第6話
翌朝、宿場を出る頃には、アカはすっかり旅支度を整えていた。
肩掛けの袋には着替えと水筒、それから昨夜のうちに買っておいたパンが入っている。袋の口を確かめていると、アカが得意そうに胸を張った。
「今日は途中でお腹がすいても大丈夫!」
「全部食べちゃわないようにね」
「分かってるよ。シロの分もあるもん」
差し出された袋を覗くと、丸いパンが二つ、布に包まれて並んでいた。わたしは礼を言って袋の紐を結び直した。二人で歩くのは久しぶりだけれど、こうしていると、ずっと一緒に旅をしていたような気がする。
西へ続く街道には、朝早くから荷車が行き交っていた。草地を抜けると道の両側に畑が広がり、遠くに石造りの家々が見えてくる。昼前には小さな町へ着き、わたしたちは水を補給するついでに冒険者ギルドへ立ち寄った。
掲示板の前には数人の冒険者が集まっていた。討伐や採取の依頼の間に、西の宿場まで荷馬車を護衛してほしいという紙が貼られている。出発は今日の昼過ぎ。行き先もちょうど、わたしたちが通る道だった。
「これ、どうかな」
わたしが指差すと、アカは依頼書を見上げた。
「護衛? アカも行ける?」
「うん。一緒に歩くなら、何か手伝えることがあるといいでしょ」
「やる!」
受付へ依頼書を持っていくと、係の女性はわたしのギルド証を確かめ、それからアカを見た。
「護衛はあなたが担当するのね。そちらの子は?」
アカが口を開くより早く、わたしは答えた。
「妹です。今はわたしについて、少しずつ仕事を覚えているところで」
自分で言ってから、少しだけ頬が熱くなった。昔から家族のように思っていたけれど、人前でそう名乗ったのは初めてだった。
「そう。護衛の責任はあなたにお願いするわ。妹さんも、気をつけてね」
「はい」
係の女性は護衛する荷車の特徴と待ち合わせ場所を教えてくれた。手続きを済ませて外へ出ると、アカがわたしの袖をつまむ。
「ねえ、シロ。アカ、妹なんだ」
「嫌だった?」
「ううん!」
アカは大きく首を振った。
「シロがお姉ちゃんって、なんか嬉しい!」
笑いながら腕に抱きついてくるので、わたしもつられて笑ってしまった。長い間、互いに好きな場所を旅していた。それでも、また隣を歩くことになれば、こうして自然に手が届く。
町の西門で待っていたのは、布や乾物を積んだ一台の荷馬車だった。御者を務める年配の商人と、荷の管理をする若い女性がいる。わたしたちが近づくと、商人は少し驚いた顔をしたが、ギルドの依頼書を見るとすぐに頷いた。
「助かるよ。この先の林道で魔狼が出たって聞いてね。いつもなら二人で行くんだが、今日は用心したくて」
「林道のどの辺りですか?」
「坂を越える手前だそうだ。道が細くなる場所でな」
わたしは荷車の車輪と積み荷を見て、歩く位置を決めた。アカには荷台の横についてもらう。道の様子を見ながら、危ないところでは先に声をかけることにした。
「シロ、アカにもできることがあったら言ってね」
「うん。後ろの様子も見ていてくれる?」
「任せて!」
町を出ると、道は少しずつ林の中へ入っていった。木陰にはまだ朝露が残り、馬の蹄が湿った土を踏むたびに鈍い音がする。御者は昔からこの道を使っているらしく、曲がり角の先にある水場や、休みやすい場所を教えてくれた。
坂の手前で、風に混じる匂いが変わった。
濡れた葉と土の匂いの奥に、獣の気配がある。わたしは足を止め、林の斜面へ目を向けた。草の根元がわずかに揺れ、その奥で灰色の背中が動いた。
「馬を止めて。できるだけ静かに」
御者が手綱を引き、荷車がゆっくり止まった。わたしはアカに目を向ける。アカも何かに気づいたらしく、荷台の後ろへ回ろうとしていた女性のそばに立った。
枝が折れる音がした。
斜面から飛び出してきたのは、痩せた魔狼だった。続けてもう一頭が姿を現し、低く唸りながら荷馬車を囲もうとする。馬が耳を伏せて身をよじり、荷台の金具ががちゃりと鳴った。
「大丈夫。動かないでいて」
わたしは荷馬車と魔狼の間へ出た。一頭が地面を蹴り、こちらへ跳びかかってくる。腕を振ると、風が足元から巻き上がり、魔狼の身体を横へ押し流した。獣は土の上を転がって立ち直り、距離を取って唸った。
もう一頭が、荷馬車の後ろへ回る。
「シロ、後ろ!」
アカの声とともに、小さな炎が灯った。後方へ迫った魔狼の前で赤い火が揺らめき、獣が驚いて足を止める。わたしはその隙に荷馬車の脇へ移り、短く風を放った。
乾いた土が舞い、二頭の魔狼が林の斜面へ後ずさる。一頭はまだ牙を見せていたけれど、もう一度風を受けると、やがて背を向けて木々の間へ消えていった。
しばらくは、馬の荒い鼻息だけが聞こえた。
「……行った、かな?」
アカが小さな声で言った。わたしは林の奥を見て、もう獣の姿がないのを確かめる。アカの炎も消えていた。
「うん。もう大丈夫そう」
御者はようやく肩の力を抜き、馬の首を撫でた。若い女性は荷台の縁を握ったまま、アカの方を見ている。
「助かったわ。あのまま回り込まれていたら、どうなっていたか」
「アカ、火を出しただけだよ!」
「その火に助けられたのよ。ありがとう」
アカは少し照れくさそうに笑った。わたしが隣に戻ると、小さく握り拳を作って見せる。
「シロ、ちゃんと後ろ見てたでしょ」
「うん。すごく助かったよ」
「えへへ」
荷車はほどなく動き出した。坂を上りきると林が途切れ、夕方の陽を受けた畑が眼下に広がった。道はそこから緩やかに下り、遠くには次の宿場の屋根が見えていた。
日が傾く頃、わたしたちは無事に荷を届けた。商人は何度も礼を言い、帰り際に乾いた果実を少し分けてくれた。アカは嬉しそうに受け取ったものの、その場では食べず、袋の中へ大事にしまった。
「珍しいね。すぐ食べないの?」
「これ、あとで二人で食べるの!」
そう言って笑うアカの顔を見ていると、わたしまで嬉しくなった。
宿を探して通りを歩く頃には、空が茜色に染まっていた。アカは隣で今日の出来事を話し、魔狼が火を見て飛び上がったことや、商人の馬が最後には落ち着いたことを身振りを交えて教えてくれる。わたしも同じ場所にいたのに、アカの話を聞くと、少し違う一日だったように思えた。
「ねえ、シロ。また二人で依頼を受けようね」
「うん。西へ行く途中でも、できることがあれば」
「やった! シロとなら、いっぱいできそう!」
アカはそう言って、わたしの手を握った。
姉妹。
昼間、自分で口にしたその言葉が、不思議と胸の奥に残っていた。アカの手を引いて歩くのは、昔から何度もしてきたことなのに。
西の端にある町までは、まだ遠い。明日もきっと、長い道を歩くことになる。
それでも今日は、二人で一つの仕事を終えた。
わたしはアカの手を握り返し、夕餉の匂いが漂う宿場の通りを歩いていった。




