第十八話 本物の聖女さまたちは、眩しすぎます
王都の朝は、白かった。
離宮の庭園は薄い朝靄に包まれ、噴水の水飛沫が朝日にきらめいている。
綺麗で。
まるで夢みたいな、幻想的な景色だった。
◇
(……眠れなかった)
窓辺に立ちながら、ミラは小さくため息をつく。
原因は分かっている。
分かっているから困るのだ。
『……ミラ』
低く落ち着いた声。
優しく名前を呼ぶ響き。
『……嬉しいです』
(む、無理……!)
ぼんっと顔が熱くなる。
慌てて両手で頬を押さえた。
(あれは反則では!?)
昨日のことを思い出すだけで、心臓がうるさい。
(……本当に夢みたいな時間だった)
顔がいいだけなら、まだ耐えられた。
でも。
ちゃんと優しくて。
誠実で。
あたたかい。
(……うん。一生の思い出にしよう)
(……でも)
別れ際の顔が頭から離れない。
ほんの少しだけ、ヴェリスが寂しそうに見えた気がした。
(……もしかして?)
また会おうみたいに言ってくれたのに。
「選定会、頑張ります」なんて言って、話を終わらせてしまった。
胸が、きゅっとなる。
(ううん。そんなはずない。気のせいよ)
「ミラ様、準備のお時間です」
扉の向こうから侍女の声が響いた。
「は、はい!」
ミラは慌てて顔を上げた。
今日は選定会だ。
王都中の視線が集まる、大切な日。
今は他のことを考えている場合ではない。
◇
王城隣接大聖堂。
巨大な白亜の建物は、朝日を受けて淡く輝いていた。
高い天井。
虹色の硝子窓。
磨き抜かれた大理石。
神聖な場所であるはずなのに。
ミラには、“王国一の大聖女を決める舞台”という言葉のほうが、ずっとしっくりきた。
(うぅ……もう帰りたい)
会場には、すでに何人かの候補者が集まっていた。
豪華な刺繍を施した聖女服。
整えられた髪。
洗練された立ち居振る舞い。
誰もが、ミラには眩しく見えた。
(なんだろう……みんな、やっぱり聖女様って感じがする)
その中で、ミラだけが少し離れた場所に立っていた。
候補者たちは互いに顔見知りらしい。
何人かで集まり、楽しそうに話している。
そんな中。
時折、ミラへ視線が向けられた。
◇
「今年は十人の予定だったはずでしょう?」
「ええ。でも、急きょ一人追加されたそうよ」
「……あの黒髪の子?」
「そう。自由都市イザリアの小さな教会から来た聖女ですって」
「平民らしいわよ」
ミラは聞こえてきた声に、小さく肩を縮めた。
(……私のことだ)
胃がきゅっとしてくる。
◇
次にどこからか聞こえてきた会話に、ミラは思わず耳を傾けた。
「それにしても、今年は特に注目されているわね」
「五年前は該当者なしだったからな」
「今年こそ、十年ぶりに大聖女が誕生するんじゃないかって、皆が期待しているのよ」
「候補者の中で特に名前が挙がっているのは、やっぱり――」
「エリーゼ様だろう」
「フェルシアン伯爵家ですもの」
「歴代の聖女を何人も輩出している名門でしょう?」
「オフィーリア様もそうよ」
「エリーゼ様で決まりだな?」
「そう簡単にはいかないでしょう」
別の声が割り込んだ。
「ベアトリス様もいるわ」
「ああ……」
「家柄こそ大したことはないけれど、聖女としての実力はエリーゼ様に並ぶとか」
「それなら、リディア様も忘れちゃだめよ」
「ケラーシュ侯爵令嬢か」
「侯爵家の令嬢な上に、才女らしいぞ。魔物研究や薬草学、古代遺跡まで詳しいらしい」
「魔物の話になると止まらないって噂も……」
「ふふっ。やっぱり変わった方なのね」
「……でも」
誰かが声を潜めた。
「小さな町の聖女も凄いって噂だが?」
「……イザリアの聖女?」
「そう。あそこの黒髪」
「でもまぁ、大したこと無いわよ。平民だから珍しいから選ばれたんでしょう」
ミラは、ますます小さくなった。
(やっぱり帰りたい……)
◇
その時。
会場の一角から、小さなどよめきが起こった。
「……噂をすれば」
「リディア様だわ」
ざわめきの中を、一人の女性が歩いてくる。
栗色のボブヘア。
その髪には、青紫のメッシュが一筋、鮮やかに差し込んでいる。
濃い青紫の瞳。
整った顔立ちは知的で、背筋の伸びた立ち姿には侯爵令嬢らしい気品があった。
けれど。
彼女は周囲の人々には目もくれず、会場を興味深そうに見回していた。
「……今年は、どんな魔物が出てくるのかしら」
ぽつり。
(……魔物?)
ミラが首を傾げる。
その時、リディアの視線がこちらを向いた。
「あら」
真っ直ぐに歩いてくる。
「もしかして、イザリアの方かしら?」
「は、はい……」
「リディア・ケラーシュですわ」
「ミラ・エッセです」
ミラが頭を下げる。
(綺麗な人……。なんだか、ちょっと個性的で素敵だな)
リディアの眉が、ほんの少し上がった。
「ふうん」
リディアは、ミラを上から下まで眺めた。
「平民の方が選ばれるなんて、珍しいのね」
ミラの肩が、わずかに縮こまる。
「……そう、ですよね」
けれど。
リディアの視線は、すぐにミラの紅い瞳へ移った。
「でも……綺麗な目ね」
「え?」
「紅い瞳なんて、珍しいわ」
じっと見つめられて。
「えっと、あ、ありがとうございます……!」
ミラは、なぜか嬉しいより、落ち着かない気持ちになった。
胸の奥が、ひやりとする。
「それに――」
リディアの瞳が、楽しそうに細められた。
「あなた、噂では魔物を一体、完璧におとなしくさせたのでしょう?
「……!」
ミラの肩が跳ねる。
(なんで知ってるの!?)
「そんな、大げさなものでは……」
「ふふ」
リディアが、にやりと笑った。
「面白そうね」
「そ、そうでしょうか……」
「ええ。また詳しく聞かせてちょうだい」
そう言って、リディアは興味深そうにミラを見たまま離れていった。
「また困らせてるわね」
振り返る。
銀髪の美女が歩いてくる。
周囲の空気が、すっと引き締まった。
「ベアトリス様だ」
「来たわ」
「美しい……崇拝者がいるわけだ」
そして。
ミラを見た瞬間だけ、その表情が少し柔らかくなった。
(ベアトリス様……!)
ミラの顔がぱっと明るくなる。
「お久しぶりです!」
「ええ、久しぶりね」
ベアトリスは小さく笑いながら、リディアの去っていった方向へ目を向けた。
「相変わらずね」
ベアトリスは、呆れたように笑った。
そして、ミラへ向き直る。
「緊張しているでしょう」
「……はい」
「まあ、無理もないわね」
◇
その時だった。
大聖堂の入口が開く。
ざわ……
ざわざわ……
先ほどまでとは明らかに違う空気が、会場を走った。
人の波が、ゆっくりと左右へ分かれていく。
「……来た」
「エリーゼ様だ」
「王都聖女様……!」
その声だけで、周囲の視線が一斉に入口へ集まる。
人の波の向こうから、一人の女性が歩いてくる。
朝の光を受けた淡い桃金色の髪が、歩くたびに柔らかく揺れた。
エリーゼが微笑む。
「おはようございます」
「おはようございます、エリーゼ様!」
「本日は楽しみにしております!」
「どうぞ頑張ってくださいませ!」
次々と声が飛ぶ。
エリーゼは一人ひとりに笑顔を返していく。
すると。
張り詰めていた空気が、まるでほどけるように柔らかくなっていった。
(……すごい)
ただ挨拶をしているだけなのに。
声をかけた人たちは、皆嬉しそうに笑っている。
(これが……王都の聖女様)
美しいだけじゃない。
人を惹きつける何かがある。
理想の聖女。
そんな言葉が、自然と浮かんだ。
そんなミラへ。
エリーゼの視線が、ふと向いた。
そして。
まっすぐこちらへ歩いてくる。
「あなたが、イザリアの聖女様ね」
「ひゃっ」
不意に声をかけられ、ミラの肩が跳ねた。
エリーゼは、花が綻ぶように微笑む。
「お話を聞いていますわ」
「エリーゼ・フェルシアンと申します。お会いできて嬉しいわ」
薄紫の大きな瞳が柔らかく見つめてくる。
「は、はい……! わ、わたしこそ……ミラ・エッセです!」
(う、嬉しい! 優しい! こんな可愛い人、存在するんだ……)
慌てて頭を下げる。
エリーゼは明るく微笑む。
近くで見るほど、眩しかった。
(……だけど、ちょっとだけ緊張する……)
エリーゼと並ぶと。
自分が同じ聖女として、この場にいることが図々しく思えてしまう。
(私なんかが……)
その瞬間。
隣から、ベアトリスの声が落ちた。
「またその顔をしているわね」
「……え?」
「『私なんか』って顔」
「すごい人ばかりで……」
ベアトリスは、ふと観覧席へ目を向けた。
「そんなに気負わなくていいわ」
「え?」
「十一人全員が、本気で大聖女を狙っているわけじゃないもの」
ミラが目を瞬く。
「……そうなんですか?」
「ええ。選定会に出ること自体が名誉になるし、ここは最高の社交の場なの」
ベアトリスが顎で観覧席を示す。
「聖女だけじゃない。王族も貴族も、豪商も、男女を問わず良い縁を探しに来ているわ」
ミラは、観覧席へ視線を向けた。
そこには、いつも以上に着飾った男女が並んでいる。
王族や貴族だけでなく、豪商や聖職者、騎士の姿まであった。
互いを探るような視線が、あちらこちらで交わされていた。
「……あ」
ミラが小さく声を漏らす。
なるほど。
確かに、ただ選定会を見に来ただけとは思えない。
ベアトリスが、さらりと言った。
「そう。それに、最終選定に残れるのは、せいぜい四、五人くらいよ」
「四、五人……?」
「エリーゼ、リディア。もちろん私、それから――」
ベアトリスの言葉が、そこで途切れた。
大聖堂の奥で、鐘が鳴ったのだ。




