ、魔導士らと競合して騒動を解決に導いた立役者として名声を高めている。
――別邸を焼かれたレアード卿『だからこそ制度は必要!』
リディアの貴族議会で参議を務めるレアード卿は、奴隷商などもしているはずもなく、真に冒険者とリディアのこれからを想う政治家として、批難にさらされる冒険者らを農園に受け入れて制度実現を目指している。
ゴミ箱を蹴っ飛ばして、号外の上に中身をぶちまけてやろうかとも思った。
そんなことをしてなんになる――
「……」
俺はとたんにやる気が失せて、また黙って歩き出した。
ケインが願っていた通り、サフィアの名前は公表されることもなく、ケインの遺志を無駄にしないためにと新結界の設計に精力を燃やしている。
大聖堂は、結界に穴を開けて外に逃がす計画を立てた――
日々増え続ける瘴気を浄化排出し、溜まり続けたものを新結界設立可能範囲まで減らす作業は、およそ年単位の月日を必要とするだろう。
まだまだ、先は長い――
ケインが命を張って、確かに世の中は変わりつつある。
それでも彼の苛烈な覚悟に比べ、世の中の動きは酷く緩慢だ。
劇的に変わることはない――
結界に穴を開けてしまえば新しいものを作るしかない。
それは間違いないのだが、瘴気を逃す数年の間に大聖堂上層部がどんな方向に脱線するかなど分かったものではない。
新結界が出来上がる頃には、人々はケインの事などすっかり忘れてしまっているだろう。
「……ふん」
久しく顔を出していなかったリディア大聖堂の前に立ち、荘厳な建造物の前で俺は煙草を吹き捨てた。
こんなものだ――
教でもあぶれ者がなる巡礼神官にして破戒僧の遊び人、逃げる犬に出来る意趣返しなどこんなものだ。
全ては丸く収まって、世の中の全てが良い方に動き出している――
だから、あえて俺が何をすることなどない。
出来ることなど何もない。
すべてはケインが望んだ結末だ――
リディア大聖堂を後にした俺の足は、いつの間にか城北地区の戦勝記念公園へとたどり着いていた。
ここは大陸が戦乱の時代にあった頃、リディア王の居城があった場所で、城が中央区へと移された今は王のかつての庭を散策出来る記念公園となっている。
どうやってここに来たのかも分からない。
どうして足がこの場所を選んだのかも分からない。
自分が何をしたいのか、一体何をしているのかが分からない。
分からない――
魔法街灯が灯る公園で、俺は雨に濡れながらベンチに座った。
城跡ということもあり、高台になったこの場所からは都の景観が一望できる。
――べッ、
「死ぬ前に、一度は見ておけリディアの夜景」などと歌われる絶景に、俺はささくれだった気分で唾棄した。
「滅びやがれ」
そう思う。
どうしてこんな風になってしまったのか、どうしてこんな木曜日を迎えてしまったのか、一つ一つ起こったことを追うのが面倒なほど、今の俺の頭はどうかしている。
煙草を探してポケットを漁ると、グシャグシャになった空のケースが現れた。
「〜〜〜ッ!」
腕を振って叩きつけた紙のケースは、大した手応えもなく地面をカラリと転がった。
ふと思う、
道を歩むたびに締め付けられて、身を縮ませて、歪によじれたこのゴミは俺だ――
投げ捨てた煙草のケースを拾い上げ、雨の中でお手玉をする。
ふわりふわりと軽いケースが、風に吹かれて地に落ちた。
また拾う。
「中身がないから軽いのさ」
誰にでもなくそう呟く。
煙草が吸いたい。
でも吸えない。
よしんばあったとしても、かつての王の庭は全面禁煙だ。
知ったことかよ――
ささくれた気分が収まらない。
これは誰に対する感情でもない。
強いて言えば、何一つ出来なかった自分に対するものであるのに、何故だか世界の全てに向こうとした。
押さえつければ、脳が焼ける――
乱れに乱れて感度を一定させない魔力中枢が、それでも背後に近寄る何者かの気配を知らせた。
尋常ならざる濃い魔力、鬱陶しくもほのかに甘い鈴蘭の香り――
「君はどうして俺を追う。君はどうして俺の前に現れる」
「自分の立場を忘れたの?」
大聖堂監察の神官長が、傘を差して背後に立っていた。




