第五話 隊長さま、バレてます!?
王国騎士団が町へ滞在して三日目。
教会は朝からいつも以上に賑わっていた。
負傷兵の再診。
町人たちの治療。
それに加えて。
「今日は隊長さま来るかしら」
「昨日いらしてたって噂よ」
「花束持って?」
「持ってた」
(……やっぱり人気よね)
ミラは寄付箱の横で、そっと視線を逸らした。
朝から頬が少し熱い。
そのとき、扉が開く。
礼拝堂の空気が、わずかに変わった。
先に入ってきたのは、燃えるような赤髪の騎士だった。
陽気な笑み。
よく通る声。
人好きのする空気。
騎士らしい体躯の、爽やかな青年だった。
その後ろから、ヴェリスが静かに姿を現す。
(……今日もまぶしい)
「神父殿、世話になります」
赤髪の騎士が軽やかに頭を下げる。
「礼は金でいい」
「神父さま……」
ミラが困って眉を下げると、赤髪の騎士は堪えきれず吹き出した。
「噂どおりだ」
「何の噂ですか」
「この教会、聖女さまは天使で、神父さまは守銭奴だと」
「誰だ広めたのは」
「たぶん町のみなさんです」
礼拝堂にくすくすと笑いが広がる。
ヴェリスの口元も、わずかにやわらいだ。
(……笑うと、やっぱり破壊力が……)
◇
「申し遅れました。第二部隊副隊長、レオンハルトです」
赤髪の騎士が胸へ手を当てる。
(騎士団の人ってみんなかっこいいんだなぁ)
「いつも隊長がお世話になっております」
「え?そんな……」
ミラが首を傾げると、レオンハルトはにこやかにうなずいた。
「ええ。ここ二日、妙に機嫌がいいので」
「レオン」
ヴェリスの低い声が落ちる。
「はいはい」
まるで効いていなかった。
(よく分からないけど、二人は仲が良いんだなぁ)
ミラは納得するように頷いた。
◇
診療が始まると、騎士たちも順番に座った。
擦り傷。
打撲。
剣だこの割れた手。
戦う人の身体には、小さな傷が絶えない。
「隊長は昔からこういう女性に関心を持つ方でしたっけ?」
待ち時間に、レオンハルトがさらりと言った。
ミラの手が止まりかける。
「初めて見ます」
「レオン」
「事実です」
ヴェリスは眉ひとつ動かさない。
目だけは視線を落としていた。
(こういう女性って……まさか私?
いやいや、なわけない)
ミラは真顔で包帯を巻き直した。
胸だけ、なぜか落ち着かなかった。
◇
午前の診療が終わる頃には、礼拝堂の椅子へ座るだけで脚が重かった。
今日は患者が多い。
胸の奥には、もう何人分もの痛みと熱が沈んでいる。
けれど笑う。軽くなるから。
「次の方、どうぞ」
母親に抱かれた子どもが前へ出た。
高熱だった。
額へ触れた瞬間、焼けるような苦しみが流れ込む。
息が浅くなる。
視界の端が白く揺れた。
(だいじょうぶ)
(あと少し)
子どもの熱が下がる。
母親が泣いて礼を言う。
その声が、遠かった。
「聖女さま?」
一歩踏み出そうとして、膝から力が抜けた。
◇
倒れる、と思うより先に。
強い腕が、身体を支えた。
「聖女様!」
低く、切迫した声。
気づけばヴェリスの腕の中だった。
(恥ずかしい……)
(だめ、心臓が)
礼拝堂がざわつく。
「水を」
「椅子を空けろ」
レオンハルトが即座に周囲へ指示を飛ばす。
ヴェリスはミラを長椅子へ座らせ、膝を折って視線を合わせた。
「息を整えてください」
「……すみません」
「謝る場面ではありません」
静かな声だった。
怒っていない。
だが、抑えた感情が滲んでいた。
◇
「失礼します。触れても?」
(え? あ、脈?)
「……はい」
ヴェリスの指先が、そっとミラの手首へ触れる。
温かい。
けれど。
ヴェリスの表情はすぐに険しくなった。
「……やはり」
「何がですか?」
「普通の疲労ではありません」
ミラの背筋が冷えた。
(この人……)
(気づいた?)
どくり、と胸が鳴った。
聖女ではないこと。
普通の治癒ではないこと。
そこまで知られたわけではないかもしれない。
それでも。
誰にも気づかれなかった異変を、初めて見抜かれた気がした。
「私の母は聖女でした」
静かな声が落ちる。
「だから、多少は分かります」
「聖女も治癒を続ければ疲れます」
「ですが――」
ヴェリスの視線が、ミラの顔色へ落ちる。
「あなたの消耗は、少し大きすぎる」
ミラの指先が小さく震えた。
「……間違っていたら申し訳ありません」
一拍。
「あなたは、治療するたびに自分まで傷ついているように見える」
「まるで」
言葉を探すように視線が揺れる。
「自分が代わりに背負っているように見える」
その言葉に。
ミラは息を止めた。
(気づかれてる……)
少なくとも、自分が普通の聖女ではないことを。
背筋を冷たいものが這い上がる。
けれど。
「辛いでしょう」
ヴェリスはそれ以上踏み込まなかった。
なぜそんな力を使えるのか。
どうして普通の聖女と違うのか。
問いただすことも。
疑うことも。
暴こうとすることもない。
ただ。
本当に心配そうな顔をしていた。
その眼差しに、胸の奥が小さく揺れる。
こんなふうに心配されたことは、今までなかった。
◇
「本日は、ここまでです」
ヴェリスが周囲へ告げた。
「ですが隊長、まだ列が…」
ヴェリスは既に確認済みだった。
重症者はいない。
急を要する者も見当たらない。
「命令です」
低く静かな声だった。
それだけで騎士たちは姿勢を正した。
「本日の診療は終了。必要な方は明日改めて来てください」
礼拝堂がざわめく。
だが反論する者はいなかった。
倒れたミラの顔色を見て、誰もが無理をさせていたと気づいた。
レオンハルトが肩を竦めた。
「聞いたな。今日は解散だ」
そして、にやりと笑う。
「代わりに隊長が荷運びくらいは手伝います」
「お前もやれ」
「もちろん」
そのやり取りに、人々から小さな笑いが漏れた。
張りつめていた空気が少しだけ和らぐ。
その時だった。
礼拝堂の扉が開く。
「……騒がしいな」
出先から戻った神父が中へ入ってきた。
ざっと周囲を見渡し、
次に長椅子へ座るミラを見た。
わずかに眉が動く。
それだけで状況を察したらしかった。
「勝手に営業停止したのはお前か」
神父の視線がヴェリスへ向く。
「申し訳ありません」
ヴェリスは素直に頭を下げた。
「今日の売上が減るだろうが」
小さく息を吐いた。
「……まあ、いい」
ぶっきらぼうに言う。
「助かった」
ヴェリスは静かに目を伏せた。
「いえ。当然のことをしただけです」
神父はその返事に何も言わなかった。
ただ一瞬だけ、
値踏みするようにヴェリスを見た。
◇
人が引いた礼拝堂で。
ヴェリスはしばらく花瓶の花を眺めていた。
「一週間後に王都へ戻ります」
「はい」
胸の奥が、小さく沈む。
ほんのわずかな間。
言葉を選ぶ沈黙。
「……もし差し支えなければ」
視線は逸らさないまま。
「あなたが無理をしなくていい方法を、考えさせてください」
押し付けではない。
提案だった。
「……はい」
(気づかれている)
(でも……)
(この人は私を責めない)
「また、様子を見に来ても?」
一歩も踏み込まないままの問い。
逃げ道があるのに、逃げたくなくなる声。
「……はい」
自然に、頷いていた。
「ありがとうございます。
でも本当に気にしないでくださいね」
「難しいお願いです」
真顔だった。
「それに……礼を言うのは俺の方です」
胸が弾んだ。
◇
教会を出たあと。
レオンハルトが隣で肩をすくめた。
「隊長」
「何だ」
「ずいぶん気にかけてますね」
「何の話だ」
「聖女様です」
ヴェリスは少し黙った。
「……放っておけないだけだ」
「そうですか」
レオンハルトは笑う。
「それを世間では、気になるって言うんですよ」
穏やかな春風が髪を揺らした。
返事はなかった。




