第三話 隊長さまは、後ろへどうぞ
古い扉が、ゆっくりと開いた。
外の光を背に、銀の鎧をまとった男たちが姿を現す。
磨き上げられた胸当て。
揃いすぎた歩幅。
張りつめた空気。
礼拝堂のざわめきが、一瞬で飲み込まれた。
「王国騎士団だ……!」
「本物……!」
「近くで見ると迫力が違う……!」
人々が道を開ける。
数名の騎士は肩を押さえ、足を引きずり、額に血をにじませていた。
北の森での魔物討伐帰りだという噂は、本当だったらしい。
その中央を、一人の男が静かに歩いてくる。
ミラは思わず、息を止めた。
(……き、綺麗……)
長身ですらりとした体躯。
文句なしにかっこいい。
蜂蜜を溶かしたような落ち着いた金髪が肩先で揺れる。
目元から口元まで、どこを取っても整いすぎていた。
ふと上がった顔に覗く琥珀の瞳は、やわらかな光を宿しながら、その奥に鋭い理性を隠しているようだった。
美しい、では足りない。
物語の挿絵から抜け出したような、貴公子そのものだった。
(こんな人がいるんだ……)
しかも左腕には裂傷があり、包帯にうっすら血が滲んでいる。
傷なのに、それすら絵になってしまっていた。
騎士の一人が声を張った。
「王国騎士団第二部隊隊長、ヴェリス様がお越しだ!」
礼拝堂がどよめいた。
「隊長!?」
「若いのに!?」
別の騎士が前へ出る。
「討伐任務で負傷者が出た。隊長殿にも傷がある。至急、診てもらいたい」
神父ノアが横でぼそりと言う。
「上客だな」
「静かにしてください」
ミラは小さく囁き、微笑み、一礼した。
「承知しました」
騎士たちの顔が緩む。
その直後。
「では、すみませんが、重症でない方は列にお並びいただけますか」
「……は?」
空気が止まった。
騎士たちが固まる。
ミラは礼拝堂を見渡した。
咳き込む老人。
青い顔で腹を押さえる女性。
熱にうなされる子ども。
待ち続ける町の人々。
「来ていただいて申し訳ないのですが、症状の重い方から、診させていただきたいです」
穏やかに、しかし揺るがず告げる。
「無礼だ!」
「隊長を待たせる気か!」
「国の騎士団だぞ!」
数人の騎士が声を荒げた。
「やめろ」
澄んだ声が落ちる。
隊長ヴェリスだった。
怒鳴り声ではない。
それでも、その一言で全員が黙る。
「彼女の判断は正しい」
琥珀の瞳が金に輝き、静かに礼拝堂を見渡す。
「我々は守る側だ。民を押しのけて先に治される側ではない」
町人たちが息を呑む。
騎士たちも言葉を失った。
「ですが、隊長」
「私は軽傷だ」
そう言ってヴェリスは当然のように最後尾へ向かった。
列に並ぶ姿まで様になっていた。
「隊長さまが並んだ……」
「できた方だな」
「顔もめちゃくちゃいいのに」
(そこ? でも、いい人そうで良かった)
ミラは心の中だけで突っ込んだ。
◇
先に診たのは、呼吸の浅い幼子だった。
「お願いします……急に熱が……」
「大丈夫です」
額へ触れた瞬間、熱に焼かれたような苦しみが胸の奥へ流れ込む。
喉がひりつき、胸の奥がずきりと痛む。
呼吸のたびに肺が熱を帯びるようだった。
笑顔を保つだけで、頬が引きつる。
それでも笑う。
苦しみを受け止め、静かに飲み込む。
やがて子どもの呼吸が落ち着いた。
「眠った……!」
母親が泣きながら頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして」
ほっと笑って、眠る子どもの頭をそっと撫でた。
その小さなぬくもりに、胸を塞いでいた重さがほどけていく。
次は腹痛の女性。
次は転倒して動けない老人。
次は深く切った騎士の足。
吸収した苦しみは、笑えばかなり薄まるようになってきた。
それでも、少しずつ残っていく。
指先が痺れ、足元がわずかに揺れた。
列の最後尾から、ヴェリスはずっと見ていた。
(……妙だ)
通常の聖女なら。一日にこれほどの患者を治療することはまずない。聖力、体力にも限りがある。
それなのに彼女は、笑って立ち続けている。
しかも、一人治すたび、顔色が悪くなっていく。
(……おかしい)
普通の治癒ではない。
そんな感覚があった。
患者は軽くなるのに、
代わりに彼女が何かを引き受けているように見える。
なのに彼女は、
誰にも気づかれないよう笑っているようだった。
その柔らかな笑顔が、目に残る。
◇
「次の方、どうぞ」
ついにヴェリスの番が来た。
近づかれるだけで、周囲の空気まで甘く整うような男だった。
(近い)
(顔が強い)
(まつ毛長い)
「腕を失礼します」
包帯をほどくと、裂傷は浅くは無さそうだった。
「大丈夫ですか」
「ええ、慣れています」
「その台詞、怪我する方がよく言うんですよ」
思わず本音が漏れる。
「軽く見えても、痛いものは痛いですよね」
ヴェリスが一瞬目を丸くした。
それから、ふっと笑う。
甘くやわらかな微笑みだった。
(顔がいい人の不意打ち笑顔、反則)
(て、集中!)
傷口へ手をかざす。
ぴり、と痛みが走る。
だがそれ以上に感じたのは、別のものだった。
冷静さの下に沈んだ疲労。
誰にも見せない緊張。
多くを背負う人間の重さ。
ミラは思わず顔を上げる。
ヴェリスは、まっすぐ彼女を見ていた。
琥珀の瞳が、逃がす気もないままこちらを捉えている。
視線を外したいのに、外し方がわからない。
瞬きだけが増えていく。
(どうしよう。心臓に悪い)
「……あなたは」
低く、穏やかな声。
「無理をしているでしょう」
胸がどくりと鳴る。
初対面の相手に、そこを見抜かれた。
(まさか、力もばれる!?)
「してませんよ」
反射で笑う。
「聖女として立たせていただいてますから」
(ギリ嘘、ではない?!)
「便利な言葉ですね」
「そちらの“平気です”と同じかもしれませんね」
笑ってごまかす。
一拍の沈黙。
ヴェリスは一度だけ視線を伏せ、喉の奥で小さく笑った。
「……敵いません」
傷は塞がった。
それなのに、ヴェリスはなぜかその場を離れなかった。
ただ、金色に煌めく透明な瞳で静かにミラを見つめ続けていた。
体が熱くなる。
(やっぱりこの方苦手。見た目で苦手ってごめんなさい!)
すぐ横で神父が、面白がるように呟いた。
「春だな」
「ん!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「若いな」
「もう、静かにしてください!」
ミラが頬を染めて睨むと、張りつめていた礼拝堂にくすくすと笑いが広がった。
その様子に、ヴェリスもまた堪えきれないように小さな声を立てて笑った。
その笑顔に、町の娘たちは何人かまとめて恋に落ちた。
神父は腕を組み、面白そうに二人を見比べていた。
ミラはまだ知らない。
自分が、とても誠実な男に見つかってしまったことを。




