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第二十七話 聖女たちは戦います

 轟音が、聖堂を揺るがした。


 巨大な魔物が一歩踏み出す。


 その足元で、石床に亀裂が走った。


 赤い瞳が、五人の聖女を見下ろしている。


 ミラの全身が震えた。


 恐ろしい。


 けれど、魔物から流れ込んでくるのは、押し潰されそうなほどの苦しみだった。


 (違う……。この魔物は、苦しんでいるんだ)


 怯えている。痛みに耐えている。


 だから、あんなふうに叫ぶのだ。


 (可哀想……)


 ミラはすぐに手をかざした。


 この苦しみを少しでも取り除けたら、落ち着かせてあげたい。


 そう願いながら、押し寄せる苦痛を受け止めようとする。


 だが、その直後。


 魔物の前脚が、横薙ぎに振るわれた。


「散って!」


 ベアトリスの鋭い声が響く。


 五人が左右へ飛び退いた直後、巨大な爪が床を砕いた。


 石片が弾け、宙を舞う。


「今の……」


 エリーゼが息を呑む。


「まさか、あれが……」


 リディアの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


「S級魔物、ガディオラ……!」


 リディアの青紫の瞳が輝いた。恐怖よりも、未知の魔物への好奇心が勝っていた。


「捕獲されている唯一のS級魔物。文献で読んだとおりだわ」


「……感心している場合じゃないわね」


 エリーゼは乱れた呼吸を整え、魔物を見上げた。


「そのとおりよ、エリーゼ。次が来る」


 ベアトリスは短く告げた。


 その声音に、迷いはない。


 視線はすでに、ガディオラの動きを追っていた。


「リディア。何か見えた?」


「ええ。前脚を振るう直前、肩がわずかに沈むの。それから、爪の先端を見て。石床があれだけ砕けるのだから、まともに受けるのは危険ね」


「攻撃の兆候がわかるなら、十分だ」


 コレットが即座に応じた。


「私は防御を担当する。皆は、私の防壁を前提に動いてくれ。ただし、衝撃を受け止めきれない可能性もある。過信は禁物だ。」


「わかったわ。後は任せて」


 ベアトリスは翡翠の目を光らせた。


「大丈夫よ」


 エリーゼは明るく微笑んだ。


「リディアは動きを見て、攻撃のタイミングを教えて。コレットに防御は任せて、私はベアトリスと一緒に、聖力をぶつけるわ」


 ベアトリスはミラへ視線を向けた。


 手を魔物にかざしているミラを見て、わずかに目を細める。


 何をしているのか、気にならないわけではなかった。けれど、今は問いただしている時間がない。


 ベアトリスは、ミラを信じることにした。


「……ミラは少し離れて、何か異変を感じたら、すぐに知らせて」


「はい」


 ミラは頷いた。その手は魔物へ向けたままだった。


 五人の視線が交わる。


 それぞれの役割が定まった。


     ◇


 ガディオラが、再び身を沈める。


「来るわ!」


 リディアが叫んだ。


 魔物の巨体が動く。


 狙いは、エリーゼだった。


 迫る爪を前に、エリーゼは一瞬だけ息を呑んだ。


 けれど、足は止まらなかった。


 逃げるより早く、コレットが前へ出る。


「防壁、展開!」


 掲げた手から聖力が広がり、淡い光の壁が立ち上がった。


 次の瞬間、巨大な爪が防壁に激突する。


 轟音。


 衝撃に、コレットの靴底が石床を滑った。


「くっ……!」


 腕が震える。


 それでも、彼女は手を下ろさなかった。


 防壁は、崩れない。


 聖職者の家系に生まれ、幼い頃から聖力の扱いを叩き込まれてきたコレットにとって、防御は得意分野だった。


 鍛え上げた技術と高い聖力。その両方が、今、仲間を守る力になっていた。


「エリーゼ、今のうちに!」


「ありがとう、コレット!」


 エリーゼはすぐさま後退した。


 ガディオラが爪を引いた瞬間、コレットは防壁を解き、横へ飛び退く。


「全員、無事か!」


「問題ないわ」


 ベアトリスが答える。


「私も大丈夫! コレットも無理はしないで」


 エリーゼが笑顔で声をかけた。


 リディアも魔物から目を離さないまま、片手を上げた。


「無事よ。それより、今の攻撃だけれど、赤い目が……」


「リディア」


 コレットの声が飛ぶ。


「無事なら結構だ」


「もう。少しくらい解説させてくれてもいいでしょう?」


「研究対象に踏み潰されては、研究どころではない」


「……それもそうね」


 リディアはあっさりと納得した。


 そのやり取りの間も、ガディオラは四人を睨みつけている。


 ミラは少し離れた場所で、魔物に手をかざし続けていた。


 途切れることなく流れ込んでくる苦しみ。


 その奥にあるのは、怒りだけではない。


 怯え、混乱し、逃げ場を失ったものの悲鳴だった。


 (大丈夫。少しずつでいいから……)


 ミラは唇を結び、手を伸ばす。


 けれど、魔物の苦しみはあまりにも深かった。


     ◇


「次の攻撃、右から来るわ!」


 リディアの声が飛んだ。


 ガディオラの肩が、わずかに沈む。


「コレット、正面を抑えて。エリーゼは私と一緒に!」


「承知!」


「ええ!」


 三人が同時に動いた。


 コレットが防壁を展開し、ガディオラの進路を塞ぐ。


 爪が光の壁に叩きつけられた。


 その瞬間、ベアトリスが側面へ回り込む。


「こっちよ!」


 ベアトリスの聖力が、魔物の巨体を包み込んだ。


 ガディオラの動きが、わずかに鈍る。


「今よ、エリーゼ!」


 ベアトリスの合図に、エリーゼが両手を掲げた。


 祈るように目を閉じた瞬間、彼女の全身から眩い聖なる光があふれ出した。


 柔らかな光が幾重にも重なり、聖堂を満たしていく。観覧席の神官たちから、感嘆の声が漏れた。


 その光が、ガディオラを包み込む。


 しかし。


 ガディオラは激しく身をよじった。


 聖力を振り払うように暴れ、ベアトリスの体を押し返す。


「……っ!」


 ベアトリスが数歩後退した。


 足元がふらつく。


「ベアトリス!」


「大丈夫。まだやれるわ」


 ベアトリスはすぐに体勢を立て直した。


 けれど、呼吸は荒い。


 それでも、エリーゼから目を逸らさなかった。


「あなたは自分の力に集中して。ここで中途半端に終わらせるつもりはないでしょう?」


 エリーゼは、ベアトリスを見つめた。


 自分を支えるために、彼女がどれほどの力を使っているのか。


 その足が、今にも崩れそうなほど疲弊していることもわかっていた。


「ええ。ありがとう、ベアトリス。私は応えてみせるわ」


 エリーゼは、いつもの明るい、柔らかな笑みを浮かべた。


 そして、もう一度両手を掲げる。


 彼女の聖力が、いっそう強く輝いた。


 ベアトリスも残る力を振り絞り、魔物を包む光を重ねた。


 二つの聖力が、ガディオラを覆っていく。


 ベアトリスの力が魔物の動きを抑え、その内側へ、エリーゼの光が染み込んでいった。


 巨体が揺れた。


 振り上げられていた前脚が、ゆっくりと下がる。


 荒々しかった呼吸も、少しずつ静まっていった。


「……効いているわ」


 エリーゼが囁く。


 ガディオラは、もう暴れていなかった。


 その巨体が、ゆっくりと膝を折る。


 やがて、赤い瞳が閉じられた。


 一瞬、聖堂が静まり返る。


 そして。


 大きな歓声が、会場を揺るがした。


「おお……!」


「さすが、エリーゼ様!」


「ベアトリス様も見事だ!」


「素晴らしい四人だ。あれほどの魔物を鎮めるとは……!」


 観覧席から称賛の声が降り注ぐ。


 エリーゼはほっと息をつき、隣のベアトリスを振り返った。


「ベアトリス、ありがとう。あなたの支えに助けられたわ」


「当然よ。私は全力を尽くしたもの。でも、皆の力がなければ、こうはいかなかったわ」


 ベアトリスはわずかに微笑んだ。


 けれど、次の瞬間。


 身体が、わずかに傾いた。


「ベアトリス?」


「少し、力を使いすぎただけよ」


 そう言いながらも、彼女の顔には疲労が色濃く浮かんでいた。


「すぐに休むべきだ」


 コレットがそばに寄る。


     ◇


「まだ試験は終わっていないわ」


 リディアは、眠るガディオラをじっと見つめていた。


「……おかしいわ」


「何が?」


 エリーゼが尋ねる。


「こんなに早く、完全に動きを止めるなんて。先ほどの抵抗の強さを考えると、少し不自然だわ」


 その言葉に、エリーゼの表情が少し強張った。


「でも、今はおとなしくなっているわ」


「ええ。だからこそ、油断できないのよ」


 リディアが答えた、そのときだった。


 ミラの手が、ぴくりと震えた。


 ガディオラから流れ込んでくる苦しみが、消えていない。


 むしろ。


 先ほどまで押し殺されていた何かが、再び膨れ上がろうとしていた。


 ミラが顔を上げる。


 (だめ……まだ、終わってない)


 閉じられていたガディオラの瞼が、ゆっくりと開いた。


 その奥で。


 二つの赤い瞳が、再び光を放った。

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