第二十一話 水晶さん、どういうことですか
「ミラ・エッセ様」
「……!」
ミラの肩が小さく跳ねた。
視線が、一斉に集まる。
「誰だ?」
「イザリアって都市から来たらしい」
小さな声が、あちらこちらから聞こえてくる。
(うぅ……)
ミラは緊張しながら、水晶の前へ歩いた。
白銀の台座。
透明な水晶。
その向こう側には、大勢の人々。
そして。
オルディオスのくすんだ緑色の瞳が、静かにこちらを見ていた。
(反応するか分からない……)
(でも、やるしかない)
ミラはそっと息を吐く。
そして、水晶へ手を触れた。
…………
(あれ?)
何も起こらない。
水晶は、透明なままだった。
ミラは、青ざめていった。
(……やっぱり……)
観覧席から、ぽつりと声が漏れた。
「光らない……?」
「聖力が弱いのか?」
「やっぱり、噂は嘘では……」
小さなざわめきが広がる。
ミラの胸が、きゅっと縮んだ。
その瞬間。
閃光が、弾けた。
「……!」
大聖堂が、真っ白に染まる。
何も見えない。
大聖堂も、人々も。
すべてが、眩い光に飲み込まれていた。
ほんの一瞬だった。
それなのに、ひどく長く感じられる。
やがて光が消え、視界が戻った。
ミラは、ゆっくりと瞬きをした。
目の前にあるのは、白銀の台座。
けれど、その上にあったはずの水晶がない。
「……え?」
足元に、透明な破片が散らばっている。
破片はまだ、強い光を帯びていた。
ミラは呆然と自分の手を見つめた。
(す、す、水晶さんー!反応し過ぎでは……!?)
大聖堂は、静まり返っていた。
誰も動かない。
誰も、声を出さない。
数秒後。
「……水晶が」
誰かが、呟いた。
「砕けた……?」
その瞬間。
「今の光は何だ?」
「何も見えなかったぞ!」
「測定晶が壊れたのか?」
「まさか……」
「そんなこと、あり得るのか……?」
誰も答えられない。
大聖堂には、驚きと困惑が入り混じったざわめきが一気に広がっていった。
神官たちも我に返ったように動き出す。
「皆様、その場から動かないでください!」
「破片には触れないように!」
「怪我人はいないか!」
数人の神官が、慌ただしく台座の周囲へ駆け寄っていく。
ミラは、散らばった破片を見つめた。
(……割れちゃった)
胸が、きゅっと縮む。
(どうしよう)
こんなに大きな水晶だ。
きっと、とても貴重で、高価なものに違いない。
(私が、やったんだよね……弁償……できない……)
ミラの顔から、すっと血の気が引いた。
◇
騎士席にいたヴェリスが、わずかに身を乗り出した。
ミラに怪我がないか。
それだけを確かめるように、じっと見つめている。
声をかけることはできない。
ヴェリスは、驚きながらも、ただ静かにミラを見守っていた。
その隣で、レオンハルトも砕けた水晶へ目を向ける。
「これは……えっと、今のは……ミラ様の力……?」
いつもの明るい口調は、どこにもなかった。
◇
候補者たちも、目の前の光景から目を離せずにいた。
エリーゼは、言葉を失ったままミラを見つめている。
先ほどまで浮かべていた微笑みは、消えていた。
長い指が、ドレスの布地をぎゅっと握りしめる。
けれど、何も言わない。
ベアトリスは、水晶の破片ではなく、ミラを見ていた。
無意識に、一歩だけミラのほうへ体を向けている。
その表情からは、驚きが隠せない。
それでも、ミラが無事だと分かると、ほんのわずかに肩の力が抜けた。
一方、リディアは砕けた水晶に釘付けになっていた。
「…………」
一歩。
さらに一歩。
破片へ近づこうとしたところで、神官に制止される。
「リディア様、危険です!」
「分かっているわ」
そう答えながらも、視線は破片から離れない。
「光が外へ放たれたのかしら……それとも、水晶の内部で聖力が飽和して……」
「リディア様」
コレットが静かに声をかけた。
「今は分析より、安全確認です」
「……そうね」
リディアは足を止めた。
それでも、青紫の瞳は好奇心で輝いている。
「あとで、絶対に調べたいわ」
コレットは答えなかった。
ただ、水晶とミラを交互に見つめている。
いつもなら乱れない姿勢が、ほんのわずかに強張っていた。
「測定晶が………」
小さく漏れた声。
その先は、続かなかった。
◇
神官たちも、破片を前に顔を見合わせていた。
「あり得ない……」
「この測定晶は、何百年も使われてきたものだ」
「聖力が強いだけで壊れるようなものでは……」
誰も、その先を言えなかった。
原因を説明できる者がいない。
大聖堂に集まった人々の間には、困惑と動揺だけが広がっていく。
「……ご、ごめんなさい」
ミラが小さく頭を下げた。
「私……壊すつもりは……」
「ミラ様」
神官が慌てて顔を上げる。
「まだ原因は分かっておりません。どうかお気になさらず」
「でも……」
ミラは申し訳なさそうに、もう一度水晶の破片へ目を向けた。
その様子を、オルディオスは黙って見つめていた。
神官たちが破片の確認に追われ、観覧席がざわめき、候補者たちもそれぞれの表情を浮かべている。
けれど。
オルディオスだけは、動かなかった。
くすんだ緑の瞳が、砕けた水晶へ向けられる。
そして、ゆっくりとミラへ戻った。
「…………」
杖を握る手に、力が入る。
指先が、わずかに震えていた。
唇が、ほんの少し開く。
けれど、声は出ない。
数秒後。
オルディオスは目を伏せ、何事もなかったかのように杖を握り直した。
そして、もう一度ミラを見る。
その瞳だけは。
いつまでも、ミラから離れなかった。




