第十六話 隊長さまとのデートは、心臓に悪すぎます
――王都キリア。
石畳の大通りを、人の波が絶え間なく流れていく。
行商人の呼び声。
馬車の車輪が石を鳴らす音。
軒を連ねる色鮮やかな店々。
噴水の煌めき。
広場には歴代の著名な大聖女の白い像が並び、その足元では子どもたちが楽しそうに駆け回っていた。
背後の壁には、英雄騎士が魔女を討つ古い壁画が描かれている。
遠くには王城の白い尖塔が見えた。
昼下がりの光を受けた城は、白い壁をまばゆいほどに輝かせている。
(……すごい)
思わず、足が止まった。
自分のいた小さな町、イザリアとはまるで違う。
通りを行き交う貴婦人たちの香水の香りまで、どこか華やかだ。
まるで絵画の中に迷い込んだみたい。
けれど、その分だけ。
(……少し、怖い)
知らない街。
知らない人々。
向けられる無数の視線。
この場所にいる自分だけが、どこか浮いている気がした。
胸の奥が、わずかに落ち着かない。
そんな時だった。
「――聖女様」
静かな声。
聞き覚えのある声だった。
振り返る。
その瞬間。
周囲の喧騒が、不思議なくらい遠くなった。
「……隊長さま」
人波の向こう。
ヴェリスが立っていた。
騎士服ではない。
落ち着いた色合いの私服姿。
装飾はほとんどない。
けれど、目立っていた。
すらりと伸びた体躯。
無駄のない立ち姿。
蜂蜜色の髪が、風にふわりと揺れている。
王都の人混みの中にいるのに。
不思議なくらい、すぐに見つけてしまった。
(隊長さま……)
一瞬、息を忘れる。
「お久しぶりです」
低く澄んだ声。
けれど以前より、ほんの少しだけやわらかい気がした。
「お元気そうで、安心しました」
(……だめ)
そんなふうに言われたら。
胸の奥が、簡単に熱を持ってしまう。
「隊長さまも……」
言いかけて顔を上げる。
その瞬間。
(近い)
思ったより、ずっと近くに金色の瞳があった。
澄んだ琥珀色の瞳が、まっすぐこちらを見つめている。
綺麗で。
うまく呼吸ができなくなる。
「……失礼」
ヴェリスが静かに半歩下がった。
その距離の取り方が、丁寧だった。
触れないように。
怯えさせないように。
そんな気遣いが滲んでいる気がした。
(絶対、私が男性慣れしてないって分かってるよね……!?)
恥ずかしい。
なのに、不思議と安心する。
その時だった。
◇
「いや〜、いい再会っすねぇ」
空気を割る声に、ミラははっとした。
赤髪に褐色の瞳。
「レオンハルト」
「お久しぶりです、聖女様」
レオンハルトが、にっと笑う。
「ちゃんと生きてて安心しました」
「余計なことを言うな」
(相変わらずだ……)
思わず、くすっと笑ってしまう。
「今日は“案内”でしたっけ?」
意味ありげに口角を上げるレオンハルト。
「……そうだ」
「へえ〜」
(案内……)
(それって、やっぱり……)
(デートでは!?)
心の中だけで、盛大に動揺する。
「俺、空気読んで消えますね」
「消えるな」
「いやいや、公……」
「レオン」
低く静かな制止。
一瞬で空気が締まる。
「……はいはい」
レオンハルトは肩をすくめた。
「じゃ、ごゆっくり」
意味ありげな笑みを残し、その場を去っていく。
(……今、なんて言いかけたの?)
小さな疑問だけが残った。
「……すみません」
ヴェリスが小さく息を吐く。
「部下が騒がしくて」
「いえ。楽しい方ですね」
「……ええ」
ヴェリスの目元が、ほんの少しやわらぐ。
「昔から、ああいう男です」
ミラも思わず笑みが溢れた。
◇
並んで歩き出す。
人混みの中。
ヴェリスが自然に半歩前へ出た。
ミラを人波から庇うように。
その瞬間。
通り過ぎる女性たちが、小さく息を呑む。
「……かっこいい」
「嘘、ヴェリス様……?」
熱を帯びた視線が集まる。
(そりゃ、見るよね……)
こんな人が歩いていたら。
誰だって目を引かれる。
王都でも、やっぱり目立つ。
(わ、私が隣にいていいのかな……)
急に落ち着かなくなる。
すると。
ヴェリスが、さりげなく歩幅を緩めた。
「疲れていませんか」
低い声が、すぐ近くで落ちる。
「え?」
「長旅でしたでしょう。それに、ここは人が多いので」
周囲へ向ける視線は鋭いのに。
ミラへ向ける声音だけが、やわらかい。
「無理はしないでください」
喉が少しだけ詰まる。
(相変わらず優しすぎる……)
気づけば、大通りの脇に白い馬車が停まっていた。
「用意した馬車があります」
従者が扉を開く。
「足元を」
差し出された手。
白い手袋越しでも、その大きさが分かる。
(……手、大きい)
そんなことを考えてしまった自分が恥ずかしくて、慌てて視線を逸らす。
恐る恐る手を重ねる。
その瞬間。
やさしく支えられた。
触れられた場所から、じわりと熱が広がっていく。
(だめ……でも‥‥この手…‥嫌じゃない。なんでだろう……落ち着く)
◇
馬車がゆっくり走り出す。
窓の外を流れていく王都の景色は、午後の光を受けて、きらきらと輝いていた。
「もし、少し寄り道する元気があるなら」
向かいに座るヴェリスが言う。
「案内したい場所があります」
(…………)
一瞬、思考が止まる。
(それ、完全にデートのお誘いでは!?)
「い、行きます……!」
勢いよく返事をしてしまい、直後に後悔した。
ヴェリスが笑った。
「良かったです」
(今、笑った……!?)
その笑顔が、反則みたいに綺麗で。
胸の奥が、どくん、と大きく跳ねる。
その破壊力に、ミラは慌てて窓の外へ視線を逃がした。
◇
「こちらです」
案内された店には、美しい菓子が並んでいた。
淡い桃色のマカロン。
艶やかな苺のタルト。
光を閉じ込めたような葡萄のゼリー。
硝子ケースの中で、菓子たちが美味しそうに宝石みたいに光っている。
「わぁ……」
思わず足を止める。
ヴェリスは静かに目を細めながら、ミラを見つめていた。
「どれか気になるものはありますか」
「えっ?」
突然声を掛けられ、ミラは慌てて顔を上げた。
「えっと……」
視線がケースを行ったり来たりする。
「こちらの木苺のタルトと……」
「それと、この焼き菓子も可愛い……」
「そうですか」
ヴェリスが店員へ視線を向ける。
「木苺のタルトを二つ」
「それと、焼き菓子を一箱」
「えっ!?」
ミラが目を丸くした。
「気になっていたでしょう」
当然のような口調だった。
「で、ですが……」
「先ほどから何度も見ていました」
「っ」
「離宮でゆっくり召し上がってください」
穏やかな声。
押し付けるでもなく。
断らせるつもりもない声だった。
(スマートすぎません!?)
慌てて財布へ手を伸ばす。
「わ、私も払います……!」
その瞬間。
やさしく手を止められた。
「……大丈夫です」
指先が触れただけなのに、また心臓が跳ねる。
「ですが……」
ミラは視線を揺らす。
「案内までしていただいて、ご馳走まで……申し訳なくて」
すると。
ヴェリスが少しだけ目を細めた。
「……申し訳ない、ですか」
穏やかな声音。
なのに、不思議と逃げられない。
「あなたに気を遣わせたいわけではありません」
(……っ)
「喜んでほしくて、俺が勝手にしているだけです。だから気にしないで」
喉が、うまく動かない。
(待って)
(その言い方は反則では!?)
「あ、あの……!」
ミラが慌てて鞄を開ける。
「これ……」
恐る恐る差し出したのは、リボンで結ばれた包み。
「今、イザリアで人気のお菓子で……」
(私からのこんなもので喜んでもらえるか分からないけど……)
「隊長さまに、お礼をしたくて」
一瞬。
ヴェリスが黙る。
「……俺に?」
「はい」
静かな沈黙。
ヴェリスが、驚くほど丁寧に包みを受け取る。
まるで壊れ物みたいに。
「……ありがとうございます」
落ちた声は、いつもより少し低かった。
その優しい声に、胸がまた少し落ち着かなくなる。
でも、嬉しかった。
◇
王都は、ちょっと怖い場所だと思っていた。
けれど。
今だけは、少し違う。
隣を歩くヴェリスを見上げる。
(……隊長さまが、隣にいてくれるなら)
ミラは、ほんの少しだけ頬を赤くした。
そんなことを、思ってしまった。




