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第八話 隊長さま、眠る君に言えない

 騎士団出立日。


 ミラが目覚める少し前の出来事。


 教会の鐘が、やわらかく町を撫でている。


 礼拝堂には、朝の顔ぶれが揃っていた。


「世話になりました」


 騎士団隊長ヴェリスが静かに一礼する。


 その隣で、赤髪の騎士レオンハルトが肩をすくめた。


「短い滞在でしたが、ずいぶん濃かったですね」


「主にお前が騒がしかった」


「隊長、それは濡れ衣です」


「違うのか」


「少ししか違いません」


 神父ノアは鼻で笑う。


「相変わらず騒々しい赤毛だな」


「褒め言葉として受け取っておきます」


「図太い」


 礼拝堂に小さな笑いが落ちる。


 だが外では、馬のいななきと鎧の音が響いていた。


 今日、騎士団は王都へ戻る。


「で?」


 神父が椅子にもたれたまま言う。


「礼だけ言って帰るつもりか」


「……何か」


「寄付だ」


 即答だった。


 レオンハルトが吹き出す。


「最後までぶれませんね」


「信仰も建物も金で保つ。綺麗事では屋根は直らん」


「妙に説得力がある」


 ヴェリスは無言で革袋を差し出した。


 神父が中を見て、片眉を上げる。


「……思ったより入っているな」


「世話になりましたので」


「三日分の見舞い代も込みですね」


「レオン」


「はい」


 神父は袋を懐へしまい、ふと奥の扉へ目を向けた。


 その先で、ミラはまだ眠っている。


「……あれは教会の貴重な働き手だ」


 ぼそりと言う。


「勝手に連れていくな」


 一瞬、沈黙。


 レオンハルトが口元を押さえる。


「神父殿、それはつまり」


「黙れ赤毛」


「遠回しに娘はやらんと」


「黙れと言った」


 ヴェリスは一瞬だけ目を見開き、すぐに表情を戻した。


「……なぜ、そういう話になるんですか」


「今は、でしょう?」


「レオン」


「はいはい」


 神父はため息をつく。


「本当にうるさい連中だ」


 ◇


 ふと、神父の視線がヴェリスの腰へ落ちる。


 佩剣。


 丁寧に使い込まれた一振りだった。


「その剣」


 空気が少し変わる。


「誰のものだ」


 ヴェリスの背筋がわずかに伸びた。


「……陛下より賜りました」


「故アレクシス殿下の佩剣です」


 神父の指先が止まる。


 レオンハルトも口を閉じた。


 ヴェリスは静かに柄へ触れる。


「幼い頃から、殿下の話を聞いて育ちました」


「弱い者を助け、各地を巡り、魔物を討ったと」


「……あの方のような騎士になりたいと思った」


 短い沈黙。


 レオンハルトがふっと笑う。


「似合いますね」


 からかいではなく、素直な声だった。


 神父はしばらくヴェリスを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……そうか」


 それだけ言った。


 ◇


 外から声が飛ぶ。


「隊長! そろそろ本当に出ますよ!」


「お前がここにいるだろう」


「私は伝令です」


「今決めたな」


「ええ」


 神父が腕を組む。


「帰れ、騎士団」


「その前に」


 ヴェリスは奥の扉を見る。


「少しだけ」


 神父は何も言わなかった。


 ◇


 静かな部屋。


 窓辺に朝の光が落ちている。


 ミラはまだ眠っていた。


 穏やかな寝息だけが聞こえる。


 枕元の花瓶には三輪の白い花。


 ヴェリスは四本目をそっと挿した。


 少し迷って、角度を整える。


「……本当に、無茶をする」


 小さな声。


 返事はない。


 それでも、すぐには離れなかった。


 触れることもできず、ただ傍に立つ。


 その距離だけは崩さない。


「隊長」


 扉の向こうからレオンハルトの声がする。


「本当に置いていきますよ」


「今行く」


 ヴェリスは一歩下がる。


 眠るミラを見つめ、ほんの少しだけ表情を緩めた。


「……起きたら、少しは休んでください」


 届かない言葉を残して、背を向ける。


 ◇


 礼拝堂へ戻ると、神父が壁にもたれていた。


「行くのか」


「はい」


「安心しろ。あれは死なん」


 ヴェリスはわずかに目を伏せた。


「……そういう心配ではありません」


 神父の片眉が上がる。


 数秒だけ、沈黙が落ちる。


「死なせんよ」


 先ほどまでの軽さを消した声だった。


 神父は静かに目を伏せる。


 その横顔だけが、不思議なほど真剣だった。


 ヴェリスはわずかに眉を寄せる。


 だが結局、何も問わなかった。


 代わりにレオンハルトが、堪えきれないように笑う。


「隊長、それもう完全に放っておけなくなってるじゃないですか」


「お前は黙れ」


 ◇


 ヴェリスは一礼する。


「神父様、お世話になりました」


「あぁ……」


 ノアは少しだけ目を細めた。


「私はノアだ。ノアと呼べ」


 ヴェリスがわずかに目を瞬く。


 けれど、すぐに小さく頷く。


「……では、私をヴェリスと」


「ああ」


 ノアは、それ以上聞かなかった。


「あと」


「次は寄付を倍にしろ」


「検討します」


「する気のない返事だな」


 レオンハルトが笑った。


 ◇


 やがて騎士団は町を発った。


 土煙の向こうへ消えていく背を、ノアしばらく黙って見ていた。


 視線は、青年の腰にある剣へ向く。


 見覚えのある形だった。


 ノアは小さく目を細める。


「……面倒な縁だな」


 風が吹き抜けた。


 ノアはかすかに口元を緩めた。


「悪くない」


 騎士団の姿は、もう見えない。


 それでもノアは、しばらく街道の先から目を離さなかった。

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