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第24話

 食堂の扉を出ると、通りには朝の光が満ちていた。向かいの店では焼き上がったパンを籠へ移していて、香ばしい匂いが石畳の上まで漂ってくる。アカは足を止めかけたけれど、シロが隣にいるのを見て、何も言わず歩き続けた。


 その横顔を見ながら、シロは話し始める場所を探していた。店を出る前は、歩きながら話せばいいと思っていたのに、人の行き交う通りでは言葉が見つからない。肩に掛けた鞄の紐を握り直すと、アカがこちらを覗き込んだ。


「シロ、朝からずっと変だよ」

「……分かる?」

「うん。お腹がすいてるときとも、眠いときとも違う顔してる」

「そんなに分かりやすいかな」

「アカには分かるよ!」


 胸を張って答えるので、シロは小さく笑った。通りを少し進むと、水路に架かる石橋が見えてきた。橋の手前には人通りの少ない細道があり、低い石壁の向こうを水が静かに流れている。


「アカ、少しこっちへ来てくれる?」

「うん」


 二人で石壁のそばへ寄った。水面には朝日が細かく揺れ、向こう岸では洗濯物を干す人の姿が見える。シロは誰も近くにいないのを確かめてから、アカへ向き直った。


「今朝、目が覚めたらね。わたしに、新しい力が宿っていたの」

「新しい力?」

「うん。《勇者》っていう力」


 アカは何度か瞬きをした。


「……《勇者》?」

「そう」

「シロが?」

「うん」


 アカの視線がシロの頭から足元へ下り、また顔へ戻ってきた。何か変わったところを探しているらしい。その真剣さがおかしくて、シロは少しだけ肩の力を抜いた。


「見た目は変わってないよ」

「そっか……。でも、どうして?」

「それが、分からないの。誰かに会ったわけでもないし、何かを頼まれた覚えもない。ただ、目が覚めたときには、自分が《勇者》だって分かったんだ」


 水路の向こうで、小さな鳥が石の縁へ降りた。アカはそれを目で追うこともせず、しばらくシロを見つめていた。


「《勇者》って、昔の戦いの……?」

「うん。わたしたちも知っている、あの《勇者》だと思う」

「じゃあ、また《魔王》がいるの?」

「クロにも同じことを聞いたよ。どこかにいるのかもしれない。でも、まだ何も分かってない」


 アカは口を結び、シロの袖を掴んだ。


「シロ、どこか遠くへ行っちゃう?」

「……調べに行くことにはなると思う」

「アカも行くよ」


 あまりに早い返事だった。シロが目を上げると、アカは袖を握ったまま、もう一度言った。


「アカも、一緒に行く」

「危ないことになるかもしれないよ」

「知ってる。でも、シロが一人で行くのは嫌だ」


 まっすぐ見上げてくる瞳に、シロは言葉を失った。長い年月を旅して、アカは炎の扱いも上手になった。誰かについていかなくても、どこでだって自分の道を歩いていける。それを知っているからこそ、隣にいると言ってくれることが嬉しかった。


「……ありがとう、アカ」

「えへへ。それに、シロはアカのお姉ちゃんでしょ?」

「うん」

「お姉ちゃんが困ってたら、妹が助けるんだよ!」


 シロは思わず笑い、アカの手を握り返した。アカも嬉しそうに笑ったあと、急に眉を下げる。


「でも、ミナトたちには、また寂しい思いをさせちゃうのかな」

「そうならないようにしたいね。何も分からないうちから、遠くへ出かけるつもりはないよ」

「じゃあ、今日はギルドで聞いてみる?」

「うん。まず、そこから」


 細道を抜けて大通りへ戻ると、アカはいつもどおりの足取りで隣を歩き始めた。けれど、シロの袖から手は離さなかった。


 冒険者ギルドの中は、午前の依頼を探す人たちで賑わっていた。掲示板の前には装備を整えた冒険者が集まり、受付では報告書を抱えた者が順番を待っている。二人が入っていくと、顔馴染みの受付係が軽く手を振った。


「シロ、アカ。今日は依頼を探しに来たの?」

「ううん。ギルドマスターに少し相談したいことがあるの。時間をもらえるかな」

「分かったわ。確認してくるから、ちょっと待っていてね」


 待っている間、アカは掲示板の前で足を止めた。薬草の採取依頼に目を留め、紙をじっと読んでいる。シロも隣へ立ったが、目に入るのは依頼の文字より、その端に記された小さな追記だった。採取量が揃わず、期限を延ばしたらしい。


「この前も、似たのがあったね」

「うん。アカ、採りに行こうかと思ったんだけど、まだ小さいから待ってって言われたの」


 アカが言ったところで、受付係が戻ってきた。奥の部屋で話せるという。二人は掲示板を離れ、案内に従った。


 ギルドマスターは机の上に積まれていた書類を脇へ寄せ、向かいの椅子を示した。


「二人揃ってとは珍しいな。何か困ったことでもあったか?」

「うん。わたしのことで、相談があるの」


 シロは扉が閉まるのを待ってから、今朝の出来事を話した。目覚めたときから、自分の中に《勇者》という名の力があること。身体には変わったところがなく、理由も分からないこと。クロに相談し、まずはギルドで最近の知らせを確かめようと思ったこと。


 聞き終えたギルドマスターは、すぐには答えなかった。机に置いた指先を一度動かし、シロの顔を見つめる。


「……《勇者》か」

「何か、聞いてない?」

「私が知る限り、各地の支部から《魔王》が現れたという報告は届いていない。大きな魔物の被害や、街道の通行止めならあるが、それはいつものことでもある」


 ギルドマスターは引き出しから近隣の報告を取り出した。シロはアカと一緒に目を通す。山道で荷車が襲われた話、橋の修繕が遅れている話、村から寄せられた採取依頼。どれも、それだけなら珍しくない出来事だった。


「遠いところの報告も、見られる?」

「すぐに用意できるのは、ここへ届いている分だけだ。必要なら、ほかの支部にも問い合わせよう」

「お願いしてもいいかな」

「ああ。ただ、返事が揃うまでには日数がかかる。何を探しているのか分かれば、少しは早いんだがな」


 シロは頷き、書類を一枚ずつ確かめた。襲われた村も、被害を受けた商隊も、昔からありそうな困り事ばかりだ。怖い魔物が潜んでいるという噂さえ、今のところは見当たらない。


 アカが一枚の紙を指差した。


「シロ、これ、さっきの薬草だよ」


 ギルドマスターが覗き込む。


「今年は採れる時期がずれているらしくてな。別の村でも、予定した量に届かないと連絡があった。雨や気温のせいだろうと、採取する者たちは言っているよ」

「うちの鉢植えも、今年は葉っぱが出るのが遅かったね」

「そうだったね」


 シロは何気なく頷いた。エライザも、仕入れの品がいつもより小さいと話していたことがある。けれど、畑の具合が毎年同じではないことも知っている。考えかけたところで、アカが次の書類をめくった。


 しばらく調べても、《勇者》という名につながりそうな話は見つからなかった。ギルドマスターは書類を揃え、シロへ向き直った。


「ほかの支部には私から聞いておこう。知らせがあれば、お前たちに伝える」

「ありがとう。助かるよ」

「何もないに越したことはないが、備えておくに損はない。お前も、急に無理な依頼を引き受けたりするなよ」

「うん。気をつける」


 部屋を出ると、ギルドの賑わいが戻ってきた。依頼を取り合う声や、仲間を呼ぶ声が耳に入る。外へ出たところで、アカが大きく息を吐いた。


「《魔王》のこと、何もなかったね」

「うん。でも、ほかの支部にも聞いてもらえることになったから」

「次は、リーネに聞く?」


 シロは足を止めた。かつて一緒に旅をした、白銀の剣聖。リーネなら世界樹のことも、遠い国々のこともよく知っている。何より、こんな話をしたら、きっと最後まで聞いてくれる。


「うん。リーネにも知らせようと思う。会えるなら、直接話したいな」

「アカも会いたい! ずいぶん会ってないもん」


 二人は顔を見合わせて笑った。ギルドから食堂へ戻る道には、朝よりも多くの人が行き交っている。アカはようやくシロの袖を離し、今度は手を差し出した。


「シロ、お昼までに帰ろうね。エライザ、何作ってるかな」

「ふふ。もうご飯の話?」

「だって、帰るところがあるんだもん!」


 シロはその手を握った。まだ何が起きているのか分からず、《勇者》の力も胸の奥に残ったままだ。それでも、隣にはアカがいる。帰れば、いつもの食卓にみんなが揃っている。


 石橋を渡る頃、食堂の方から昼の仕込みの匂いが風に乗ってきた。アカがそれに気づいて歩幅を広げる。シロも笑いながら隣へ並び、今夜はリーネに手紙を書こうと思った。


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