第十三話 神父さまは、背中を押す
「ミラ」
神父ノアに呼ばれて振り返ると、
一通の封筒が差し出された。
厚い紙。
重たい封蝋。
王家の紋章。
(……なんだろう……重要なもの?)
少し不安になる。
「王宮からだ」
「えっ」
反射で背筋が伸びた。
恐る恐る封を切る。
目を通して――固まる。
「……大聖女選定会、招待……?」
読み直す。
もう一回読む。
やっぱり同じだった。
「……私、ですか」
「来たな」
ノアがぼそりと言う。
「行け」
「え」
「行っとけ。王都の連中に本物を見せてやれ」
「偽聖女なのに!?」
思わず声がこぼれる。
ノアは、いつもの顔でミラを見ていた。
「でも……」
視線が落ちる。
自分の手へ。
「もし……」
少しだけ声が小さくなる。
「本当に、私の力が、
聖女のものじゃないって……バレたら」
沈黙。
ノアはすぐには答えなかった。
「……バレる可能性はある」
あっさり言った。
「王都の神官には、僅かだが、
魔女の力を知る者もいるだろうからな」
(やっぱり……)
指先に力が入る。
「怖いか」
「……怖いです」
正直に答えた。
「なら、なおさら行け」
「え?」
「確かに魔女由来の力だと明るみにでれば、拘束される可能性はある」
さらっと物騒なことを言う。
「だが」
ノアはミラを見る。
いつもの適当そうな顔で。
けれど。
「バレた時は、
私がお前を守る」
あまりにも当然みたいに言った。
「だから心配するな」
その言葉に。
胸の奥が、熱くなった。
この人はいい加減だ。
昼寝するし。
酒は飲むし。
説教も途中で面倒くさがる。
でも。
本当に大事な時だけ、
絶対に嘘をつかない。
「それとな」
ノアが続ける。
「お前らしくいたらいい」
「お前の行いは、
紛れもなく聖女だ」
ミラは目を瞬いた。
「どう見られるかじゃない」
静かな声だった。
「どう在るかだ」
言葉が胸に落ちる。
怖い。
でも。
「……行きます」
今度は迷わず言えた。
「よし」
ノアが頷く。
「土産は高い酒でいい」
「そこですか!?」
「冗談だ」
少しだけ笑う。
その顔を見た瞬間。
なぜか胸の奥が、
きゅっと痛くなった。
◇
その夜。
ミラはなかなか眠れなかった。
王都。
大聖女選定会。
王宮。
ノアに引き取られて八年。
それまで暮らしていた小さな村と、
今いる小さな町。
ミラが知っている世界は、それだけだった。
いつもの毛布。
いつもの鏡。
いつもの小さな箪笥。
全部。
自分の居場所だった。
(……私。本当に行くんだ)
胸がそわそわする。
怖いのに。
少しだけ楽しみな自分もいた。
やがて。
まぶたがゆっくり落ちていく。
◇
柔らかな腕。
優しい匂い。
誰かに抱き上げられている。
長い黒髪。
白い指。
あたたかな声。
けれど。
顔だけが見えない。
(……お母さん?)
小さい頃の記憶は、
ほとんど残っていない。
三歳頃。
小さな村の老夫婦に拾われた。
それしか知らない。
けれど。
あの腕だけは、なぜかずっと覚えてる。
優しかった。
気がする。
◇
次に浮かんだのは、薄暗い部屋だった。
「ミラ、こっちへ」
「この人を治して」
知らない大人達。
怯えた顔。
差し出されるお金。
最初に拾ってくれた老夫婦の家。
教会にも国にも報告されることなく、
ミラの力は秘密裏に使われていた。
違法だとは知らなかった。
でも、良くないことだと。
子どもなりに薄々気づいていた。
それでも。
人を癒すと、褒めてもらえた。
「すごい子だ」
「偉いね」
「助かったよ」
だから。
もっと頑張った。
もっと治した。
必要とされたかった。
小さな身体で、必死に笑っていた。
◇
そして。
十歳の冬。
雪の降る日だった。
古い扉が開く。
『……何してる』
低い声。
振り返った先にいたのは、今より少し若いノアだった。
ミラは今でも覚えている。
怒っていた。
あの人は。
静かに。
でも。
ものすごく怒っていた。
◇
『来るか』
『……え?』
『飯くらいは食わせる』
ぶっきらぼうだった。
でも。
その日から。
笑わなかった日は、一日もない。
たくさん食べさせてくれた。
叱ってくれた。
褒めてくれた。
何もしなくても良いと。
ただ自分がいていいのだと、教えてくれた。
いつのまにか、枕が濡れていた。
◇
小さな寝息が、
静かな教会に落ちる。
◇
一人残された部屋で。
ノアは窓の外を見ていた。
「……ついに来たか」
大聖女選定会。
静かに目を伏せる。
「ローランド……」
小さく息を吐く。
その顔から、
いつもの軽さが消えていた。
「……頼むぞ」
その声には、何かを背負ったような重みがあった。




