第十二話 隊長さま、夜会に出席する②
「そろそろ、あなたも考えなさい」
オフィーリアが、ヴェリスとレオンの間に入った。
「何をです?」
「家のことよ」
「まだ必要ありません」
「あなたは昔からそうね」
オフィーリアが呆れたように笑う
「遠征先で恋人でも作ったの?」
「いません」
「そう」
少し間を置いて。
「なら、平民の娘に入れ込んだりしていないでしょうね」
「母上」
ヴェリスの声が低くなる。
「何よ」
「身分で人を決めつけるのは、やめてください」
オフィーリアが、わずかに目を細めた。
「決めつけているわけではないわ」
「同じことです」
ヴェリスは淡々と返した。
オフィーリアは、困った子を見るように笑った。
だが、その瞳は静かに鋭かった。
◇
「とにかく。家は一人では続かないのよ」
「弟がいます」
「まさか」
オフィーリアが微笑む。
「リュカに継がせるつもり?」
「適性はあります」
「あなたの方があるわ」
「母上」
ヴェリスは小さく息を吐いた。
「昔からそう」
オフィーリアが肩をすくめる。
「騎士になりたいと言い出した時も驚いたけれど」
一拍。
「よりによって第二部隊を志願するなんて」
「気に入っています」
「でしょうね」
オフィーリアがため息をつく。
「あそこは実力主義が過ぎるもの」
「良いことでは?」
レオンが口を挟んだ。
「平民も多いでしょう」
「同じ数くらいです」
レオンは肩をすくめた。
「だから心配なの」
オフィーリアは微笑む。
「でもヴェリス様が隊長になってから、ずいぶん品行方正になりましたよ」
「まあ?」
「怖いからではありません」
レオンが笑う。
「みんな、隊長の背中見てるんですよ」
「そう」
オフィーリアは息子を見る。
ほんの一瞬、目元が柔らかくなった。
「……でも、平民は平民よ。あなたは例外だけどね、メリオン卿」
「光栄です」
レオンが胸に手を当てる。
「……本当にそう思ってる?」
「ほんの少しだけ」
オフィーリアが笑った。
「正直でよろしいわ」
ヴェリスは、わずかに眉を寄せた。
「まあ、いいわ」
そして。
「好きになさい」
少しだけ声を落とした。
「今のうちはね」
ヴェリスは何も答えなかった。
◇
窓の外では、王都の夜が深まっていた。
ベアトリスの周りには何人かの若い貴族が集まっていた。
「――ビー」
銀髪の令嬢が振り向いた。
「レオン。その呼び方、やめてって言ったでしょう」
「昔からだろ」
「今は違うの」
ベアトリスはグラスを傾けながら、じろりと睨む。
「私は貴族令嬢なのよ」
「はいはい、男爵令嬢様」
「その言い方が腹立つのよ」
「褒めてる」
「どこが?」
レオンは笑った。
「で?」
「何よ」
「隊長とは話した?」
ベアトリスの眉が、わずかに上がる。
「ええ」
「どうだった?」
「相変わらずね」
ベアトリスは小さく息を吐く。
「素敵だったわ」
「ほう」
「でも、駄目ね」
「何が?」
「今夜の女性陣」
ベアトリスが会場を見渡す。
「半分くらい、あの人に落ちるんじゃない?」
「もう少し多いと思うぞ」
「……それは認めるわ」
ふっと笑った。
「でも、前よりガード固くない?
やっぱり、あんたの見立てどおりかしら」
◇
「見てきたんだろ」
ベアトリスが声を落とす。
「ミラ?」
「ああ」
レオンが少しだけ表情を変えた。
「どうだった?」
ベアトリスは考えるようにグラスを揺らす。
「不思議な子」
「ほう」
「洗練されてない」
「言うなあ」
「でも」
一拍。
「ちゃんとしてるのよね」
レオンが笑った。
「だろ?」
「無茶はするけど」
「倒れるほどにな」
「やっぱり?」
ベアトリスが呆れたように眉を寄せる。
「馬鹿ね」
そう言いながら。
口元には、ほんの少し笑みが浮かんでいた。
「……嫌いじゃないわ」
「隊長も気に入るわけだ」
「そうね」
ベアトリスがふと目を細める。
「ヴェリス様って、ああいう打算無しに頑張る子に弱いのかしら」
レオンが吹き出しかけた。
「弱いっていうか……」
肩をすくめる。
「気づいたときには、もう沼にはまってるな」
「……なるほど」
ベアトリスが楽しそうに笑った。
◇
「じゃあ、私は次を探すわ」
「切り替え早いな」
「合理的って言って」
ベアトリスはさらりと言う。
「振り向かない男を追いかけ続ける趣味はないの」
「もっと近場で探したらどうだ?」
「無理ね」
「どうして?」
「条件があるのよ」
「地位があって、将来性がある、健康体」
「注文が多いな」
「恋愛でお腹は膨れないでしょう?」
レオンが吹き出す。
「それはそうだ」
「でしょう?」
ベアトリスは満足そうに笑った。
その横顔を見ながら。
レオンは、ほんの少しだけ目を細めた。
「……何よ」
「別に」
「今、何か思ったでしょう」
「いや」
レオンはグラスを傾ける。
「お前が泣いてないなら、それでいい」
ベアトリスが一瞬、目を丸くした。
「……何それ」
「さあな」
レオンは答えなかった。
◇
やがて。
楽団の音色が変わった。
ゆったりとしたワルツが、大広間に流れ始める。
「ヴェリス」
エリーゼが手を差し出した。
「約束、忘れてませんよね?」
「ああ」
ヴェリスは差し出された手を取り、指先を軽く支えた。
「行こう」
「はい」
二人が中央へ進む。
自然と、周囲の視線が集まった。
「まあ……」
「お似合いね」
「聖女様とアレティス公爵家の嫡男……」
囁きが、あちこちから聞こえる。
エリーゼは楽しそうに笑った。
「皆さん、見ているわね」
「そうだな」
「緊張しませんか?」
「なぜ?」
「私は少しするわ」
「そうは見えない」
「あなたと踊るんですもの」
エリーゼが笑う。
ヴェリスも、ほんの少し口元を緩めた。
「そうか」
音楽に合わせ、二人が動き出す。
エリーゼの桃金の髪が、ふわりと揺れた。
ヴェリスの手が、自然に彼女を支える。
エリーゼも、長年踊ってきた相手のように迷いがない。
二人の動きは、綺麗に重なっていた。
遠目から見ても、二人の姿は絵になる。
エリーゼが顔を上げた。
「ね?」
「何がだ?」
「私たち、似合っているでしょう?」
ヴェリスは一瞬だけ彼女を見る。
「……そうかもしれないな」
「でしょう?」
嬉しそうな声。
くるりと回る。
淡い紫の瞳が、楽しそうに細まった。
そのとき。
ヴェリスの視線が、ふと逸れた。
人の向こう。
黒髪の女性が、こちらに背を向けて立っていた。
長い黒髪が、照明を受けて煌めいていた。
ヴェリスの足が、ほんの一瞬だけ止まった。
「ヴェリス?」
「……ああ」
すぐに足を戻す。
「すまない」
「どうしたの?」
「いや」
何でもないように答える。
「少し、知っている人に似ていた」
「そうなの?」
「ああ」
再び、音楽に合わせる。
けれど。
ヴェリスはもう一度だけ、振り返った。
違う。
分かっているのに。
黒髪の女性は、人の波の向こうへ消えていた。
それでも、ヴェリスの視線だけが、しばらくその場所を追っていた。




